江戸時代に「きつねダンス」が大流行していた

 

日本で「きつねダンス」が流行っている。ある日、江戸時代の本を読んでいると「稲荷踊り」なるものを見つけた。そのとき脳内の翻訳アプリが動いた。「稲荷踊り -> きつね踊り -> きつねダンス」たしかに! 気になって調べてみると、「徳川将軍が見物した」とか「禁止された」とか次から次へと不思議な記述が出てくるではないか。今回は、江戸時代の「きつねダンス」の正体にせまろう。

 

※本記事では、現代の物差しで考えづらい怪現象(?)が出てくるが、あえてその是非に触れないで進めていこうと思う。疑問にとらわれるよりも、せっかくなら斜に構えず楽しんだほうが得だ。

 

令和の日本にきつねダンスが響き渡る

2022年、日本できつねダンスが人気をさらった。……らしい。というのも、野球を普段見ないので、流行語大賞にノミネートされたのを聞いて「そんなに人気があったのか」と興味を持ったぐらいだった。

しかし、のんびり1年を振り返りながら「紅白歌合戦」を見ていると、きつねダンスがバッチリ出ているではないか。とどめを刺されたのが紅白のあとに流れる「ゆく年くる年」だ。いつもは薄暗いお寺をしっとりとした面持ちで放送する番組なのだが、今年は違った。照明カンカンでドラムガンガンの音楽に合わせて踊るケモ耳姿のチアダンサーたち。

これがゆく年くる年

 

これだけ物静かな番組まで乗っ取ってしまうそのきつねダンスの力に、思わずひれ伏した。

 

そんなきつねダンスに魅了された新年の日のことだ。趣味で古い本を読んでいたとき、突然「稲荷踊り」という文字が目に入った。

のっていたのは江戸時代のお触れが書いてある本だ。

 

「幕府、稲荷踊りを禁止」とある。禁止される踊りとは?(索引政治経済大年表 年表篇)

 

稲荷=きつね、そして踊り=ダンスだ。つまりはきつねダンス! 1841年、つまり182年前にもきつねダンスが存在したということか。

太鼓と鐘の調べに合わせて着物の裾をひらりとなびかせて舞う女性の姿が頭に浮かんだ。これはチアダンスとはまた違った良さがありそう。タイムスリップして見てみたいぞ。

 

江戸時代の「きつねダンス」は降霊術!?

でも冷静になると変だ。江戸時代にはケモ耳カチューシャもEDMも存在しない。では、江戸時代のきつねダンスはどんなものだったのだろう。

調べたところ、文字通りきつねにつままれた気持になった。降霊術や口寄せの一種だったというのだ。

 

まずは、福島県のきつねダンスはどのようなものだったのか紹介する。発祥は福島県の可能性が高いらしい(*1)。

狐に代わって告げる人は手の親指を内側にしてにぎり、それに手拭を掛けて持って坐る。その人を寄り人という。その周囲を輪になって五、六人が坐り、または立って回る。その時、狐踊りの歌をうたう。何度かくり返しているうちに狐が寄り人に憑く。そして憑くとこちらで聞きたい事を聞くとお告げがある

(奥会津南郷の民俗)

お告げ! ほしい。今ポストのダイヤル錠が開かなくて困ってるからどうすればいいか教えてほしい。あと電気スタンドを買おうと思ってるけど選ぶの面倒だからいいの教えてほしい。そう考えると、きつね踊りって便利屋みたいだ。

「そんなどうでもいいこと聞くか?」って思う人がいるかもしれないが、「紛失物のあったとき」にきつね踊りを行ったって記録もあるので正しい使いかた(の一つ)だと言い訳しておく(分類祭祀習俗語彙 オカマカジ)。

*1「地蔵を憑けて伺いを立てる」という風習が福島県のみに存在している。その類似として、オカマ憑け・狐踊りの風習も福島県から始まったのではないかと推測できる。

 

きつね踊りって人気だったの?

ここで一つ疑問が出てきた。きつね踊りってどのくらい人気だったのだろうか。

最初に読んだお触れでは、きつね踊りが幕府によって禁止されていた。

見直すとやはり「稲荷踊を禁止」とある。(索引政治経済大年表 年表篇)

わざわざ「禁止」と書くならば、それなりには人気があったと考えるのが自然だ。

さっそく人気の証拠を見つけに行こう。

そしてトリビアの泉に「江戸時代にもきつねダンスが流行っていた」って送って金の脳をもらいたい。懐かしくなって金の脳をメルカリで調べたら2770円で売られてて意味もなく悲しくなった。

 

そんな斜に構えた気持ちで検索すると、とんでもない大物が引っかかった。思わず後ずさった。

その名は、徳川家慶(いえよし)。なんと「徳川十二代将軍」が見ていたという。

「稲荷踊など唱えるもの見物」とあるではないか。(徳川実紀 巻五 187頁)

 

きつね踊りは、江戸時代のトップが見物するほど人気だったのだ。

出典の『徳川実紀』は徳川将軍の動静を記録にした本だ。つまり、現代に直すなら「首相動静」に「岸田首相、きつねダンスを見学」と書かれるようなもの。

今のところ、きつねダンスを岸田首相が見たという話は聞かない。

つまり、江戸時代のきつねダンスは令和のきつねダンスよりも流行っていたとこの一面では言えるのだ!

 

きつねダンスはどうして人気だった?

政治のトップが見るほど人気だったきつね踊り。となると改めて気になるのが「なぜ人気だったのか」ということだ。

しかしきつねが憑いて宣託が下る儀式か。現代に合わせると、地下のイベントスペースでひっそりと行われるディープなイベントみたいなイメージが浮かんでくる。

テレビで例えるなら、「野球番組」ってよりも「(本来の)ゆく年くる年」のほうが近いんじゃないか。果たしてこんなに人気が出るものなのだろうか。

 

では、何が人をきつね踊りに駆り立てたのだろう。

実は、きつね踊りは江戸に伝わっていくにつれ形を変えていったようなのだ。

 

先ほど、きつね踊りのミソは「宣託(お告げ)」と書いた。しかし、どうも江戸近辺で行われたきつね踊りには、もう一つ新たな要素が加わっていたようなのだ。

それが「踊り」だ。

余興か! 障子の桟や屏風に乗るってすごい。(神奈川の民俗

※トウガミ=きつね踊りのこと ナカザ=憑かれる人のこと

これはたしかに楽しそうだ。普段物静かな人がキレッキレな踊りをしたりSASUKEでしか見ないようなアクロバティックな動きをしたらそりゃあ盛り上がるに決まってる。

 

この上に人が乗るのか。中国雑技団もびっくりの芸当だ。(Photo by (c)Tomo.Yun

ようやく腹に落ちた。最初のきつね踊りは、憑いたきつねに質問をし答えてもらうものだった。しかし、徐々にきつねに余興をたのんできつねがノリノリでそれに応える、そんなお祭りみたいな場に代わっていったのだ。

 

パリピになったきつね踊り

江戸できつね踊りが流行ったのはようやく納得した。では最後の疑問だ。最初にきつね踊りを知ったとき、書いてあったのは「きつね踊りを禁止する」という内容だった。

幕府がはっきりと「禁止」と定めるほどだったきつね踊りとは、何者だったのだろう。問題のある踊りのイメージとして裸踊りがぱっと浮かんだがきっと違う。

では、江戸幕府が禁止した「お触れ」の内容を見てみよう。

杉並で実際に掲示されていた記録が残っている。(杉並区郷土博物館研究紀要 第18号)

うん、読めない。終わり。ともいかないので、がんばって太字の部分を翻訳してみた。間違っているところがあったら直します。

大勢が集まり、一人に気を移したら、多くの人がことごとく狂ったように調子にしたがって踊り出し、中には正気に戻らず命にかかわる者とらえられる人もいた

きつねの神託が下る儀式は、江戸ではすっかりどんちゃん騒ぎになっていたのだ。その果てには、憑いたきつねが戻らなかったり騒ぎすぎて捕まった人もいたと。

つまり、騒がしく危なくて収拾がつかなくなるから禁止します、ということか。

頭に浮かんだのは終電後の繁華街の姿だ。騒ぎ足りない人、酔って意味もなく突っかかる人、そして伸びている人を起こす警察の人。秩序が遠ざかったあの場所を思い出した。今も昔も変わらんなあ。こういう今との共通点を見つけると、歴史を調べていて良かったとしみじみ思う。

 

今も昔も変わらない

こうして江戸時代のきつね踊りは禁止されていった。ところが、禁止のあとに風習が消えていったかというと、そうでもないという。

皆さんは楽しいことが禁止されたらどうするだろうか。多くの人は「こっそりやる」のではないだろうか。小学生のとき「1日1時間」を超えてゲームをするために親に隠れてやっていたのでよくわかる。

それはきつね踊りも同じだったのだ。きつね踊りの記録は、大正時代までポツポツと見つけることができるという。ものによっては昭和初期まであったとか。

 

今回調べて思ったのは、今も昔も変わらないということだ。きつねは太古より神社や物語で大活躍してきた。そして人が踊りを楽しむのも不変のもの。そう考えると、令和と江戸の両方にきつねダンスが存在するのも偶然ではないのだ。

200年後の日本では、どんなきつねダンスが流行っているんだろう。

 

参考文献

  • オカマ憑けと狐踊り――民間シャマニズムの一面――
  • 索引政治経済大年表 年表篇
  • 会津南郷の民俗
  • 徳川実紀 巻五
  • 神奈川の民俗
  • 杉並区郷土博物館研究紀要 第18号

「パラレルワールドのココカラファイン」が吉祥寺にある

ココカラファインを知っているだろうか。白地にピンクのロゴが輝くあのドラッグストアだ。ある日、吉祥寺にまったく違った姿のココカラファインを見つけた。まるでパラレルワールドココカラファインだ。おもしろそう。ちょっと深堀りすると、同じような店舗が全国各地にポツポツと残っていることが見えてきた。

 

吉祥寺のココカラファインがおもしろい

ココカラファインといえばピンク色の店である。地球が太陽の周りを回っているのと同じ、世の中の真理だ。

そう思っていた。

どこにもあるこういうやつ。

吉祥寺駅を降りたとき、真理が崩れた。

右側にある緑の建物を何となく眺めていると、

見たことないココカラファインに出会った。

ピンク色じゃないココカラファインなんて存在していいものなのか。太陽が世界の中心ではなかったのか。

気のせいではない。

目をこする。頬をつねる。世界は緑色のままだった。頭の中には宇宙が広がって猫が目を見開いている。

謎:色が違うココカラファインは何者?

 

落ち着いて観察しよう

首をかしげていてるだけは何も進まない。いったん足を進めてちゃんと観察してみよう。

施設の異常を見逃さない警備員にも負けない念入りさで店の周りを歩き回ってみる。

すると、新たに二つ気づいたことがあった。

① クローバーをとにかく推している

よく見ると、四つ葉のクローバーがあちらこちらに見える。それも普通の量じゃない。

緑色の場所あればクローバーあり。

店の側面にもグリーンベルトが続いている。

町の一角でここだけ草花が栄えている。都会のオアシスはこんな駅チカにあったのだ。せっかくだからと数えてみると、なんと49個。葉っぱの枚数にすると196枚だ。

吉祥寺といえば自然もある街っていうイメージがあるけど、駅前に緑の隠れスポットがあったとは。

 

② 歴戦の勇者感

もう一つ気づいたことがあった。どこかベテランめいた風格がある。

ココ 、カラダ、ゲン

キャッチフレーズの「ココロ、カラダ、ゲンキ。」がはがれている。新たな「ンョ゛ハー゛」はここにあったのか。

他の場所も似たようなものだった。無事な「ココロ」がない。

ゲンキな状態ではないな。

どうやらこのお店、できたばかりではなさそうだ。

お店の名誉のために言っておくと、古っぽく見えるのは正体を暴いてやろうみたいなよこしまな心で見ているからであって、普通に買い物するぶんには気にならないぐらいだ。

 

吉祥寺のココカラファインは一号店だった?

ここで、わかっていることをいったん振り返ろう。

色が違うココカラファインは何者なんだろう。今わかってる手がかりは二つ。

手がかり1:ロゴが現在と違っている

手がかり2:お店が古め

インターネットに手がかりがあるかもしれない。PCに向き合ってwebの海に潜っていく。

企業の詳しい歴史を調べるときは、投資家向けの情報を見るのが簡単だ。(マツキヨココカラ&カンパニー

すぐに答えが見つかった。思わずまばたきが止まった。そういうことだったのか。

今回訪れた「ココカラファイン吉祥寺南口店」は、「ココカラファインの一号店」だったのだ。

 

その結論にたどりつくためには、ココカラファインの歴史を知る必要がある。とはいっても大事な出来事は二つだけなので、身構えないで読んでほしい。

 

① 「ココカラファインホールディングス」が誕生(2008年4月)

ココカラファインが生まれたのは意外と新しく、2008年のことだ。

北京オリンピックで北島選手が「何も言えねえ」と歓喜し、福田総理が「あなたとは違うんです」とこぼしてしたあのころに、緑色の産声が上がった。

当時のココカラファインの資料を見ると心に緑の風が吹いた。

見覚えのあるマークがある!(2008年3月期 決算説明会)。

ココカラファインホールディングス」が生まれた経緯はこうだ。

薬局のセガミメディクスセイジョーが統合し、「ココカラファインホールディングス」が生まれた。

大事なのは、このときセガミ」「セイジョー」のブランドがそのまま使われていたという点だ。

図にしてみた。円の大きさはおおよその店舗数を表してます。

つまり、この時点では「ココカラファイン」というお店は存在していなかった。

 

ココカラファインブランドの店が登場(2012年5月)

4年後の2012年、ココカラファインに新たな布石が打たれた。

吉田沙保里がオリンピック三連覇と13大会連続優勝をなしとげ、「霊長類最強」と言われるようになったあのころだ。

ココカラファインは買収を重ねて成長しながら、薬局界で勝ち上がる新たな手を模索していた。そして生まれたのがココカラファインブランドの店舗」を作ろうというアイデアだ。

その野望の足がかりとして選ばれた場所が吉祥寺だった。

買収を重ね四つのブランドが共存している中、新顔が生まれた。

つまり、吉祥寺南口は記念すべき「ココカラファイン発祥の地」だったのだ。

 

パラレルワールドココカラファインが他にもある!?

これからは吉祥寺を通るたびに一人心が弾みそう。と、資料を見ていて気になる文章が見つかった。

ココカラファインブランド店舗の出店

販社統合のシンボル的な意味合いである実験店を夏までに3店開店し、ブランドイメージ、訴求方法等の検証を経た後に全店への展開を検討。

2012年3月期 決算説明会

パラレルワールドココカラファインは他にも存在しているのだ。てっきりあの一店舗だけが特別かと思っていたけどそうじゃないのか。

今、異世界転生した主人公が他にも転生者がいることを知って驚く気持ちを味わっている。

 

ではこの「3店」は何者だ。調べると、たしかに2号店と3号店が見つかった。

本当にあるんだ。そして3号店は残っているではないか。となると、行くしかあるまい。朝霞へ。

こうして「ココカラファイン」が目的地のショートトリップが始まった。

 

ココカラファイン朝霞店へ

さあ、朝霞駅に到着だ。家が東京なので、薬局に行くためだけに県境をまたいでここに来たことになる。

もし薬局で買い物するのではなく見に行くために1時間電車に揺られた人が他にいたら友達になりたい。

朝霞駅ではゆるキャラぽぽたん)がなぜか銃を構えていた。調べると、自衛隊基地がある上にオリンピックの射撃が行われた場所だったとか。

ぎょうざの満州」を見ると埼玉の人がうらやましくなる。餃子だけでなくラーメンも安くておいしいしとにかく居心地のいい店だ。

ココカラファインだ! と思ったけど違った。

15分歩いたところに、見覚えのある文字が目に入った。思わず足が止まった。

あった。ピンクじゃないココカラファインだ。

やはりこれもピンク色じゃなかった。でも緑でもないのか。「実験店」だけに、このデザインも新たな試みの一つだったのだろう。

近づくと吉祥寺のココカラファインと同じ特徴が見えてきた。それが「風格」だ。

継ぎ目から10年間の重みを感じる。デザインは継ぎ足さずに使っております。

入口は新旧混じったデザインになっていた。赤い帯がはがれかけていて思わず応援した。

ちなみに、店内はいたって普通だった。
吉祥寺店との違いは、駅前ではないのでお客さんが3人ほどで静かだった点だ。心なしか進む時間が穏やかだった。こういう場所なら静かに暮らせそうだ。

朝霞には、また吉祥寺店とは違った良さのココカラファインと出会うことができた。

 

ここからは蛇足になるが、帰り道に看板を見つけた。

地域の看板、よくあるやつだ。

こういう標語の看板はよく見るものだ。でも、実際知らない人に挨拶する街ってそうないよな。そんなことを考えながら歩いていると、

「こんにちはー」

えっ?

目をやるとそこにはお店の前に立ってる笑顔のお姉さん。思わずあせって会釈しかできなかった。

さらに50メートルほど歩いたころだろうか。

「おかえりなさい」

今度声をかけてくれたのは交通整理をしていた警察のおばちゃん。

「ただいま」

思わず返事していた。これから電車で帰るところだけど。

朝霞、優しい街だった。便利なドラッグストアもあるし餃子の満州もあるし、もし埼玉に住むことになったらここにしよう。

よさこい祭りの季節にも行ってみたい!

 

ここからさらにマニアックな話

さて、パラレルワールドココカラファインが吉祥寺と朝霞に残っていることがわかった。となると気になるのは「デザイン違いのココカラファインは全部で何店舗あるのか」だ。

試しに会社に問い合わせてみた。翌日に返事が来た。

現在、数店舗にて色合いの違う看板等が採用されております。

なるほど。ならば自分で調べてみるしかないな。

さて、調査結果を先に言おう。パラレルワールドココカラファインは全部で9店舗残っていることがわかった。

 

9店舗にたどりつくためには、「現在のココカラファイン」が誕生するまで歴史をなぞる必要がある。この流れ、さっきと同じだ。

さらに深い話になるが、ぜひついてきてほしい。

 

いったんおさらいをしよう。

ココカラファイン1号店が開店したときの状態を復習だ。

2012年に旧ココカラファインの店舗が吉祥寺にはじめて生まれた。しかし、そのデザインは現在と違ったものだった。

では、ピンク色のココカラファインはどうやって生まれたのだろう

 

ココカラファインが再編成される(2013年4月)

吉祥寺南口店が生まれた翌年のことだ。ココカラファインに激震が走った。

今まで子会社でバラバラだった各薬局を全部一つの会社にまとめたのだ。こうして新会社「ココカラファイン ヘルスケア」が生まれた。

この変化にともなって生まれたのが現在のココカラファインのロゴだ。

会社の変更と同時に新たな方針が生まれた。現在の店を「ココカラファインブランドの店に変えていく」ということだ。

全薬局ココカラファイン計画。

本題に戻ろう。パラレルワールドココカラファインについて、こうは言えないだろうか。

ココカラファイン1号店が生まれた日」から「ココカラファインが再編成された日」の間に開店した「ココカラファイン」はデザインが今と違っているはずだ。

こんがらがってきたので図にしてみた。ちゃんと伝わっているだろうか。

 

パラレルワールドココカラファインは13店舗存在した!

ということで、2012年5月~2013年4月の間に開店したココカラファインを知りたい。が、どうやって調べればいいんだ。教えてグーグル先生!

グーグル「あいよ! これはどう?」

あるんかい。こういうときインターネットがある世界で良かったって思う。

で、調べてみた結果が先ほどの結果につながる。一覧にしてみた。

つまり、パラレルワールドココカラファインは13店舗あった。そして9か所は今も当時のまま残っている!

東の茨城から南の福岡まで、こんなに広い範囲で残っていたのか。

 

終わりに

2021年、ココカラファインマツモトキヨシが合併し、新たに「株式会社マツキヨココカラ&カンパニー」が誕生した。ただしブランドはそれぞれ別々のものを使っている。

この展開、ココカラファインの始まりと一緒だ。ということは、将来はまた「マツキヨココカラ」の実験店がどこかに生まれるかもしれない。

人は時間とともに変わっていく。街も変わっていく。そしてココカラファインも変わっていく。人生と同じだ。

だからこそ、そんな歴史の小さな一ページをここに残すことができて満足だ。

最近クローバーマークがあると目で追ってしまう。

 

さらに見つかってしまった

さあ、謎は解けた。満足しながら画像検索していたときのことだ。PCに向かっていて思わず「えっ」と声が出た。

別の「パラレルワールドココカラファイン」を見つけてしまった。

しかもオレンジ色だ。調べたところ、どうやら2012年11月には「ドラッグセガミ」からリニューアルしたっぽい。

つまり、「旧ココカラファイン」の新規開店と並行して、系列店の一部も「ココカラファイン」としてリニューアルしていたのか。

パラレルワールドココカラファインは13店舗より多かったのだ。

今のところわかっているのは「香里ケ丘店」「苅田店」「瓢箪山店」の三つだ。もし他にもあればぜひ教えてほしい。

伊東の名士・伊東祐親が親しまれてきた理由をたどろう【114年前のガイドブック旅 番外編】

 

先日、114年前のガイドブック『伊豆新誌』を使って伊東の街を歩く記事を書いた。

dailyportalz.jp自然と歴史に温泉、そして景色。彼らの一部は現代を生き残るために形を変えつつも、多くは昔と同じ姿で迎えてくれた。

今回は、その中から削った場所を「番外編」として紹介する。

 

地元で慕われている名士をたどろう

本編では、伊東に島流しにされた源頼朝ゆかりのスポットを歩いた。でも、『伊豆新誌』の伊東のページに書かれている武将はもう一人いる。

それが伊東祐親(すけちか)だ。

駅前の看板にも名前が出ていた。それほど伊東では有名なのだ。

その慕われ方には相当のものがある。今でも「伊東祐親まつり」と名前がついたお祭りが残っているなんてなかなかあるものじゃない。

さて、散策を始めよう。

本によると、伊東祐親の住んでいた場所が残っているらしい。さっそく行ってみよう。

駅から歩くこと20分。小高い広場にたどりついた。

休日にお父さんと子どもがキャッチボールをしてそう。

目に入ったのは広場右側の台座だ。どれどれ。

伊東祐親の銅像を発見!

勇ましい祐親の姿がそこにあった。でも、どこか違和感があった。銅像の後ろを見てほしい。やたら近代的な建物がそびえている。

せっかくの祐親ゆかりの地に、彼の存在感を打ち消すような立派な建物を建てるのはありなのだろうか。

 

一体何の建物だ。確かめてやろう。

スマホの地図アプリで建物の場所を見る。思わずうなずいた。そういうことか。

正体は「伊東市役所」だった。

イメージが180°ひっくり返った。市の中心の場所である市役所は、伊東祐親ゆかりの地に作られていたのだ。かつて伊東の中枢だった場所が、今も中心であり続けている

そして市役所の横には今でも伊東祐親がいる。伊東の町では、今でも祐親の人生が息づいているのだ。

 

伊東祐親が人気な理由を探ろう

彼が人気であることはよーくわかった。となると気になってくるのが「祐親がなぜここまで人気なのか」だ。これを解くために次の場所へ向かおう。

実は、伊東祐親と源頼朝の間には大きな因縁があり、それが慕われる大きな理由につながっているとか。

ここでちょっと歴史の話をしたい。

伊東祐親が領主として治めていた期間は、ちょうど頼朝が流されてきたときと重なっている。つまり、「見張っとけ」と言って平氏が頼朝を伊東氏に預けたということだ。

急な階段を下って森の中へ。

で、思い出してほしい。密会していた音無神社の頼朝だ。ここで問題が生まれる。頼朝が密会していた相手はその「伊東祐親の娘」だったのだ。

それだけなら良かったのだが、果てには頼朝の子を出産するまでの関係になってしまう。

こんがらがってきたので図にしてみた。

平氏にばれたら無事ではすまない。そう思った祐親は、生まれた子を川に流すことにしたという。

今回向かう「とどろきが淵」は、子を流したと伝わる場所だ。

グオーっと低音がだんだん大きくなっていく。すぐに川べりに到着した。

いい景色だ。でも、子どもが流されていった場所でもある……。

思ったのは「これは助からん……」ということ。ぐごごごと荒ぶる流れと柱状に割れた崖の美しさと悲しい話が頭でぐるぐると渦を巻いていく。

もっと知られてもいいと思う。

絵葉書になっていそうな隠れた名所だ。それだけに悲しい出来事との対比に思わず足が震えた。

ただ、人気の理由は見えた。平氏への忠義を貫き通したまっすぐな心根に惹かれているんだ。

 

伊東祐親のお墓へ

最後に向かうのは、伊東祐親のお墓だ。

伊東祐親と頼朝の話には悲しい続きがある。歴史を思い出してほしい。このあと源頼朝平氏を滅ぼし鎌倉幕府の将軍として活躍していく。

すると微妙な立場になるのが、平氏からの命を受けていた祐親だ。いろいろあった末に、祐親は頼朝に捕らえられることとなる。その後頼朝は祐親に許しを出す。

しかし、祐親は平氏への義理を通すために受け入れずに自害してしまうのだ。

街の中にひっそりとたたずんでいた。鎌倉時代末期に建てられたものがそのまま残っている。

首を下に向けると、花々や飲み物や硬貨とお供え物が目に入る。主である平氏のために子を川に流し、誇りを守るために自害までしてしまう。

現代以上に不安定な時代にまっすぐに生き抜いたその姿がとても大きく、まぶしく見えた。

よく見ると造花だって思って写真を撮ったけど、そんなことはどうでもよろしい。

 

伊東、いいぞ

伊東祐親という町の基礎を築いた一人の武将がいた。彼は840年たった今でも町の人に慕われている。

今回、その生きざまを114年前の本を使ってたどることができた。840年前と114年前と現代。三つの時代はどれも比べられないほど違うはずなのに、今回それぞれの時代の人と同じ場所を歩いたような、そんな不思議な感覚を味わうことができた。これだから歴史と街歩きはおもしろい。

ちょっと固い文になってしまったが、伊東の良さが少しでも伝わればうれしい。

とどろきが淵の近くの廃神社が味わい深かった。

「自由ポータルZ」に掲載された記事を振り返ってみる

 

2022年1月。自由ポータルZに送った記事が5回目の入選をした。そして今、デイリーポータルZに体験執筆として2本の記事を送り出し、少し一息ついているところだ。そんな今だからこそ、自由ポータルZを振り返ってみたい。

今回は自分の足跡を辿ってみます。

 

おもしろ記事が好きだった

ムダにも見えることを全力でしているネットの文章が好きだった。自分もなにか楽しいことをしてみたい。そう思って大学では広報誌を作る委員会に入った。割と自由な雰囲気の組織で、記事のためにサバゲーをしたり徹夜をしたり東京から江の島までチャリで旅行したりとたくさんの思い出ができた。もちろん大変なことも多かったけどそれはそれ。

せっかくだから卒業前に力試しをしてみたい。そんなとき目の前に現れたのがオモコロとデイリーポータルZ共催の「おもしろ記事大賞」だった。最後の春休みを使ってこのブログを立ち上げ、散歩して拙い文章をひねり出し、応募ボタンをぽちり。

tenyard.hatenadiary.jp結果はまさかの佳作! こうして満足感とともに社会人生活が始まった。

 

慣れない仕事に忙しい日々。文章は書き続けていたい。でも何を書けばいいんだろう。そこで、とりあえずガジェットのHPを作ってみることにした。しかし、続けていて見えてきたのは「記事は書けるけど自分が楽しめてないな」という悲しい事実。

そのせいというわけではないけど、いわゆる「おもしろ記事」っぽいやつも気が向いたときに書いていた。年に一本ぐらいのペースだ。

文章を書くためにはネタが必要だ。自分が楽しめる、没頭できるものを見つけたい。そう思って色々手を出してみた。登山道具をそろえてみたり、暗渠道について深く調べてみたり、幅広くスマホゲームを試してみたり。

しかし、見えてきたのは「全部深くまでできない」という悲しい事実だった。登山をしても毎週行くようなモチベーションにはならなかったし、暗渠もすでに本を出しているような人には敵わないしそこまでの熱意はない。スマホゲームも飽きた。

結局わかったのは、「自分は一つのことを深めるのに向いていない」ということ。じゃあ自分が楽しめる場所はないのか。これという趣味がないから、卒業後に増えたツイッターのフォロワー数は0だ。

何か自分の核がほしい。

 

新人賞に応募しよう

閉塞感を感じながらも、細々とおもしろ記事を仕上げようとしていた日のこと。「DPZ新人賞2020」が目に入った。

dailyportalz.jp

ときはコロナ禍。遠出もできないしやってみるか。

結果は落選。でも、中間発表では選ばれた。さらに自由ポータルZに応募したら入選した。ここで気づいた。もしかして、このままおもしろい記事を書いてたらいけるんじゃないか? よし、もっと書いてみよう。

こうして新しい挑戦が始まった。

 

掲載されていた記事を振り返る

さて、ようやく本題だ。自由ポータルZに載った記事を振り返っていこう。送ったのは全部で13本。そのうち掲載されたのが10本だった。当時の心情とともにお送りします。

(題名が記事へのリンクになっています)

 

1. 杉並に点在する「遊び場」の正体に迫る!(入選)

dailyportalz.jp先ほども紹介した通り、最初に手ごたえをつかんだ記事だ。あまりに構成が難しくて読みやすさまでまったく手が回っていなかった。ただ、当時の自分のベストは出し切れたので悔いはない。

論文みたいに固い記事だったけど「おもしろがり」の力を評価してもらえたのが心に響いた。そして課題が見えた。今自分に足りないのは文章をおもしろく書く力だ。そこで、noteを開設し文章を毎日更新する挑戦を始めることにした。

 

2. 中野に大正時代の刑務所の跡が残っていた(もう一息)

noteの毎日更新を1.5か月続け、ちょっとは文章力が上がってきた。そんなときネタ探しに古地図を眺めていると、中野駅の近くに謎の建物があるではないか。調べると、当時刑務所があったという。さらに、「レンガ片が残っている」という噂も見つけてしまいこれは私、気になります! 実際に行ってみると、そこに広がっていたのは想像を上回る光景だった。これはいける。よし、書こう。

なんとかできた。今回からは、大学の友人に見せることにした。一緒に編集をしていただけに容赦ないアドバイスをもらえる。ダメージは受けるけどめちゃくちゃありがたい。修正し、公開だ。

dailyportalz.jp結果は「もう一息」。今回驚いたのがアドバイスの熱量だ。「盛り上がる記事の書きかた」「おもしろい文章の書きかた」を長文でめちゃくちゃ具体的に書いていただけているではないか。これは活かすしかない。

 

しかもこの記事、あとからちょっとしたご褒美があった。はてなブックマークでちょっとバズったのだ。3桁もブックマークがついてコメントにはたくさん肯定的な感想がずらり。よし次もやるぞー。

 

3. 防災無線は地域の歴史の生き証人だ(入選)

DPZの18周年記念に合わせて、自由ポータルZで「棒」の記事を募集するという。何を書こうか。ふと浮かんだのが、「遊び場」を調べていたときに見つけた不思議な防災無線の姿だった。

決まればあとは実行のみ。防災無線を見に近所を歩き、ネットの情報をもとに埼玉まで遠征した。前回のアドバイスを活かし文章と構成をひねり出して、形ができあがった。

dailyportalz.jp結果は入選! しかも前回の改善点を意識して書いたところもほめていただけているではないか。現状の課題も見つかり、さあ次もがんばるぞ。

このあたりから、「入選5回目指してみるか」と意識するようになった。

 

4. 一人で「だるまさんがころんだ」をしたら友達ができた(もう一息)

大学で広報誌を書いていたメンバーと通話をする機会があった。そのとき、同じ題材でそれぞれ記事を書いてみようかって話になり新しい企画が立ち上がった。

決まったテーマは「一人でできるかな」。コロナで集まれないから一人で楽しめることをやってみようって流れだ。そこで、今回はじめて工作系のテーマに取り組むことにした。

工作の能力はないけど作るのは好きだ。こうして生まれたのが「一人でだるまさんが転んだ」をするゲームだ。できたはいいけど楽しんでもらえる構成が思いつかず、今回も頭をひねり続けた。その結果生まれたのがだるまくんに人格を持たせる構成だ。さて、おもしろがってもらえるかな。

dailyportalz.jp結果は「もう一息」……。直していて自分でも何がおもしろいかわからなくなっていたし、仕方ないか。

 

しんみりしていたら、思わぬ方向から反応があった。何となくニコニコ動画に上げてみたら運営さんにピックアップしてもらえたのだ。

news.livedoor.comまさかライブドアニュースデビュー! おもしろがってもらえたみたいで良かった。

 

5. 都会にある沖縄の魔除け「石敢當」が個性的でおもしろい(もう一息)

2021年になった。今年の目標は「入選5回の達成」だ。noteでこっそり宣言した。

次は前から気になっていた「石敢當」をテーマに書こう。防災無線のために遠征したときとか散歩でちょこちょこ目に入っていて、気になっていたんだよね。

dailyportalz.jpもう一息だったけど、割と悪くなかった出来だと思う。ただ今までの記事と違って熱意は少なかったかも。

 

この記事で5か所の石敢當を紹介した。そのあとも記事のネタのために東京の様々な場所を散歩し、1.5年がすぎた。しかし、石敢當はあれから2か所しか新たに見つかっていない。なぜ5か所も普通に見つかったのか、今思うと不思議だ。

 

6. 川沿いにあるスピーカーの謎を解いたら洪水との戦いが見えてきた(入選)

2回連続のもう一息。次の方針を考えていたとき、「オモコロ杯2021」の発表があった。結果は防災無線の記事が銅賞に! しかし心は晴れない。本当にこれで良かったんだろうか。おもしろい記事じゃなくて受けやすい記事を送ってしまったんじゃないか。

omocoro.jpよし、今度は受けるかじゃなくて自分のやりたいことをとことんやってみよう。頭に浮かんだのが「水位警報機」だった。

やることが決まった。しかしこれまた調査が大変で、資料が少ない上に散らばっていて着地点が見えてこない。川と図書館とネットの海を泳ぎ回る日々。構成もこんがらがってどうすればいいんだ。

でも、思いつめることはなかった。遊び場をまとめられた自分ならできる。なによりパズルのピースを埋めるみたいで楽しい。こうして新しい記事が生まれた。

dailyportalz.jp結果は入選! 手ごたえがあっただけにそっとガッツポーズをした。

 

後日この記事をオモコロ2022に送ったら銅賞を受賞できた。思い出の記事だ。

 

7. 阿佐ヶ谷駅にある張りぼての「素朴さ」を愛でる(入選)

たしか2018年だっただろうか。自由ポータルZのアドバイスに「定点観測してみよう」とあった。楽しそう。そう思い当時やってみたけど、掲示が中断されてしまい書きそびれていたネタがあった。しかし、夏のある日にその場所を通ると復活しているではないか。これは書くしかない!

記憶をたどり必死におもしろさを練り、脚色を加え、問い合わせをしてできあがったのがこの記事だ。

dailyportalz.jp入選でべた褒めされている! このとき投資の勉強をしていて、記事書いててもお金にならないから別のことをしたほうがいいんじゃないかと考えたりもしていた。でも、3回入選したし書いてて楽しいからこのまま続けよう。そっと背中を押してもらえた。

 

8. 「けなげ組」がいなくなってさびしいからAIの力で新しく作りたい(もう一息)

街歩き要素のない記事、その2。

今まで記事を書いていて気づいたものがある。どうやら自分は「防災無線」とか「石敢當」とか、普段人が気づかないようなものにスポットを当てたくてたまらない性分らしい。つまり、「けなげなもの」が好きということか。はっ! けなげな存在、亀田の柿の種にいたよね。

調べてみると5年前に幕を閉じ、さらにけなげな存在になっていた。ならば僕がスポットを当てるしかない。みなぎるやる気。こうして無理やり(?)ひねり出したのがこの記事だ。

dailyportalz.jp「もう一息」だったけど、自分でも構成がもっと良くできそうと思っていたのでこれは納得だ。ちなみに、けなげ組への想いが高じてそのあと番外編の記事を二本も書いている。

 

この記事、狂気記事王決定戦に応募したら優秀賞を受賞した。世界に届け、けなげ組の良さ!

 

9. 「ご自由にお持ちください」を観察すると「人生」が見えてくる(もう一息)

街歩きしていておもしろそうなものを写真に撮っていて、「ご自由にお持ちください」の写真がたまってきたのに気づいた。となるとあとは切り口だ。考えた結果、「その持ち主の人生が見えてくる」ことに着目して書くことにした。石敢當もそうだけど、こういう紹介記事は構成がシンプルで書くのが割と簡単だ。

dailyportalz.jp結果はもう一息。書くのは簡単なだけに、もっとおもしろがってもらえるようサービス精神旺盛で書いたほうがいいか。また新しい視点がもらえた。

 

10. 天下一品カップ麺を「天下一の環境」で味わおうとしたらやりすぎた【反省】

2021年が終わった。実はこのあと一つ記事を書いたけど、まさかの選外……。三作連続で入選を苦し、年内5回の目標は未達成となってしまった。次こそは入選したい。よし、次は久々にガッツリ街歩き調査をやりますか。11月と12月は土日にひたすら東京の街を歩き回った。ネタもそろった。しかし、いつものことだけど構成が難しい。時間だけがすぎていく。

 

そんなとき、弟に初日の出を見に行くことを誘われた。せっかくだから記事のネタになることしたいな。そうだ、天下一品カップ麺が発売されたんだっけ。山頂で食べたらおいしそう。

こうして軽い気持ちで実行した登山は、計画・道具・体力ともに反省点ばかりのものとなってしまった。ギリギリやりたいことはできたけど、これ書いたら山好きの人に怒られるやつだ……。

でも書かないのはもったいないからとりあえず作ってみるか。最近調査ばっかりして頭が凝り固まってるし、気分転換にちょうどいいや。こうして肩の力を抜いて新記事ができた。書いてて楽しくなってきたし、自由ポータルZにも送ってみよう。

dailyportalz.jpまさかの5回目入選だー! 「人生をオリジナルな方法でエンジョイしている素敵な記事」ってすごくほめられてる気がする。

ただこの記事、アドバイスを読んで反省した。もっといい記事の終わらせ方があったなと。そういう意味では、今日紹介した中では一番手直ししたい記事だったりする。

ちなみに、情報を集めていた街歩き記事は戦争の話がからんでいるため、しばらくは寝かせておく予定だ。

 

振り返ってみて

その気になって文章を書くようになってから2年がすぎた。「一つのことを深めることができない」という自分の弱みは、気づいたら「色々なことに興味を向けられる」という強みになっていた。一人も増えていなかったフォロワーは記事つながりでちょっとずつ増えていき、一部の人とは実際に会うまでになった。

明らかに張り合いができて毎日が楽しくなった。ありがとう。

 

改めて振り返って感じたのは、「自由ポータルZ、すごい」の一言だ。プロの人が無料で自分一人へ向けてアドバイスしてくれる機会なんて普通はない。無料でいいんですか。しかもそのおかげで文章や構成から小手先のテクニックまで本当に多くのことを吸収できた。本当にありがたい場所だ。

あとは、「なんだかんだ楽しんで書いてたんだな」ということも発見だった。これを書く前に頭の中で振り返ると、いい文章が書けず苦しんでいたことが印象に残っていた。でも実際はそれだけじゃなかった。毎回ワクワクするテーマを見つけてパズルのように構成を考え、苦しみながら文章を書いたあと、時にほめられて舞い上がる。楽しいからこそ10本+αも続けられたんだろうな。

もし少しでも「おもしろい記事を書いてみたい」って人がいれば、自由ポータルZ、オススメです。

社会で生きる力をベイブレードから教わった

小学生のころ、ベイブレードにドハマりした。放課後には兄弟でひたすらコマをぶつけ合い、休日はおもちゃ屋に突撃する日々。当時はただ夢中だった。でも、今振り返ってみると思うのだ。あのとき、ベイブレードから「社会を生きるために必要な力」を教えてもらってたんだなって。

 

衝撃の出会い

出会いは2000年の秋のこと。兄弟で参加してるプール教室の帰り道だった。途中で通るおもちゃ屋で目に入ったのは、プラスチックのスタジアムと二つのコマ。

 

「『ベイブレード』っていうのよ。お試し用を置いてみたからやってみて!」

 

おもちゃ屋のおばあちゃん。さっそくやってみよう。コマにシューターをセットする。スタジアムに向かって構え、それぞれプラスチックのひもを力いっぱい引っ張る。

 

ゴスッ ズオォォーン!

 

クールな風切り音を響かせ回るコマ。そして戦いが始まった。

 

ガキン! ガガ!

 

互いに一歩も譲らないベイブレードたち。がんばれ。負けるな。気づいたら身体を乗り出していた。

もっとやってみたい! こうしてベイブレードを遊ぶ日々が始まった。

 

始まったベイブレード争奪戦

あのあとスタジアムを買った。ベイブレードも買った。これで存分に家で遊べる。あとはベイブレードをもっとそろえたいな。

 

2001年1月。

そうこうしているうちにアニメが始まった。バックグラウンドが異なる少年たちが集まり、それぞれの思惑がぶつかりながらも世界一を目指していく王道ストーリー。ハマった。毎週月曜の夜、テレビにかじりつくのが習慣になった。今でもオープニング曲はそらで歌える。

 

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アニメといえばこの四体! 見た人には伝わるやつ。

 

もちろんそれは僕らだけじゃない。

"ビッグバン" が起きた。ベイブレードの人気爆発だ。

 

にやり。わかってたよ。人気が出たってことは新製品もさらに力を入れてくれるだろう。いつもより心なしか大股でおもちゃ屋に向かう。我、ベイブレードの先輩ぞ。

 

しかし、迎えてくれたのは「ベイブレード売り切れ」の文字。

そう、この時期からベイブレードは品薄になっていった。ベイブレードがほしい。でもめったに売ってない。当時はネットの情報もない時代。たよりになるのは己の足。

こうして、在庫を求めて近所のおもちゃ屋をさまよう日々が始まった。

 

ベイブレード品薄狂騒曲

ある日、いつものようにおもちゃ屋に足を運ぶ。店の入り口が見えてきた。そこには見覚えのある箱が!

ちょうど両手に収まるサイズの直方体。パッケージには円形のコマと雷っぽいかっこいいデザインの箱。間違いない。ベイブレードが入荷したんだ。

陸上選手顔負けのスピードで近づく。手に取る。よし、レジへGOだ!

 

「お願いします!」

 

レジに箱を置く。置いた姿勢のまま固まる。

パッケージに違和感。なんだこれ。

よく見ると、レジにあるのはベイブレードっぽいけど違う何か。今風に言うと「異世界転生したベイブレード」みたいな。

見慣れぬ漢字が並んだパッケージ。そこに平仮名とカタカナは一文字もない。

そう、これは「海賊版ベイブレード」だったのだ。

 

しかたなく買ったけど、シューター(ベイブレードを回すやつ)の歯車が引っかかったりでいろいろ微妙だった。

 

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海賊版の部品(ウェイトディスク)を久しぶりに取り出してみるとヒビが(画像左)。

 

何事も、変に安いものを買うより正規品が一番。今思えばこれを最初に学んだのは海賊版と出会ったあの日だった。

 

再びのトライ

また別の日。今度こそ正規品のベイブレードを手に入れるぞ! と意気込んだ目に入ったのは、見覚えのある箱。なじみのある漢字とカタカナが混じったデザイン。今度こそ正規品だ! ありがとうおもちゃ屋のおばあちゃん。感謝の念を送りながら箱を手に取る。

 

持ちあがらなかった。重い。なんで?

 

もう一度、今度は両手でしっかりと力を入れる。

持ち上がったベイブレードの背中には、「パラッパラッパー」の人形がくっついていた。逆コバンザメ状態。

そう、このベイブレードは人形とセットで売られていたのだ。申し訳なさそうに背中を縮こませるおもちゃ屋のおばあちゃん。どうやら仕入れのときにそういう条件になっていたっぽい(確証はないけど)。

ベイブレードが遠ざかっていく。こうして「セット販売」という言葉の記憶をおみやげに、手ぶらで自宅に帰ることとなったのだった。

 

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あまりに手に入らなくてベーゴマを買ったりもした。これはこれで楽しい。

 

今でも、契約とかでいろいろセットにしてくるものがある。でも、そのたびにあの人形の重みがよみがえって不思議と強く断ることができる。ありがとう、パラッパラッパー

 

お祭りで三度目のトライ!

ベイブレードの入荷を待ちわびる日々。季節は夏になった。夏といえば祭りだ。ゲーム機とかレアカードとかの一攫千金がかなう、小学生にとっては年に一度の晴れ舞台。決して負けられない闘いがそこにはある。いざ、夏祭り、尋常に勝負!

 

鳥居をくぐる。親からもらった500円を握りしめ参道を歩く。たこ焼きやチョコバナナの屋台がこっちにおいでと香りを放つ。ごめん、今日は出番じゃないんだ。目指すは一つ、景品が当たる屋台だ!

 

一つのお店で思わず足が止まった。一歩も足が動かせなくなった。そこには "ベイブレードの天国" があった。度肝を抜かれたのは屋台のデザインだ。屋台の壁がすべてベイブレードの箱でできているではないか。いくつあるんだろう。ベイブレードの箱はだいたい10センチ四方。そして壁の大きさが1メートル×1メートルとすると、100台!!

しかも箱はそれだけじゃない。背面だけじゃなく、右面、左面にもベイブレードがびっしり。つまりここには300台以上のベイブレードの箱がある! ベイブレード曼荼羅だ。

 

闘いの舞台が定まった。ここだ。ベイブレードをゲットしてやるんだ。

深呼吸し説明を読む。

ベイブレードくじ 1回100円」

じゃりり。100円硬貨を握りしめる。絶対当ててやる。背筋を伸ばす。今度こそ手にしてやるんだ。

 

「1回お願いします!」

「あいよ!」

 

強面のおっちゃんにもひるまず堂々と申し込んでやった。くじの箱に手を入れる。今日はゴッドハンドになるぞ。手を引きあげる。手に握るは三角の紙。いざ、結果は……!

 

「はずれ」

 

「はずれの景品はこれな」

負けた……。はずれでもらえるのはプラスチックのコマ。正直ちゃっちい。ほしいのはもっと "クール" なコマなのに。

 

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いかにも子どものおもちゃっぽいデザインだ。

 

思わずひざをつきそうになる。が、ここはこらえて立ち上がる! 誰がこれで終わりだといった? そう、まだ手はある。お小遣いはまだ残っている。あと4回、俺のターンは残っているぜ!

 

背筋を伸ばし、再びおっちゃんと相対する。さあ、続きを始めよう。

 

2回目「はずれ」

3回目「はずれ」

4回目「はずれ」

 

ぐぬぬ……。健闘むなしく(?)ベイブレードとは似ても似つかぬコマだけが増えていく。勝負はあと一回。こうなったら引き下がれない。もう、使い切るまでだ。拳をグイッと握る。これをガッツポーズに変えてやるんだ。

 

さあ、ラストバトルだ。

 

「はずれ」

 

半泣きになった。さすがに泣くのはこらえたけども。貴重なお小遣いが吹っ飛んでいった。今、お祭り会場で「哀愁ただよう姿」を競ったら優勝できる自信がある。

背中を丸め、屋台に背を向けた。

 

「ちょっと待ちな」

振り返る。声の主は怖い顔をくしゃりとくずした笑顔のおっちゃん。

「がんばってたしな、これやるよ」

と、手にしたのは――

 

10センチ四方の箱。パッケージの中央には円形のコマ。間違いない。ベイブレードだ!

「ありがとうございます!」

思わず飛び跳ねた。受け取る。よし、結果はどうあれ手に入れた! 目標達成だ。スキップで背中を向ける。

 

1分後、ちょっと落ち着いてきた。そういえば、どんなベイブレードが手に入ったんだろう。ちゃんと見てみよう。手に持ったベイブレードを目の前に掲げる。

 

そこにあったのは、見覚えのある漢字の羅列。

そう、もらったのは海賊版ベイブレードだった……。

さすがに子どもながらに悟った。大人の社会って、きれいごとだけじゃないんだなと。

 

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はずれのたびに増えていった謎のコマたち。

 

中学・高校と進むにつれ、趣味の中心はカオスなインターネットに姿をかえた。一歩足を踏み外せばウィルスやあやしい請求が手ぐすね引いて待っているまさに地雷地帯。そんな場所を大きなトラブルなしに潜り抜けてこれたのは、間違いなくベイブレード屋台で身についた「疑う力」のおかげだ。

 

それでもベイブレード嫌いにはならなかった

様々な経験が大人にしてくれた。でも、そんな目にあっても不思議とベイブレード自体を嫌いになることはなかった。なんならベイブレード(第一世代)のコンテンツが終わるまで買い続けた。

なぜここまで熱中できたんだろう。一つ浮かんだ言葉がある。「遊び心」だ。

 

世の中にはたくさんのおもちゃがあるが、ベイブレードほど「遊び心」にあふれている商品を僕は知らない。

 

コマの攻撃力を上げるために軸をゴムにしたり金属球にしたり。

スタジアムとベイブレードにマグネットをつけて戦略性を上げたり。

ネジ巻きを入れることによって途中で回転を復活させたり。

ラジコンで回転をコントロールできるようにしたり。

 

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ちょっと触るだけでもギミックが楽しい。これはネジ巻きのやつ。

 

いや、言いたいのはこういうんじゃない。ベイブレードにはたまに「ぶっ飛んだ発想のもの」が混じっていた。それらには目を見張るようなギミックがあるのだ。

 

巨大なプロペラをつけてみたり。

火打石を入れて火花が出るようにしたり。

バネを入れてびよんびよん飛び跳ねるようにしたり。

 

これらの多くは正直弱い。でも問題はない。たとえ弱いのだとしても、ギミックにこんなにワクワクできるんだから。

この無限の遊び心、これこそがベイブレードのおもしろさの本質。そう思うのだ。

 

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プラモデルに力を入れすぎてベイブレードが脇役なものもあるよ。

 

あれから20年近くがすぎた。ベイブレードはあれから二度も復活をとげ、いまだに人気コンテンツの一角を占め続けている。息が長いコンテンツは世の中にたくさんある。でも、それらには復刻だったり当時遊んでいた大人をターゲットにしているものが多い。

一方でベイブレードのターゲットは毎回子どもだ。ここまできれいに世代交代をくりかえすことができるのも、やはり遊び心の力なのだろう。

 

終わりに

今でも仕事で手一杯になったとき、いろいろ行き詰ったときには頭の中でベイブレードが回りだす。それをながめるとハッと気づかされるのだ。今、遊び心を忘れていないか。楽しんで生きることを忘れていないかと。

ありがとう。今日も社会に揉まれながらなんとか楽しくやっていけているのは、ベイブレードのおかげだ。

 

天下一品カップ麺を「天下一の環境」で味わおうとしたらやりすぎた【反省】

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天下一品が大好きだ。ある日、突然のニュースに目が釘付けになった。天下一品カップ麺が発売されたのだ。気になる。どうせなら全力で味わいたい。天下一な場所で天下一品を食べたい。全力で張りきった結果、やりすぎた。

今回は、自戒の念をこめてこの文を記す。

 

● ● ●

 

2022年1月1日 7時12分。山頂近くの避難小屋に身をすべりこませる。

 

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気温計の針が指しているのは-5℃。厚い手袋をしているのに冷えきった手。足元は氷のように冷たく、両脚は鉛のように重い。こわばった手で「天下一品カップ麺」のふたをはがす。

リュックから水のペットボトルを取り出す。振るとシャリシャリした音。シャーベットになってる。ボトルをぐいぐい押して何とかひねり出す。バーナーでお湯をわかす。

どうしてこんなことになったんだっけ。話は3か月前にさかのぼる。

 

「天下一品カップ麺」に向き合いたい

「天下一品」を知っているだろうか。麺をすするだけでスープが半分減るほどのドロドロ濃厚スープが特徴のラーメン店のことだ。食べるたびに脳天を殴られるような衝撃が口内に飛びこんでくる。

毎回ふらふらしながら食事を終え、そのたび思うのだ。「また来よう」と。

 

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ここまで店名とラーメンが一致している店はあるだろうか。いや、ない(反語)。

 

2021年9月。突然、天下一品のカップラーメンが発表された。ほほう。天下一品好きとしてはぜひ賞味してみたい逸品、いや一品だ。

しかし、コンビニでいざ実物を見たとき、伸ばした手が止まった。あのオンリーワンを地で行く天一を普通に味わってていいものだろうか。

この現代社会において、第一印象はとんでもなく重要だ。全てが決まるといわれることがあるほど。そして天一カップ麺をはじめて味わえるのは一度きり。

その一度を、普通の食事として食べていいものだろうか。そんなはずはない!

 

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けっきょく買っちった。

 

存分に味わうにはどうすればいいだろう。ラーメンをおいしく感じたタイミングを思い出してみるか。

まっさきに浮かんだのは運動のあと。よし、運動して疲れた状態で食べるってのはアリだ。あとは寒い日に食べたカップ麺もおいしかったなあ。

まだ何かあるはずだ。うーん。パッケージを見つめる。そこにあったのは真っ赤な円形のロゴ。まるで初日の出を見たときの清々しさを彷彿させるような。

――それだ!

 

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どう転んでもおいしくいただく未来しか見えないシチュエーション!

 

こうして、「天下一の山に登って初日の出を眺めながら、天下一品カップ麺を食べる」計画が始まった。

ポイントは「寒さ」と「運動」と「絶景(初日の出)」の三つだ。これを「天一味わいの法則」と名づけよう。

 

天一味わいの法則●

天下一品カップ麺を存分に楽しむためには、以下の三要素が必要である。
① 寒さ
② 運動
③ 絶景

 

行き先は東京で一番高い「雲取山にしよう。この時勢に遠くまで行くわけにはいかないし、雲取山なら3年前に初日の出を見ようと夜通し歩いた経験もある。この時期ならちょうどよく寒かったはず。

次はルートだ。前登ったときは、南からのルート(鴨沢)を往復して歩いたんだった。あのときは体力の余裕があった。ならば、今回はさらに距離を伸ばしてみるか。

 

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ルートを地図に起こすとこんな感じ。

 

夜に奥多摩駅に到着。ひたすら西に歩いて雲取山を目指す。山頂でご来光を拝みながら天一を味わう。帰りは南方向の鴨沢に下山してフィニッシュ。これでどうだ。

総距離は30キロちょっと。でも、毎週20キロ走れるぐらいの体力はあるからいけるでしょう。天一のためならお安い御用だ。

今思うと、この判断が大きな間違いだった。

 

20:30 林道を進む

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2020年12月31日。広く空いた電車とホームの隙間をまたぎ、静まり返った改札を進む。奥多摩駅に到着だ。

リュックに入っているのは防寒&雪対策のグッズ、そして天下一品のカップ麺。

天気予報を見る。今の気温は-2℃。厚着のせいか寒くはないけど、山頂はどうだろう。前はアイゼンを使わないですんだけど、今回は出番があるかもしれない。

 

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前を行くのは同行者の弟だ。好きな食べ物は天下一品。

 

さあ、出発だ。

静まり返った奥多摩の街を歩く。店は全て閉店。コンビニさえも眠っている。

 

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しばらくの間、さようなら文明。

 

すぐに登り坂になった。人里が遠ざかる。ヘッドライトを消すと何も見えない暗がり。ここだけ世界と切り離されてしまったような心細さ。

 

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先に見えるのは反射板だけ。

 

文明から離れていく。ひたすら林道を歩いていく。単調な舗装路。

ふと空を見上げる。わぁ。思わずため息が漏れた。

目に入ったのは三日月とオリオン座、そして無数の星空たち。

 

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写真で伝わらないのがもどかしい……!

 

手を伸ばせば届きそう。

でも、足を伸ばした先に広がるのは暗闇。無事に頂上までいけるだろうか。押しよせる不安。思わず気分も暗くなってくる。

このままではいかん。気分転換とクマよけ対策にラジオをつけよう。この時間は紅白歌合戦をやってるはずだ。

「マ・ツ・ケ・ン サ〜ンバ〜!」

オレ!! めっちゃ元気出た。眠りさえ忘れて歩き明かすぞ。

 

22:00 恐怖の登山道

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舗装路が終わりいよいよ登山道が始まった。視界に入るのはヘッドライトの光と土の坂道。耳に入るのは靴とラジオの割れた音だけ。

ここで誤算があった。道が思ったより細い。肩幅サイズじゃないかってぐらいの頼りなさ。しかも道の片側に続いているのは70°ぐらいの崖。

ちょっとでも油断したら無事で済まない緊張感。怖い。写真を撮る余裕もなかった。

「ああ いつものように すぎる日々に あくびが出る」

ラジオからYOASOBIの「群青」が流れる。かたやYODOSHI漆黒の不安定な道を進む僕ら。「いつもの日々」に帰りたい。日常ってこんなに尊いものだったんだな。

 

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ここは東京都です。

 

しゃく、しゃく。もう地面に雪があった。

事前調査で、山頂付近が積雪しているのは知っていた。でも、ここまで手前に雪があるのは予想外。しかも進むにつれ、雪の量が増えてきた。

靴が沈む。踏みしめる音が夜に溶けていく。

 

ひたすら慎重に足を進める。2021年が終わろうとしている。

「紅組の優勝です!」

今年は紅組が勝ったか。足元は白組なのにな。だんだん頭が回らなくなってきた。目の前に集中するので精いっぱい。

地面の雪が固くなってきた。すべりそう。これ以上このまま進むのは危険だ。アイゼンをつけよう。

 

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一気に歩きやすくなった。

 

ひたすら斜面を登っていく。息が上がる。

ちょっと休む。補給食を食べる。その間に指先が冷える。

また登る。指先が温かくなる。息が上がる。

そのくりかえしだ。

だんだん気温が下がってきた。よし、天一味わいの法則①「 寒さ」は問題なさそうだ。

 

2:00 新たな刺客

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ここで一度目的を振り返ってみよう。今回の目的は、「寒い中運動したあとに初日の出を見ながら天一カップ麺を食べる」ことだ。現在、寒さはちょうどいい感じ。でも、これ以上寒くなったらきついかも。

いやな予感がする。

 

歩き続けて6時間がすぎた。標高は1000mもあがった。さらに寒くなってきた。上着をさらに一枚重ねる。手袋を防風対応のものに変える。ネックウォーマーを取り出す。

休憩。リュックを下ろす。のどが渇いてきた。ポカリのペットボトルに口をつける。中身が出てこない。なんでだ?

ボトルを見ると、中にあったのは氷。ポカリでも耐えられない寒さなのか……。

 

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真夏以外にこの光景を見るとは。

 

リュックを背負う。出発する。手先の体温がなくなっている。指先も冷たい。

5分歩くとようやく感覚が戻ってくる。それだけ寒い。冷えないようにちょっとずつ休むことにする。

写真をちゃんと撮る余裕はもうない。

 

4:00 ようやくの終盤

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山頂がようやく近づいてきた。指先がかじかむ。

一つ、いいことがあった。後ろを振り返ると、小さい光が見える。他の登山者だ。他の人がいるだけでここまで心強いなんて。人は群れる生き物という言葉を今実感している。一緒に頑張ろう。力がわいてきた。

 

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白い道をひたすら進む。

 

もう一ついいことがあった。道が広い。尾根道が多い。もう滑落の心配はない。勾配は急だけど危険な道より断然いい。

ただ悪いこともある。風が吹くようになってきた。足を止めるだけで指先が冷たくなる。ゲームでは一定時間ごとに寒さでダメージを受ける演出があるけど、あれが今実際に起きている。

 

足を動かす。すぐに息が上がる。標高は2000メートル近く。高所のせいだろうか。いやそれだけじゃない。足が動かなくなってきてる。

寒さと疲れ。天一味わいの法則がそろってきた。残りの要素は一つ。あとは「絶景」の中で天一を食べれば目標達成だ。でも、その気力があるだろうか。

 

5:30 避難小屋に到着

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ようやく山頂近くの避難小屋に着いた。歩き始めてから9時間。歩いた距離にして20キロ。小屋前のベンチにへたりこむ。

寒さと疲れで身体が思いどおりに動かない。20年前のASIMOといい勝負のぎこちなさ。

「今日は寒いねぇ」

横にはピッケルを抱えた6~70ぐらいのおじいさんがいた。話を聞いたところ、彼は富士山で初日の出を迎えたことがあるぐらいのスーパー山じいさんだった。その経験をもってしても、今年の雲取山はすごく寒いと。ですよねぇ……。

スーパー山じいが指をさす。先にあったのは温度計。針を見ると、

 

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あとから見返すと温度が撮れてなかった。余裕のなさよ。

 

-16℃だった。今、人生で一番寒い場所にいる。ほえー。すげー。

なんて呆けている場合じゃない。このままじゃ凍えてしまう。

急いで避難小屋に入ろう。扉を開けるともう一つドアが。二重構造。これ北海道で見たことあるやつだ。二つ目のドアをくぐる。

中には暗闇とぼんやりした明かり。

 

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左下の暗がりは土間だ。

 

目が慣れてくると状況がつかめた。5人ぐらいが各々食事をしている。明かりの正体はヘッドライトとバーナーの火だった。しばらく身体を休めることにしよう。

避難小屋にはストーブもない。屋内にも温度計があった。温度は-5℃。外よりましとはいえ、さらに手足が冷えていく。

 

6:10 ご来光

天一味わいの法則」に必要な「寒さ」と「疲れ」はばっちりだ。ばっちりすぎて命の危険を感じる寒さだがそれはそれとして。必要なのはあと一つ。「絶景」だ。

ご来光の時間が近づいてきた。ようやく天一を食べるタイミングがやってくる。山頂に行かないと。

立ち上がる。とたんに感じる身体の重み。気にしないようにして避難小屋の二重戸を開ける。とたんに叩きつけてくる寒さ。

足がすくむ。戻りたい。でも、頂きで天一をいただくためにここまで来たんだろう。がんばれ自分。あとちょっとだ。足を進める。

5分後、ようやく山頂に着いた。

 

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まだ日は昇っていない。日が出るまで待とうか。さあ、その間に天一の準備をしよう。リュックを下ろす。中からバーナーを取り出さないと――

なんて考えは一瞬で消し飛んだ。

ビシバシ吹き付ける風。風をしのげる場所はない。

1分いるだけで指先の感覚がうすれる。足先がしびれる。ほっぺたが痛い。

3分もじっとしていれば無事ではすまない。これじゃあカップラーメンを待つだけで命がけだ。

すぐに結論が出た。小屋に帰ろう。山頂の天一よりも命のほうが大事だよ。

 

風が弱い避難小屋の前に戻る。ここで朝日を待とう。顔が冷えてる。思わず首をすくめる。息が眼鏡にかかる。視界がくもった。1分たっても白いまま。思わず眼鏡をとる。なんと、眼鏡についた水分がそのまま凍っていた。仕方なく眼鏡をしまう。

 

6時49分。

 

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ここで朝日を見ていたのは10人ぐらい。

 

ようやく日が昇った。今年初の日の出。朝日をながめ、ある人は心を洗われ、ある人は1年の決意を新たにする。

「写真撮ったよ! 小屋に戻ろう」
「賛成、そうしよう」

しかし、僕らは違う。裸眼なので見える景色はぼんやり。これ以上冷えないようにと握った手を開きスマホのシャッターを押すことにさえ気力がけずられるこの状況。

急いで避難小屋に身をすべらせた。余韻のかけらもないけど、今は身の安全が第一だ。

 

7:12 天下一品カップ麺を食す!

さあ、いよいよというか、今さらというか本題だ。天一を食べよう。景色を見ながらはできなかったけど、こればかりはしょうがない。寒さと疲れた状態で食べる天一カップ麺、お味はどうだ!

避難小屋にあがる。ロボットアームもびっくりするであろうスローな動きで天一カップ麺とバーナーとコッヘル、水のペットボトルを取り出す。リュックの奥に入れたおかげか水の凍り具合は半分程度。なんとか水をひねり出した。

 

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袋は三種類。開けるために手袋を脱ぐのも地味につらい。

 

かやくを入れてお湯を注ぎ4分待機。ふたを開けたら麺をほぐし液体スープを入れる。さらに特製スープを入れてよく混ぜたらできあがり。

 

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いただきます。

 

いよいよいただきます。ズルズル。もぐもぐ。ゴクリ。
凍った身体にしみこむ温かいスープ。
エンジン切れの身体にオイルがしみこんでゆく。
全身の力が抜ける。思わず目を閉じる。

これが「幸せ」ってやつか。



このあと記憶がない。気づいたら麺とスープはもう胃の中にいた。
おぼろげに覚えてるのは、めちゃくちゃうまかったこと。

長らく忘れていた温かさが戻ってきた。生きるために必要な栄養がしみこんでいく。正直まだまだ食べたい。もしわんこ天一そばがあれば、50杯はいける。

 

8:50 帰ろう

満足だ。しばらく避難小屋で身体を休める。1時間後、外に出た。広がっていたのは白銀の世界。

 

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まるでスキーのゲレンデ!

 

青空と白い雪のコントラスト。思わず目を細める。リフトで乗って帰りたいとか、そりですべったら楽しそうとか思わず飛び出る軽口。ちょっと力がわいてきた。

さあ、帰ろう。

 

天一味わいの法則」は正しかったのか?

帰りながら考えていた。天一カップ麺の法則は正しかったのだろうかと。

(厳密に言うと絶景を見ながら食べられなかったけど、日の出を見た直後に食べたしこれは良しとしよう)

天一カップ麺はめちゃくちゃうまかった。しかしだ。正直に言おう。あの状況で別のカップ麺を食べてもまったく同じ感想を抱くだろう。きっと何を食べてもうまい。

 

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下山中に富士山が励ましてくれた。

 

そして天一の味を感じたかというと、そんな余裕は全くなかった。つまり、結論はこう。

「極寒の中、疲れ切った状況で天一カップ麺を食べると、味わう余裕すらなくなる」

天一味わいの法則」は誤りだったのだ。

 

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思わず滝も凍る寒さ!

 

今回の敗因がわかってきた。「やりすぎた」ことだ。おいしく食べるのに必要なのは自分を寒くて疲れる環境に追いこむことじゃない。「適度」にがんばることが大事だったんだ。

味わう心の余裕まで削ってはならない。

 

●シン・天一味わいの法則●(要検証)

天下一品カップ麺を存分に楽しむためには、以下の三要素が必要である。
① 適度な寒さ
② 適度な運動
③ 絶景

 

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終点、鴨沢登山口に到着!

 

こうして、疲れを引きずりながらなんとか下山することができた。鴨沢の登山口に着いたのは12時。16時間ちょっとは山にいたことになるのか。

ひざが笑ってる。間違いなく爆笑している。それぐらいクタクタだ。

 

最後に

ひたすらがんばればおいしい天一が待っていると思ってた。でも、何事もやりすぎると問題が起きるもの。また一つ、天一のおかげで人生の教訓を得られた。

ありがとう。君にはかなわないな。また今度食べに行くよ。

次の日、筋肉痛がひどすぎて起き上がれず、頭を布団に押しつけて身体を起こすことになったのはまた別の話。

 

――END――

 

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夜明け前の景色がまた味わい深かった。

 

反省

今回、いろいろ詰めが甘いところがあった。

一つ目はルート選定。雲取山は一般的に2日間かけて通るルートとなっている。1日で歩くのはそもそも推奨されていない。

そして、奥多摩駅から西に行く登山道は、夜に歩くには危険度の高い道だった。しかも、今回歩いたのはさらに危険度の高い雪山。山の経験が少ない人が選ぶべきルートではなかった。

また、避難小屋はコロナ禍の影響で「非常時以外は使わないでください」と但し書きが書いてあった。今回は凍えかねない非常時と判断して利用したが、本来はできるだけ使わないでおくべきだ。

反省している。無事帰れたことに感謝しつつ、今後は自分の実力と相談して余力のあるコースを選んでいこう。

幻の「けなげ組」が今、明らかになりつつある【けなげ組 番外編2】

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「幻のけなげ組」を知っていますか?

 

以前けなげ組の記事を書いた。そのときに泣く泣く削ったところがある。それが、「幻のけなげ組」と「神様」の存在だ。神といっても万物の神ではない。「作品の神様」、つまり作者だ。

そして今、けなげ組界隈が大きな盛り上がりを見せている。いや、だいぶ盛った。盛り上がっているのは僕一人だ。でも聞いてほしい。今、長らく謎のベールをかぶってきた「幻のけなげ組」が次々と明らかになりつつあるのだ。どういうことか、今日は順番に説明していこう。

 

17人の「幻のけなげ組

前回の記事で紹介できなかったことが二つある。その一つが「幻のけなげ組」だ。なぜ、幻なのか。それは、「絵と文がわかっていない」からだ。なぜ幻になってしまったのか。それにはけなげ組の歴史をたどる必要がある。

けなげ組が始まったのは1992年。そして幕を下ろしたのは2015年だ。つまり23年間も続いたことになる。

想像してほしい。10年、20年と続けていくと世の中の価値観は変わっていく。それは「けなげ組」も例外ではない。月日がすぎるにつれ、一部の会員は時代に合わないものとなっていった。そこで行われたのが、リニューアルだ。

 

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モノクロっぽい色合いになったのはリニューアル後からだったりする。

 

一部のけなげ組のメンバーは入れ替えられ、一部のメンバーは文面が変わり、そして一部のけなげ組のメンバーは姿を消した。そして、ここからがポイントだ。その中の一部メンバーは、インターネットで探しても見つけることができない

しかし、リニューアル前の手がかりは断片的に残っている。

一つ目の手がかりが「kawacolle」さんだ。

 

kawacolle.jp

 

こちらには、リニューアル前のけなげ組がまとめられている。しかし、このページに載っているのは会員番号40番まで。

もう一つ手がかりがある。「ピクシブ百科事典」だ。

 

dic.pixiv.net

 

こちらには、詳細がわかっていない会員が「番号調査中」という項目でまとめられている。ここに一覧をのせておく。

1. 2月29日

2. 雑草

3. ハイヒールのかかと

4. バナナの皮

5. 乾電池

6. 国境線

7. 空き部屋 

8. オゾン層

9. カッターナイフの刃

10. 靴の裏

11. 歯ブラシ

12. おから

13. 窓際

14. ペットボトル

15. 数字の4

16. 焼き鳥の串

17. ゴルフのティー

これらの手がかりから読み取れることがある。それは、名前以外は謎に包まれている「けなげ組」の会員が17人いるということ。絵柄さえわかっていない、まさにけなげ組の中でも最もけなげな存在。この17人を、僕は「幻のけなげ組」と呼ぶことにした。

 

神様が運営するけなげなブログ

記事で紹介できなかった二つ目のトピックが、「神様」の存在だ。作者の平本勝彦氏は1944年生まれ。現在もご存命だ。そして、今はブログをほぼ毎日更新している。

kenagegumi.jugem.jp

このブログ、なかなか味があって読んでいて楽しくなる。好きな俳句を挿絵とともに紹介したり、時には妻や飼っている猫への思いを記したり、さらには散歩して撮った写真を上げたり。

 

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絵もどこかけなげ組テイスト。(出典:霧石人の呟句曼陀羅

 

いつまでも更新してほしい。

さて、このブログでは、たまにけなげ組に関係した絵が登場することがある。干上がっていくアラル海の悲哀を描いたり、削られるかつお節に思いをはせたり。

 

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たしかに削られるの痛いだろうなあ。(出典:霧石人の呟句曼陀羅

 

じっくり見るほどじわじわ味がしみ出てくる。けなげ組を最初に見たときの気持ちってこんな感じだったっけ。こうして、日々の楽しみに「けなげ組の記事を読む」ことが加わった。

 

「幻のけなげ組」の登場

お待たせしました。ここから「幻のけなげ組」登場の話だ。

運命の9月27日。

この日も作者のブログに「けなげ組」の絵が投入された。ただ、いつもと違ったところが一つ。

その絵は描きおろしではなく、「けなげ組のパッケージ」の絵だったのだ。

 

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まさか原画を見ることができるなんて!(出典:霧石人の呟句曼陀羅

 

「会員番号⑬ 電信柱」に「会員番号⑭ 2月29日」か。あれ、どこか違和感。こんなけなげ組いたっけ? 気になるし実際のパッケージを見てみよう。

 

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会員番号⑭が違うぞ……?

 

そこにあったのは「会員番号⑬ 電信柱」に「会員番号⑭ あめんぼう」。

はっそういうことか! 理解した。この絵に描いてある「2月29日」は、「幻のけなげ組」の一人だ

 

次々現れる「幻のけなげ組

今日は新しいけなげ組が見られるかな。ワクワクしながらブログを見る毎日。ありがたいことに、そのあともけなげ組の絵がちょこちょこ投稿され続けていた。

10月5日には「数字の4」が、

10月6日には「国境線」が、

10月12日には「焼き鳥の串」が、

10月29日には「ゴルフのティー」が登場した。

 

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さらに11月2日には「空き部屋」と「オゾン層」がセットで登場!(出典:霧石人の呟句曼陀羅

 

そして現在、最後に出てきた幻のけなげ組は、11月3日の記事の「ペットボトル」だ。

 

けなげ組が終了してから6年。小学生は中学生になっているぐらい、それなりに長い時間だ。それだけの間ずっと謎であり続けた「幻のけなげ組」。2021年にまさか拝むことができるとは。

現在明らかになったメンバーは17人中8人だ。残りは9人。

果たして彼らを拝める日は来るのか来ないのか。今日も期待をふくらませてブログを開く。いつか彼らと出会える日がくることを祈りながら。

 

最後に

日の光も当たらなかったけなげ組の17人。彼らに今、光が当たりつつある現状を伝えたいという思いで、気づいたらキーボードをたたいていた。

平成のはじめに始まり、平成の終盤に幕を閉じたけなげ組。これからは「平成レトロ」の一員になるのだろうか。だとするとけなげ組が平成の記憶として残り続けるといいな。この記事をとおして、少しでもけなげ組のおもしろさが伝わればうれしい。