東京の竪穴住居、全部行く

 

ある日、竪穴住居の面白さに気づいた。

竪穴住居は、日本でもっとも多く復元されている遺跡だ。

なのに、「本当の姿」を誰も知らない。

このくぼみから建物の形を想像できるだろうか。(下野谷遺跡公園)

それならば、復元された竪穴住居は、正解がないぶん自由に造られているんじゃないか。

そこで、東京にある竪穴住居11カ所を回ってみることにした。

見えてきたのは、ある住居は焚火体験ができたり、ある住居は当時の食べ物紹介に全力を注いでいたり、ある住居はVRアプリを作っていたりと、個性豊かな姿だった。

今回はそんな竪穴住居の世界を、五種類にわけて紹介します。

 

1. ○○でできた竪穴住居

突然ですがクイズです。

東京の竪穴住居の屋根に最もよく使われている素材は何でしょう。

正解は――

カヤのような植物に見えるが、(伊興遺跡公園)

さわってみるとカッチカチだった。

正解は、コンクリートだ。

実は、東京の半分近くの竪穴住居はコンクリでできている(11カ所中5カ所)。

理由は簡単で、草木で造ると維持するのが大変なのだ。

コンクリの屋根ならば頑丈で雨もりの心配もない。

 

本物じゃないじゃんとがっかりした人、ちょっと待ってください。

面白いのはここからだ。

これらの竪穴住居には、コンクリ製だからこそできる工夫がされているのだ。

ポイントは、家の内側にある。

中にお邪魔してみよう。

正面に入口っぽい場所があるので行ってみると、

動物園の展示みたいになっていた。内側をのぞくと――

古代の日本人がいた!(三田台公園)

実は、コンクリ竪穴住居の内側には、必ず「当時の生活」が再現されている。

これが、どれも個性豊かで味わい深いのだ。

見ていた小学生が爆笑していたので何だろうとのぞくと、(塚山公園)

たぶんこれだな。

こちらは古墳時代の竪穴住居で、お米を炊いていた。竪穴住居というと縄文時代のイメージがあるが、実際は弥生時代や古墳時代にもあったという。(和田堀公園)

ちょっと、吹きこぼれてますよ!(東山貝塚公園)

海の近くの遺跡は食べ物が盛りだくさん。(伊興遺跡公園)

僕の食事よりも品数が多くてうらやましい(食材の一部は推測)。 まさか古代人相手に嫉妬することになるとは。

竪穴住居の中には、「古代に興味を持ってほしい」という、竪穴住居を復元した人の「サービス精神」があふれていた。

 

さて、そんなサービス精神は、竪穴住居の外にまであふれだしているときがある。

それもまた味があっていいので見てほしい。

RPGの村人のように話しかけてくる土偶。(三田台公園)

蛇口と縄文土器がコラボしていた。土器の割れ目まで再現しているこだわりっぷり、良くないですか。(塚山公園)

 

2. 古代にひたれる竪穴住居

先ほど紹介したとおり、多くの竪穴住居では中に入ることができない。

でも、せっかくなら入ってみたいと思いませんか。

実は、それがかなう優良物件、あります。

しかも、駅から徒歩4分という便利さで。

今なら隣に遊園地もつけちゃいます。

次の目的地は、サンリオピューロランドのお隣だ。

 

その名も「縄文の村」だ。

ここには竪穴住居が3棟も復元されている。

コンクリ製と違った存在感がある。

当時の素材を使っている本格仕様を目にすると、「彼らがかつて本当にいたんだな」と自然と思えてくる。

こちらの竪穴住居は、中に入ってもいいらしい。

いいんですか。ではお邪魔します。

一瞬視界が0になった。

昼なのに夕方のような暗さの部屋に、間接照明のように光が差し込んでくる。

これ、ずっといられるかも。

筋状の光が、普段忘れている本能に訴えかけてくる。

もっとゆっくりしようよと。

五感が鋭くなり、外から聞こえる鳥の音がやけに大きく聞こえた。

 

しばらく天然の薄明かりをながめてすごしていると、

「ガタンゴトン」

いきなり現代に引き戻された。

そういえば、ここは駅チカ線路チカの物件だった。

 

さて、すぐ近くにあるもう一つの住居に行くと、こちらは窓から煙が出ているではないか。

どうやら中で焚火をしているらしい。

中をのぞくと、職員のおじさんが火を焚いていた。

どうやら、古代の暖炉体験ができるらしい。

入口をくぐると、先ほどの竪穴式住居より明るかった。焚火のおかげだ。

住居の真ん中に火があった。

やっぱり火は落ちつk――

ゴホッと咳こみそうになった。

これ、思った以上に煙たいです。

焼肉屋に行って換気扇が壊れているような環境を想像してほしい。

古代の日本人も、煙が目に入って涙ぐんでいたのかな。

中に入れる竪穴住居は町田市にもある。こちらもオススメだ。(本町田遺跡公園)

 

3. 立ち入り禁止のその訳は?

本格式の竪穴住居は中に入ることができることがわかった。

せっかくなのでもっと行ってみたい。

暗い住居でくつろぎたい。

次は、原宿から一駅という都心にある竪穴住居に足を運んでみよう。

神社の境内にあるらしい。今までにないパターンだ。

あれ? 柵で囲われている……。(代々木八幡宮)

代々木の竪穴住居は、中に入るどころか近づけなくなっていた。

こうして、「本格の竪穴住居 = 中に入れる」法則は崩れ去った。

 

さらに残念なことに、立ち入り禁止の竪穴住居は一つではなかった。

練馬区にある竪穴住居も、

近づけず……。(城北中央公園)

一つだったら偶然と言える。しかし、二つもあるのならば何か理由があるはず。

説明の看板を見てみると、気になる共通点が二つあった。

「藤島亥治郎博士」という同じ名前があった。

まず一つが、藤島亥治郎博士なる人物が復元にかかわっていたということ。

もう一つは、どちらも1950年代に復元された古株だということだ。

70年前というと、まだ日本が戦後の復興を成し遂げようとしている時代だ。

 

実は、これらの竪穴住居に柵がある理由は、戦後の日本と大きなかかわりがある。

竪穴住居に脚光が当たったのは、戦後に入ってのことだった。

というのも、戦前・戦時中の歴史観では、「日本の神(=天皇の始祖)が国を造った」とされていた。

なので、国ができる前から存在していた縄文人は、日本人の祖先ではなく「先住民」と考えられていた。

しかし、戦後その考えが否定され、日本のルーツが宙に浮いた。新たなアイデンティティを探すべく進められたのが発掘だ。

日本の古代史の探求は、戦後から本格的に始まったのだ。

その流れで新たに始まったのが、遺跡を展示したり復元したりすることだった。

 

ここで、戦後まっさきに復元された竪穴住居の一覧を見てみよう。

※復元自体は戦前に行われた記録があるため、日本初ではない。

竪穴住居の復元を最初に行った一人、それが藤島亥治郎氏だったのだ。

そして代々木と練馬の住居は1951年、1957年と当時の時代に近い。

つまり、今回訪れた竪穴住居は、古代研究の黎明期に造られた「竪穴住居復元の始祖」に近い建物だったのだ。

そう考えると、保護されている理由も納得がいく。

入れないなんて文句を言って、なんかごめん。

 

4. 新しい竪穴住居

柵の中にある竪穴住居の正体は、70歳を超える大ベテランだった。

では、逆に最新の竪穴住居はどうなんだろう。

調べると、たった3年前にできたばかりの竪穴住居があるというではないか!

さっそく行ってみよう。

見てほしい、この整然とした空間を。

そこにあったのは、汚れ一つないタイル張りの道に、シミ一つない解説の看板だった。

その奥には竪穴式住居がチラリと見える。

駆け足で向かうと、その足が止まった。

竪穴住居に異変が起こっていた。

もしこれが8番出口だったら、引き返すだろう。

この違和感、伝わっているだろうか。屋根に注目してほしい。

屋根が、今までの「カヤ」(またはカヤ風のコンクリート)ではなく、「土」なのだ。

どういうこと??

なぜカヤではないのだろう。

首をかしげながら公園を歩くと、その理由が見つかった。

展示を紹介している看板があった。

2棟の竪穴住居は、最新の研究成果から、これまでの主流であった萱葺き屋根ではなく、土屋根で復元しています。

この竪穴住居は、最新の研究成果のたまものだった。

普通の住宅地の真ん中にポツンと立っている家が、古代史研究の最前線を表しているというそのギャップ、良くないですか。

 

では、中に入ってみよう。

おじゃまします。

まっさきに感じたのは、「清潔感」だった。

屋根の枝は、フリーハンドっぽくありつつも整然と並んでいる。

枝の上に敷きつめられた木の皮は一つもほつれていない。

「新築の古代の建物」という矛盾にそわそわする。

 

さて、周りを見渡すと、現代のものが目に入った。

なにかチラシが入っている。

取り出したものを見て笑顔になった。

そうそう、僕が見たかった「最新」って、こういうやつよ。

「VR下野谷縄文ミュージアム」が気になる!

下野谷遺跡を楽しめる「アプリ」があるらしい。

最新の竪穴住居、サービス精神がありすぎる。

持っているスマホではバージョンが非対応だったので、家に帰っていじってみることにした。

ゲームのような起動画面だ。

軽い気持ちで起動してみた。

ふむふむ。なるほど。

頭を上げると、あっという間に10分が溶けていた。

このアプリ、思った以上に中身がしっかりしている。

公園のそれぞれのスポットを選ぶと、

かつての景色と解説を見ることができた。

それだけでなく、詳しく知りたい人向けの分量がとにかく多い。何十項目もあった。

これ、興味があればどこまでも深掘りできてしまう。

遺跡のファンを増やそうという気概が伝わってくるアプリだ。

 

ところで、これはどこが「VR」なのか。

いじっていてすぐにその理由は分かった。

言葉よりも見るのがわかりやすいと思う。

くるくるり。

実際に画面の向こうに縄文時代が広がっている。

新しい竪穴住居は、建物の素材も技術も最先端だった。

 

5. 土に還りゆく竪穴住居

竪穴住居には、お城やお寺のようなはっきりとした由緒がない。

それは、文化財としての価値が弱いということでもある。

そのため、壊れたあとに修復をあきらめて放置されたり、公園のリニューアルで消えていったりする竪穴住居も意外と多い。

 

最後に紹介するのは、役目を終えた竪穴住居だ。

日本の建物が集められた「江戸東京たてもの園」にある竪穴住居を見に行きます。

2021年、江戸東京たてもの園では「縄文時代をテーマにした特別展示」が行われた。

その目玉として、竪穴住居が復元された。

その住居が今も残っているという。

今も元気にしているかな。

その場所に着いた。

思わず目をそらした。

自然に還ろうとしている……。(江戸東京たてもの園)

特別展示の終わりとともに、この住居は役割を終えた。

そのため、手を加えられることもなくひっそりと余生をすごしているのだろう。

竪穴住居は手が入らないと、5年でここまでになってしまうのか。

 

実は、今回調べてみると東京ですでになくなった竪穴住居が3カ所も出てきた。

やがてこの住居もその一員になっていくのだろう。

いつまでも、あると思うな竪穴住居。

※「井の頭公園」「猿楽古代住居跡公園」「中野区立平和の森公園」の3カ所

 

終わりに

竪穴住居を回る前は、正直どれも同じだろうと思っていた。

しかし、古代人の生活を復元していたり、時代によって素材が変わったり、復元住居自体が文化財になっていたりとみんな違った顔をしていた。

 

復元された竪穴住居は全国に約180か所もあるという。

もしかしたら、皆さんの近所にもあるかもしれない。

気になる場所があれば、ぜひ早めに行ってみてほしい。

きっと、その場所だけが持つ個性を見せてくれるはずだ。

竪穴住居、奥が深いぞ。

 

東京の竪穴住居地図

 

参考文献

『変わった宿に泊まりたい』を文学フリマ東京42で頒布します!

今回は、5月4日に開催される「文学フリマ東京42」への参加のお知らせです!

 

新刊の中身

今回出す新刊は、『変わった宿に泊まりたい』になります。

最近、変わったお宿に泊まる体験の楽しさに気づいた。その体験を一冊にまとめたのがこの本となる。

今回は一緒に作っている電車待ちさんが忙しいため、中身はすべて僕の文章となっている。

そのため、今回はページ数を満たすために書き下ろしが多めになった。

 

何かいいネタないかなと自分の旅を振り返ってみて、初めて気づいたことがあった。

実は、僕が少年時代に行っていた旅行のうち、半分以上は「変わった宿」に泊まっていたという事実だ。

それからは、いも掘りのように次々とエピソードが浮かんできて、するすると筆が進んだ。

今回は、いつも以上に力を入れて作ったので、ぜひ手に取っていただけると嬉しいです。

 

試し読み

文学フリマ東京42の詳細

日時:2026年5月4日(月)12:00~17:00
開催場所:東京ビッグサイト 南ホール
ブース番号:ち-20
サークル名:待ち合わせ同好会(あわうみ・電車待ちに読むブログ)

お品書き

 

「死者に会える森」を通って「東海一の絶景」を見に行こう ~120年前のガイドブックで伊豆山観光~

古のころより人を引き付けてきたもの、それが絶景だ。

120年前の伊豆のガイドブックを読んでいると、「東海一の絶景」と書かれたスポットを見つけた。

しかも、その道中には「死者に会える森」や「地蔵堂」もあるとか。

これは行くしかない。

実際に行ってみると、突然タイムスリップしてあたふたしている人の気持ちがわかった。

 

118年前に書かれた観光の本

ネットの海をさまよっていると、伊豆について書かれた「明治時代のガイドブック」を見つけた。

「国会図書館デジタルコレクション」で全部読むことができるの、ありがたい。

これを持って、今まで伊東と熱海を訪れた。

やってみてわかったことがある。

なかなか楽しいぞ。

「お尻をつねる奇妙なお祭り」や「映えスポットに生まれ変わった神社」など、世界の裏側をのぞいているような観光ができるのだ。

三度目となる今回は「伊豆山」の絶景スポットに行ってみることにした。

 

ちなみに、この記事は「伊豆山観光」の第2弾となる。

前回は、伊豆山の街に降り立ち、温泉や神社を通して伊豆山がかつて栄えていた理由を知ることができた。

興味があればこちらもぜひ!

 

死者に会える道を通って「東洋一の絶景」を見に行こう

今回の目的地は「日金山」という山になる。

この山、とんでもなく眺めがいいらしい。

「東海一の絶景」とまで書かれていれば、行かないわけにはいかないでしょう。

しかも、本によると日金山に行く途中に「死者に会える森」と「地蔵堂」もあるとか。

ではさっそく行きましょう!

熱海駅から、まずは森に向けて道を登っていく。

道の途中でお相撲さんと目があった。熱海富士フィーバーがこんなところにまで。

熱海駅から1時間歩き続け、ようやく登山道の入口に着いた。

登山靴のひもをきつく結び直した。

登る準備はばっちりだ。

 

死者に会える森へ

これから踏み入れる道には、「死者に会える」といういわれがある。

伊豆新誌ではその説明が長かったので、現代のホームページから引用します。

熱海ロマン紀行より引用

みなさんは、「生者と死者がすれちがう場所」と聞いて、どのような場所をイメージするだろうか。

おそらく、お花畑や岩山といった非日常的な風景を浮かべる人が多いと思う。

一方で、これから行くような「低山の山道」には、左右に茂る木を見上げながら土を踏みしめていくようなコースが多い。

死者と出会える場所とはだいぶ遠いが、どうなんだろう。

 

いざ入山。道の様子は「ゆるやかな登山道」といったところだった。高尾山を登れる人なら問題なくいけるぐらい。

しかし、一つだけ普通の登山とは違う光景があった。

道の横に石仏がいる。

しかもかなりの頻度で。

下には番号が振ってあった。これでなんと23番目……!

この石仏があるだけで、「ただ物ではない道」感がかもしだされている。

背筋が伸びた。

 

さらに登り続けること30分、とつぜん視界が明るくなった。

進んでいくと、今までと正反対の光景に足が止まった。これは!

一面が草原だ。

さらさらと、そよ風が背中をなでていった。

ここで昼寝をしたら気持ち良さそう。ずっとここにいたい。

道の先を見ると、石仏がぽつぽつと立っている。

この非日常感、伝わるだろうか。

道を振り向くと、海と街、そして歩いてきた山が一望できた。

振り向いた光景がこちら。

たしかに、この場所なら死者もふらっと訪れそう。

自然とそう思っている自分がいた。

 

ちなみに、この「死者に会える森」について、「伊豆新誌」にはあまりにも辛辣な言葉が書かれている。

そこまで言うことないでしょ?

明治時代の人に教えたい。文明開化し大発展をとげた今の時代でも、信仰は息づいているよと。

人の根底はいつの時代も同じなのだ。

 

当時と変わらない地蔵堂

石仏をたどってさらに進むこと30分、再び視界が木に覆われた。

次の目的地「地蔵堂」はもうすぐだ。

地蔵堂について、『伊豆新誌』にはこう書かれている。

わかりやすく言うと、自然の中にある厳粛な雰囲気のスポット、といったところだろうか。「寂寥の威」に打たれる場所、今も残っているかな。

この先に目的地がある。

開けた場所に出た。石畳を進んでいく。

「東光寺」というお寺に出た。どうやらここが「地蔵堂」の場所のようだ。

石畳のごつごつした感触を足裏に感じながら森へと進んでいく。

日光がさえぎられて緑の色が濃くなる。

 

「これは、いい……」

思わず声がもれた。

出迎えてくれた森とお地蔵さんが、120年前と同じだったからだ。

この苔むし具合がたまらない。

きっと『伊豆新誌』の作者も同じ光景を見たのだろう。

苔の厚みが時代を語っている。それでありながら、境内には落ち葉もなくきちんと管理されている。

信仰は今でもしっかり残っているのだ。

 

一方で、当時と違っていたところもあった。

お地蔵さんの数が、さらに増えてパワーアップしていた。

とにかくたくさん。(お願い地蔵奉納堂)

ボス戦で見る風景だ。(水子地蔵)

どちらさまですか?

そういえば、ガイドブックには本堂についても説明があった。

銅像があるのか。

こういうありがたい像といいうのは、たいてい現代では大切にしまってあるものだ。そしてたまに御開帳するイベントが行われたりする。

とりあえず奥へ進んでみよう。

本堂もまたいいですね。

階段を登っていくと、目が合った。

奥になにかある……?

まさか本当にいるとは!

「銅造の大きな地蔵仏」、間違いないだろう。

まさかそのままの姿と出会えるとは。

 

東海一の絶景へ! 

ここまで歩いてきてわかったことがある。

今回歩いている順路は、観光地化されていないおかげで当時の面影がしっかり残っているということだ。

となると、最終目的地である山頂はどのようになっているのだろう。

頭に浮かんだのは、誰もいない山頂に小さな神社がぽつんとあるような絶景穴場スポットだ。

 

ここで、いったん日金山のおさらいだ。

さあ、いよいよ「東海一の絶景」を見に行きましょう。

 

地蔵堂を離れ、再び森の中へ足を踏み出した。

今度はどのような日本の原風景を見せてくれるのだろう。

踏み出した足が、すぐに止まった。

舗装路にでた。

突然の現代的な風景に、120年前にどっぷり浸っていた脳が混乱している。

タイムスリップしたばかりの人って、こういう気持ちだったのか。

異変はこれだけでは終わらなかった。

これはグランピング施設……?

今、横文字の気分じゃないんです。

グランピングじゃなくて「豪華 野営施設」と書いてほしい。

現代的な風景どころか、流行の最先端が出てきた。地蔵堂との温度差に風邪をひきそうだ。

 

はてなマークを頭に浮かべたままふらふら進んでいくと、気づいたら頂上についていた。

その場所は、さらに時代が進んでいた。

これは、「映えスポット」というやつでは。

ネットに寝転がって景色と一緒に自撮りできるスポット、らしい。

観光地あるあるの「デカい地名」もあった。今は「十国峠」と呼ばれていると。

突然現れた「映えスポット」にいたのは、いかにも「観光客」な格好をした若者や家族連れだった。

僕ここまで3時間かけて歩いてきたんですけど。

何十人もいる中で、登山靴をはいているのは僕だけだった。

 

では、みなさんどこから?

きょろきょろと歩くと、答えが見つかった。

ケーブルカーと駐車場が見えた。

みんなケーブルカーで来ていたのだ。

調べると、ここの正体は「伊豆スカイライン」という有料道路の観光スポットだった。つまり、みんな車から降りてきた人たち、ということになる。

 

さて、気を取り直して本題に入ろう。

本来ここで見たかったのは「東海一の絶景」だ。

頭を遠くへやると、しっかり見えました。

360°、すべてがこんな感じです。

富士山も尾根が見えた。

「東海一の絶景」スポットは、出世して立派な観光地になっていた。

子どもが活躍している姿を見て、得意げになりながらもちょっと寂しく感じる親の気持ちが初めてわかった。

 

終わりに

観光地化されていない場所が多いせいか昔の面影を感じられたので、「120年前のガイドブック旅」としては大満足だ。

十国峠に行って居心地の悪さを覚えるなんて体験も、普通の観光ではまず起きないことだったので味わい深かった。

時間旅行をしてみたい人にオススメです。

森にはくまったクマもいるとか。

かつて熱海よりにぎわっていた街が隣にあった ~120年前のガイドブックで伊豆山観光~

120年前のガイドブックを読んでいて、気になる観光スポットを見つけた。

「伊豆山」という、熱海のすぐ近くにある街だ。

そのガイドブックで、伊豆山は熱海と同じぐらいのページ数が割かれていた。

当時の伊豆山は、熱海と互角の存在だったのだ。

しかし、現代で伊豆山の名前を聞くことは少ない。熱海の圧勝だ。

 

かつての伊豆山は、なぜ栄えていたのだろう。

実際に行って見えてきたのは、1300年前の仙人に清少納言に源頼朝と、歴史の強さだった。

 

118年前に書かれた観光の本

ネットの海をさまよっていると、伊豆について書かれた「明治時代のガイドブック」を見つけた。

「国会図書館デジタルコレクション」で全部読むことができるの、ありがたい。

これを持って、今まで伊東と熱海を訪れた。

やってみてわかったことがある。

これ、なかなか楽しいぞ。

「お尻をつねる奇妙なお祭り」や「映えスポットに生まれ変わった神社」など、世界の裏側をのぞいているような観光ができるのだ。

三度目となる今回は「伊豆山」に行ってみることにした。

 

ちなみに、伊豆山の場所はこちら。

(「地理院地図」より作成)

伊豆山の位置を見ていて、気になることがあった。

熱海と近すぎる。

熱海といえば、温泉地のラスボスと言っていいぐらいの大物だ。

ところが、調べてみると、500年前は熱海よりも伊豆山のほうが栄えていたとか。

なぜ、当時の伊豆山は熱海に負けずに栄えることができたのだろう。

 

1300年前からある温泉に行こう!

さっそく伊豆山に向かおう。

最初に行くのは温泉だ。

ところで仁明帝ってどなた? 調べると、平安時代の天皇だった。

平安時代にすでに名前がついていたのか。

 

熱海駅を降り、北に向かって国道の路肩を歩いていく。

20分ほど歩くと、伊豆山のメインストリートへの入り口が見えてきた。

エネオスの横を右に曲がると、

山道みたいに急な下り坂が始まった。道合ってるよね?

車の音が一気に遠ざかった。

つま先を立てるように踏み出して急な道をくだっていく。

 

くだること5分間。視界が青くなった。

伊豆山温泉はこの先だ。

角を曲がり、左を向くと、久しぶりに平らな道路が広がっていた。

 

本にのっていた温泉「走湯」は今も残っているだろうか。

最初に目に入った光景に、「よしっ」と小さく声がでた。

「走り湯」の文字が……!

平安時代から続く「走り湯」の名は、変わらず存在していたのだ。

 

では、どんな温泉が待っているのだろう。

急ぎ足で矢印のほうへ進んでいく。階段があったので足をかけた。

階段にいたのは、約1300年前に伊豆山で修行をしていた仙人「役行者(えんのぎょうじゃ)」。説明に「鬼神を使って」とあって血なまぐさいことをイメージしたが、「薪を割らせたり、掃除をさせたりする事ができました」と続いていてほっこりした。

修行者かと思ったら普通の観光客でした。

細い道を進んでいくと、「ぐごおおおぉぉ」という低温が大きくなってきた。洗濯機の脱水かな。

どうやら、その音の発生源が「走り湯」らしい。

奥に行くと湯気が見えた。それと「トンネル」も。

えっここに入るの?

走り湯を見るためにはここに入らないといけない、と。

ちょっと足がすくんだ。これ、大丈夫だよね?

以前、このガイドブックに従って「汐吹岩」を見に行ったら足の震えが止まらなくなったのを思い出した。

 

深く息を吸ってから入口に一歩踏み込んだ。

ぬらっと生ぬるい風に包まれた。

すぐに視界が真っ白になった。

くもって使い物にならなくなったメガネをとる。

足を一歩踏み出すことに気温が上がっていく。上着がだんだん邪魔に思えてくる。

 

10mほどで行き止まりになった。

突き当たりにあったのは、賽銭箱のような武骨な石箱だった。

どれどれと奥をのぞきこむと、見たい姿がそこにあった。

ようやく走り湯の源泉に出会えた。

来た道を戻り、外にでて深呼吸をする。

吹いてきた風が、サウナを出たあとの外気浴と同じ心地よさだった。

自然と笑顔になっていた。

走り湯、冒険感があって好きかも。

 

ところが、しばらくすると疑問が出てきた。

なぜ、トンネルの奥に源泉があったんだろう。

「人工的」なトンネルと「自然」に湧く源泉のイメージが脳内でケンカしている。

 

こういうときは、説明書きを読むのが近道だ。

こういう解説があるの、ありがたい。

説明書きによると、この源泉は復元されたものだという。

当時の伊豆山の温泉は「横穴式源泉」という珍しいもので、山腹から湧き出て海に向かって流れ落ちていたらしい。

つまり、このトンネルは「洞窟から湧き出る温泉」を再現したものだと。

 

海に向かって温泉が流れていたなら、かなり目立っていたに違いない。

伊豆山に1300年の歴史があるのは、「変わり者の源泉」のおかげだったのだ。

洞窟前の看板が「火傷」「事故」「自己責任」「119」となかなか物騒だった。

ちなみに、1300年前って何があったのかと調べると「イスラム教の誕生」がそれぐらいだとか。

古さで三大宗教と肩を並べる姿を想像すると、とたんに伊豆山が頼もしく見えてきた。

もしかして伊豆山って、とんでもない大物だった?

 

伊豆山のメインストリートへ行こう

さて、温泉といえば「温泉街」だ。

『伊豆新誌』には、伊豆山の街の風景がこう書かれている。

「絶壁」と「お宿」があったと。

しかも、お宿は何軒もあって栄えていたようだ。

今はどうなっているのだろう。

 

走り湯の温泉から最初の場所に戻り、改めてまわりを見渡してみる。

そこに広がっていたのは――

絶壁だーっ!

期待どおりの景色そのものだった。

さらに先を見ると、本の描写と同じようにお宿が並んでいるではないか。

崖沿いにお宿が立ち並んでいる!

奥にも立派なホテルがあった。泊まってみたい。

伊豆山の景色は当時の面影がしっかり残っていたのだ。

 

しかし、同じ景色だったのにどこか素直に喜べない自分がいた。

実は、歩いていて違和感があった。

街の活気がなさすぎる。

訪れた今日はお正月。つまり、お宿は書き入れ時のはずだ。

それなのに、すれちがう人がいない。

 

お客さんいるのかなと近くの「中田屋」をのぞきこむと、ガラスはくすみカーテンは閉まっていた。

2019年に閉館したとのこと……。

時代に取り残されたたばこの自販機がいた。

建物のお向かいには有料道路があり、車は伊豆山に目もくれずに通りすぎていく。

 

では、なぜ活気は消えてしまったのだろう。

これについては、歩いただけですぐにわかった。

伊豆山は、交通に恵まれていない。

明治と現代の伊豆山を地図で並べてみた。(「今昔マップ」より作成)

ガイドブックの作られた明治時代に伊豆山と熱海に行くには、険しい山を通る陸路か海路を行くしかなく、時間がかかった。

しかし、1925年に鉄道が開通し「熱海駅」が誕生した。

鉄道駅のない伊豆山は、必然的に熱海のかげに隠れることとなってしまったのだ。

 

110メートルの階段を登れ!

実は、伊豆山には温泉と肩を並べるスポットがある。

それが「伊豆山神社」だ。

1町もの階段が続いているらしい。

ところで、1町ってどれぐらい?

神社へ足を進めながら調べてみる。

日本の一般的なタワーマンション(30階〜40階建て)の屋上に立っている状態が、およそ「高さ1町」に相当します。

一気に足が重くなった。

大丈夫かな。

 

実は以前、山形県の山寺で同じように階段を登ったことがある。

そのときは、足が吊りかけて手すりにすがって歩くことになったんだっけ。

 

そんなことを考えながら道を進んでいくと、正面の視界が開けた。

階段はしっかり残っていた……!

アキレス腱をしっかり伸ばした。

階段の上をぎらりと見上げ、足をかけた。

気分は限界に挑む修験者だ。

登り切ってもまた次の階段が続く。

登っていて予想外のことがあった。

戦いに臨むような緊張感で登り始めたのに、なぜか気がゆるんでいく。

というのも、この階段、よく整備されていて意外と緩やかで歩きやすい。

さらに、階段の両脇に広がっている景色が、「厳か」ではなくあまりに「日常」なのだ。

階段なのに民家がある。しかも何軒も。

こちらの庭には伊豆名産のみかんが。

さらには温泉まで!

この味わい深さ、通じているだろうか。

登り続けること10分。ようやく鳥居が現れた。

あと少しだ。

この奥にまだ階段があります。

ようやく終わりが見えてきた。

最後の一段に足をかける。

意外と疲れはなかった。

さて、「拍手の音は絶ゆる事がない」と書かれた神社は、今どうなっているのだろう。

しっかりにぎわっている!

伊豆山神社は、今の時代になっても人の話し声と鐘の音と柏手(かしわで)の音で満たされていた。

 

本殿を歩いていると、先ほどの階段で見た「休憩台」のお仲間を見つけた。

それにしては丁重に扱われているような……?

でも、ただの休憩台ではなさそう。

横の説明書きに正体が書いてあった。

「頼朝と政子が恋を語らったのがこの境内であり、当社で二人はむずばれ、伊豆山の神様の力により鎌倉に幕府を開き篤い崇拝を当社に寄せました。」

そういうことか。

伊豆山がかつて発展していた理由が、ようやく自分の中で腹に落ちた。

伊豆山はただの温泉地ではなかった。鎌倉時代には幕府の信仰の中心地としても栄えていたのだ。

国のトップが推していたのならば、熱海より栄えていたことにも納得だ。

頼朝もこの景色を見ていたのかな。

ここからは蛇足だが、熱海の活気が伊豆山を抜かしたのは、江戸時代のことだ。

その理由は「徳川家康が推したから」。

ぐぬぬ、国のトップが推していたのならば、伊豆山が負けるのも納得だ……。

 

あの清少納言が推していたスポットへ

最後に紹介するスポットは、「こゝひの森」だ。ガイドブックによると、伊豆山神社のさらに奥にあるという。

しかも、あの「春はあけぼの」でおなじみ、枕草子にも書かれていた場所だとか!

いったいどのような「いとをかし」な森なのだろう。

 

さて、入口はどこだろうと伊豆山神社を奥に進むと、看板が目に入った。

「小恋の森」と書かれた看板を発見! どうやら公園として整備されているらしい。

奥の鳥居をくぐって進んでいくと、既視感のある光景が。

再び修業が始まった。

先ほどとは違い、こちらは山道だ。

チーチーと小鳥の声が聞こえる。

ずんずんと足を踏むたび、人が多い日常の世界から遠ざかっていく。

少しずつ、清少納言の好きな「おもむき」のある光景に近づいてきている感じがする。

 

進むこと20分、ようやく公園に到着した。

到着!「小恋の森公園」はここからが始まるとのこと。

では、どんな光景が広がっているかというと――

なんですかキミは。

自然に溶け込もうとした結果めちゃくちゃ目立っている人工物があった。

ちなみにこれ、公衆トイレです。

 

中学生のころ、音楽祭の曲を決めるときに目立たないように多数側に手を挙げたら「女子人気はあるけど男子人気はない曲」だったらしく、あとで友達に指摘されたときの恥ずかしさを思い出してしまった。

忘れようとしていたのに。

奥にももう一つあるよ。

これを見たら、清少納言は「いとわろし」と言うだろう。

 

小恋の森には、存在感のある公衆トイレがたたずむスポットに変わっていた。

ガイドブック旅は、たまにこういうこともある。

だが、こうやって突っ込みを入れるのもそれはそれで楽しい。

 

終わりに

伊豆山は、熱海以上に歴史の重みを感じられるいい場所だった。

まさか、清少納言や源頼朝といった教科書で見る人が出てくるとは。

ただ、それだけにこの場所がさびれたままなのはもったいない。

熱海観光に行く人は、ぜひ伊豆山にも足を運んでみてほしい。オススメです。

あの伊能忠敬も泊まった伊豆山をよろしくお願いします!

 

『「死者に会える森」を通って「東海一」の絶景を見に行こう ~120年前のガイドブックで伊豆山観光~』に続く

「ボロ宿」に泊まりたい! ~波動茶とパワーストーンと晴れ男~

 

古びた畳とちゃぶ台のある和室で、机に向き合う。

正座で背筋を伸ばし、「波動のこもったお茶」を湯呑みに注いだ。

間髪入れずに、「7つのパワーストーンで浄化された水」もコップに注いだ。

ぐいぐいっとお茶と水を飲み、「大いなる力」を身体に取り込んでいく。

力の使い道は一つだ。

「明日のマラソン大会、晴れますように……!」

 

どうしてこうなったか。

話は半年前にさかのぼる。

 

ボロ宿に泊まりたい

「ボロ宿」という「ほめ言葉」を聞いたことがあるだろうか。

見た目は古いが長く続いているお宿には、続くだけの理由がある。それは歴史のある建物だったり、名物女将だったり、温泉だったりと様々だ。

つまり、ボロ宿に行けば何か楽しい体験ができるということだ。

 

7月に愛知県のマラソン大会にエントリーした。開催は12月だ。

遠いので前泊をする必要がある。どこに泊まろうかなと調べてみたところ、ひたすら画面をスクロールをすることになった。

いい宿がない。

どこも価格が高いのだ。普通のビジネスホテルでも1泊で1万円を超えるとは。

そんなとき、一つのお宿に目が止まった。

6000円台で泊まれる場所があった。しかも「200年の旅館」か。

これは、前から泊まってみたかった「ボロ宿」ってやつじゃないか。

すぐにぽちりと予約を押した。

 

フロントの味わい

名古屋駅から45分ほど電車に乗り、大野町駅で降りる。

改札を出ると時間の流れが遅くなった。

駅前にチェーン店がない街って良くないですか。ここではみんなマックでなく地元の喫茶店に集うのだろう。

 

木造とトタンの家が並んだ街並みを5分ほど歩くと、本日のお宿に到着だ。

時間は16時半。

重い扉をガラリと開ける。

中は真っ暗だった。

フロントらしき場所に呼び鈴があったので押す。「チーン」と部屋に響き渡った。

 

1分後、「いらっしゃいませー」とおばちゃんが出てきて、明かりのスイッチを押した。

突然目の前に現れた景色に、「すごっ」と声がでた。

そこに広がっていたのは、「古き良きお宿」そのものだったのだ。

天井は低く、柱が多い。今とは違うサイズ感が、この建物が歴史の生き証人であることを物語っている。

 

しかし、フロントはまだ始まりにすぎなかった。

フロントの奥に進むと、右側に談話室があった。思わず足が止まった。

そこで迎えてくれたのは、おじいちゃんおばあちゃんの家に来たような落ち着く空間だった。

革張りのソファにガラスの机、そして大きなのっぽの古時計。

しかもマンガを読んでくつろげる特典つきだ。

ここのソファに座ったら、何時間でもすごせそう。

 

味わいラッシュはまだ続く。

ふとソファの奥に目をやると、窓の外に「日本庭園」が広がっていた。

味のあるインテリアに囲まれながら風情のある景色を眺める。

こんな空間を目にできただけでも、この宿に来て良かった。

 

館内ツアー

「では施設を案内しますねー」

前を行くおばちゃんが足を踏み出すたび、ギシギシと床が鳴る。

僕もギシギシとついていく。

「階段の天井が低いので気をつけてくださいね」

せまい廊下やタイル張りのトイレに、模様が入ったすりガラス。

目の前で次々と繰り広げられていく「古い家あるある」にもうお腹いっぱいだ。

「ここのお風呂の水はスイスの石で浄化してるんですよー」

お風呂場も、カラフルでありながらくどさを感じさせない色合いで味わい深かった。

そのあとも、宿泊するお部屋や食堂の位置を案内してもらった。

 

スピリチュアルとの遭遇

一通り案内が落ち着いてきたころ、気になることを聞いてみることにした。築200年を誇るという、この建物の歴史だ。

「このお宿っていつからやってるんですか?」

「実は数年前に始めたんですよ」

あれ? 思った答えと違った。

 

「閉店していたのを、今のオーナーが買い取って再開したんです」

つまり、オーナーがいたから今日の体験ができたと。

ありがとう、オーナーさん。

「そのオーナーがすごいんですよ。実はヒーラーで」

 

ん? 今変なこと言わなかった?

 

「ヒーラーを育てる講演もしてるんですよ」

気のせいじゃなかった。

そうか、ようやく事態がわかった。

この旅館は「スピリチュアル」な人が買い取って運営されている場所だったのだ。

 

 

スピリチュアルというものに対して、皆さんはどのようなスタンスだろうか。

僕は、「周囲に迷惑をかけないならいいのでは」と思っている。

きっかけは、バリバリの学者だった祖父にある。

祖父はスピリチュアルと縁遠かった。しかし、祖父の死後に荷物を整理しているとなぜかスピリチュアルな本が出てきたのだ。

親に聞いたところ、作者は祖父の教え子で、今はスピリチュアル界隈でのベストセラー作家になっているらしい。

普段は読まないが、祖父が持っていたものだからとページをめくってみて感じたことがあった。

こういうのを信じるのも、傷ついたり疲れ切ったりしたときならばありだな、と。

 

 

その後も、フリーエネルギーから神社のパワーまで幅広い話を聞くことができた。

僕は知らない世界があるとつい好奇心で聞き入ってしまうタイプなので、つい。

 

会話をしながら、ふとひらめいた。

これ、パワーをもらって願えば、意外となんでも叶うのでは?

実は今、切実な問題がある。

それが、明日の朝の天気だ。

明日マラソン大会に参加する予定なのに、天気予報を何度見てもそこにいるのは傘マーク。

よし、スピリチュアルな力を使って、雨雲をけちらしてやろう。

そのために具体的にどうするかというとーー

「『7つのパワーストーンで浄水した水』いりますか?」
「お願いします!」

「『波動の入ったお茶』はどうですか?」
「これもお願いします!」

力を体内に取り込んで、空に干渉します。

 

願いを空に届けよう

いよいよお部屋に到着だ。

入口の引き戸を横に動かす。

開かなかった。

そういえば、おばちゃんがこんなことを言っていた。

「建付けが悪いので思い切り開けてくださいね」

ふんぬっと開けるとちゃんと開いた。

 

部屋はおばあちゃん家の客間みたいな空間だった。こちらも落ち着きそう。

ふわっと、温かい空気が包み込んでくれた。

暖房がすでについていた。布団もちゃんと用意されていた。

設定温度を見ると30℃だった。エアコンってそんな高く設定できるんだ。

ホスピタリティが熱い。

 

さて、本題に入りましょう。

机に置いてある「7つのパワーストーン水」をコップに注いでぐいっと取り込んだ。

正直に言おう。思ったよりずっとおいしかった。

いつも家で飲んでいる水道水とは比べ物にならないまろやかさだ。

 

次に「波動入りのお茶」を。熱いのでずずっとすする。

茶葉の爽やかな香りが鼻を抜けていく。「ほお……」と息がもれた。

こちらはやさしい味がした。

さて、これで力はばっちり。あとは天に働きかけるだけだ。

窓を開ける。お願いします! と手を合わせた。

空にはどんよりと雲が広がっていた。

 

そのあとも入浴中にパワーストーンの石をじゃりじゃりさせたり(浴槽内にあった)、なぜか部屋にあった「アマテラス」に祈ったりしてすごした。

これで天気はばっちりだ。

あとはしっかり食べて寝るだけ。果報は寝て待て。

 

夕食の交流

夕食の時間になった。

ギーギーと床を鳴らしながら階段を降り、食堂に向かった。

ドアをがらりと開ける。

 

「チャララララララ~ン」

アラビアンな曲が大音量で耳に飛び込んできた。

なぜ??

椅子に座り、7つのパワーストーン水を飲みながら配膳を待つ。

 

がらり、と扉が開いて男性がひとり入って来た。どうやら同じソロの宿泊者がいるらしい。見た目は一回り上ぐらいのおじさんだった。

そういえば、このお宿ってどんな人が泊まっているのだろう。

せっかくなので話しかけてみよう。

「近くのロボットの展示会を見に来たんですよ」

一気に心の距離が縮まった。

まさかの、同じ理系の人だったからだ(こう見えて僕は理系だ)。

おじさん曰く、普段は福島の企業に勤めていて、昨日新幹線で来たらしい。

「本当は飛行機がいいんですけど、社内のルール的にできないんですよね……」

その気持ち、わかる。そのあと会社の精算のシビアさで盛り上がった。サラリーマンあるあるだ。

「二人合うと思ったんですよー!」

配膳しながらおばちゃんが得意顔になっていた。

 

さて、料理はというと、イワシの唐揚げに味噌汁、お芋の炒め物にお新香と家庭的なラインナップが並んでいた。

お宿というより「実家」な感じがしてなんかいいな。

箸をとる。口にすると幸せが広がった。

特に良かったのがイワシだ。脂がたっぷりのっていて、独特のクセがご飯の名脇役になっている。

お代わりもした。

イワシって安いのになんでこんなにおいしいんですかねー」

思わずおばちゃんと二人で不思議がった。

 

「明日のお仕事頑張ってくださいね!」

「マラソン頑張ってください!」

おじさんとお互いエールを送りあって、それぞれの部屋に戻った。

 

 

さて、あとは寝るだけだ。

寝転がってぼーっとする贅沢な時間をすごしたあと、電気を消した。

なぜか真っ暗にならなかった。壁の一部が明るい。

光源は、隣の部屋だった。

隣部屋との壁は、まさかの障子1枚だった。

こういう突っ込みどころの多さがボロ宿のいいところだ。すっかり楽しみ方がわかってきた。

アイマスクをして今度こそ目を閉じた。

僕は宿泊先だと眠りが浅いタイプなのだが、その日は自宅と同じぐらいぐっすり眠れた。

 

運命の天気

6時半にがばりと起き上がり、マラソンの格好に着替えた。

まだ給仕準備中の食堂に顔を出して鍵を返却し、朝食代わりに作ってもらったおにぎりを受け取った。

さあ出発だ。

本日の天気は――

 

ザーザーの雨だった……。

傘についた水がすべり落ちていく。ズボンが湿っていく。

パワーストーンも波動茶も、空には届かなかった。

やはり、小手先のパワーで変えられるなんて考えはおこがましかったのだ。

 

電車に15分ほど揺られ、会場の太田川駅で降りる。

荷物を預け、前日にセリアで買った雨具をしぶしぶ羽織った。

雨は少しマシになっていた。

 

さて、マラソン大会あるあるだが、スタート前は地元政治家やスポンサーの挨拶を聞きながらすごすことになる。

「こんにちは、東海市長です。天気は大丈夫です。なぜなら――」

 

私は晴れ男です!

 

その瞬間、残りの雨がぱたりと止んだ。

そのままスタートのピストルが鳴った。

 

雨は、そのあと一度も降らなかった。

なんなら、終わったあとは日の光が差していた。

信じるべきは晴れ男だったのだ。

 

終わりに

帰りの新幹線で遠くにそびえる山々をながめていて、ふと心に浮かんだことがあった。

今回の「ボロ宿」、楽しかったな。

歴史のある建物も、スピリチュアルも、床のきしむ音でさえも、すべてが味わい深かった。

お宿でもらったおにぎりを取り出してかぶりつくと、マラソン後の重い身体に塩味がやさしくしみこんでいった。

『まちうらクロニクル』を文学フリマ東京41で頒布します!

今回はお知らせ。11月23日の文学フリマ東京41で新刊を頒布します!

今回も「電車待ちに読むブログ」の人と一緒に、サークル「待ち合わせ同好会」での参加になります。

新刊の中身

新刊のタイトルは『まちうらクロニクル』。

題材はずばり「街歩き」だ。

僕と電車待ちさんで共通している点がある。それが、「街について調べることが大好き」なことだ。

ならば、お互い好きな街歩きモノで書いてみようかとなってできあがったのがこの一冊になる。

今回の記事は二つ。

 

  1. 3年で閉園? 吉祥寺に幻の「記念公園」があった (あわうみ)
  2. 【情報求ム】光が丘の小学校にはなぜ冬がないのか(電車待ちに読むブログ)

 

吉祥寺と光が丘を舞台に、それぞれ街歩きをしてガッツリ調べて謎に光を当てるものになっている。

また、今回も記事の裏話をのせた「座談会」入りだ。実際にどのように調べているのか、どんなことを考えて書いているかを深堀りしている。

書く側に興味がある人はぜひそちらも楽しみにしてほしい。

よろしくお願いします!

出店の情報

イベント名:文学フリマ東京41

日時と場所:2025年11月23日 東京ビッグサイト

サークル名:待ち合わせ同好会

作者:あわうみ・電車待ちに読むブログ

ブース番号:そ-77

お品書き

  1. まちうらクロニクル(新刊)

  2. チェーン店が好きだ

  3. 歌詞をたよりに集まる

はじめての山小屋泊

人生でやりたいことの一つ、それが「山小屋に泊まる」ことだ。

日常から離れた厳しい自然の中で、知らない人と肩を寄せ合いながら同じ釜の飯を食べ、互いにお休みを言う。

そんな環境に置かれたとき、何を感じるのだろう。

 

ある日、友人から誘われてその願いがかなうこととなった。

 

実際に行ってみると、学生運動とぼっとん便所に思いをはせ、管理人さんをはげまし、高山病にときめく、そんな普段できない体験ができました。

 

行ってきます!

注:尾瀬の山小屋に以前行ったことがありますが、あまりに整備が行き届いていたのでノーカウントとします。近くにイタリアンのお店があって楽しかったのですが山小屋感はうすいかなと。

 

山小屋の雰囲気を味わおう

当たり前だが、山小屋に行くためには山を歩かないといけない。

ということで、雨具をかぶりながら足を進めることとなった。

9月なのに冷蔵庫のような涼しさがまとわりついてくる。

時間は15時30分。

目標の最高峰「木曽駒ヶ岳」に到着した。標高は2956メートル。

ただし、景色ガチャは外れ(視界ゼロ)だ。

さてと。のんびりする間もなく山頂に背を向ける。

本日の目的地、山小屋はすぐそこだ。

 

 

10分歩くと、武骨な四角い塊が見えてきた。

本日の目的地、「頂上木曽小屋」だ。

屋根には石がごろごろ乗っかっている。その武骨さに、環境の厳しさがひしひしと伝わってくる。

今、肩に力が入っている。

なぜなら、山小屋に入るのがちょっと怖いから。

みなさんは、山小屋の管理人と聞いてどのような人を想像するだろうか。

僕が思いうかべるのは、ルールを破ると厳しく𠮟ってくるような「頑固おやじ」の姿だ。

というのもですよ。

ここは3000メートル近い、文明から離れた場所だ。険しい場所で生きていくには、タフな精神が必要となるだろう。

そこで強さの象徴としてイメージされるのが「頑固おやじ」なのだ。

 

ガラガラっと横向きにドアを開ける。

「いらっしゃいませー」

小さめの声で出迎えてくれたのは、50代前半ぐらいのやわらかい雰囲気のおじさんだった。

飲み会の隅の席で静かに話を聞いているのが似合いそうな、頑固おやじとは対極の姿に肩の力が抜けていった。

台帳に住所や名前を記入したあと、簡単に建物を案内してもらった。食堂と寝室があり、トイレは汲み取り式だとか。

 

夕食は17時からなので、少し時間の余裕がある。それまで寝室に荷物を置いて休むことにしよう。

寝室に入ると、一瞬視界が黒くなった。部屋はすでに日が沈んだかのような薄暗さだった。

暗い理由はすぐにわかった。左右の壁に窓がないのだ。

奥には縦長の空間が広がっている。

部屋の両側1.5mぐらいの場所には板が敷いてあり、はしごで登れるようになっていた。

板は巨大な2段ベッドだったのだ。

自然と笑顔になった。

山小屋といえば、これよこれ。二段ベッドで区切られた狭い空間を分け合いながら、みんな一緒にごろ寝するやつ。

 

果たして今日、安眠できるだろうか。できなくっても思い出にはなるから問題はないけどね。

一息つこうとXを開いたら圏外だった。でも、不思議と嫌な感じはしない。

 

今回、山小屋でやりたいと思っていることが三つある。

  1. 山小屋飯を食べる
  2. 人と交流する
  3. 山小屋で寝る

一番ハードルが高いのは、人との交流だろう。

そういえば、ほかに泊まる人っているのかな。

そんなことを考えながら天井(二段ベットの上)をながめていると――

「こんにちはー」

突然暗闇から声がした。目を凝らすと先客がいた。おじいさんとおばあさんだ。

リュックの中身を整理しながら軽くおしゃべりをしていると、時間がゆるやかにすぎていく。

「実は俺たち、夫婦じゃないんだよ」

おじいさんが言う。笑顔でうなずくおばさん。ドユコト? 頭の中にはてなマークが飛んでいく。

 

やりたいこと① 山小屋飯を味わおう

時間は17時。夕食の時間になった。

寝室のお向かいにある食堂のドアを開ける。ふわっと温かさに包まれた。食堂には石油ストーブがたたずんでいた。

部屋には机が二列広がっていた。左側の列では、食事が湯気を立てて待っている。

右側の列にはコップだけが8つ置いてあった。なんだろう。

おじいさん・おばあさんと一緒に左側の机に座る。視界に入るのは、大根と卵とこんにゃく。つまりおでんだった。

なるほどそうきたか。

一見すると、夏の今の時期におでんは「なし」に思える。しかし、「標高3000メートル気温10℃台の場所まで登って食べるおでん」と聞くとどうだろうか。おいしそうじゃないですか。

しかし、問題はある。おでんには長年多くの人を悩ませる論争がある。それが、「おでんはご飯に合うのか」論争だ。ちなみに、僕はご飯と一緒に食べるものの、正直あまり合わないんじゃないかと思っている。

今日の結果によっては自分の中で宗派がひっくり返るかもしれない。

 

「いただきます」

一口入れると、幸せが口に広がった。思わずお米に箸が伸びた。

正直に言おう。このおでんはやさしい味わいがした。

お米に合うかというと、普段の僕なら首をかしげるだろう。しかし、なぜだろう。薄味なのにお米が進む。

今日運動したおかげなのか、ロケーションのおかげなのかはわからない。

わかるのは、ただおいしいこと。そしてお米が進む。気づいたらお代わりをくり返してお茶碗3杯が胃の中に吸い込まれていった。

このおでんを忘れることはないだろう。

 

「この年になるとたくさん食べられなくなるんだよね」

おじいさんは食べっぷりに目を細めながら日本酒を飲んでいた。日本酒の横のお茶碗にはお米が残っていた。

 

やりたいこと② 人と交流しよう

「同じ釜の飯を食う」と距離が縮まるといわれている。実際、こうして山の上で席を囲んでいると、相手のことが気になっていく。

そういえば、食事で忘れていたけど謎があった。おじいさんとおばあさんが夫婦じゃないのってどういうことなんだろう。訊いてみることにした。

「実は、お互い配偶者に先立たれているんだよ」

笑顔でおじいさんが言った。突然のことに思わず相槌が打てなかった。しかし、二人はあっけらかんとしている。

 

そのあと、おじいさんがぽつぽつと人生経験を語りだした。

妻の病気がわかったあと、妻に「若い姿のままあなたの記憶にいられる」と言われてしんみりしたこと。

お葬式で「残された子どもを精一杯育てる」と言ったら参列者がいっせいにぶわっと泣き出してあせったこと。

笑顔で話せるようになるまでにはどれだけの辛苦があったのだろう。それを乗り越えた二人がまぶしく見えた。

ちなみに、退職してどうしようかと思っていたとき、山の趣味を持っているおばあさんが誘って二人で行くようになったとか。老後にもそういう友人がいるっていいな。

 

この先の自分の人生は、これからどうなっているんだろう。

僕には話せる人生経験がないので、お返しにChatGPTの使いかたについて教えた。

 

「ぼっとん便所があるからこの山小屋を選んだんだよ」

とおじいさん。理由を聞くと、どうやらおじいさんは学生運動に参加していたらしい。学生運動といえば、僕にとっては歴史の中の出来事だ。生の話を聞けるなんて。背中が前のめりになった。

 

学生運動とぼっとん便所がどう結びつくかというと――

当時、おじいさんがのめりこんだ学生運動では「反資本主義」をかかげていた。彼らにとっての理想の生活は「一次産業や肉体労働に従事すること」だった。そして、東京にはその理想を体現している場所があったという。

日雇い労働者が集っていた山谷だ。しかも、彼らはおじいさんの学生運動をまっさきに味方してくれたのだという。

 

「だから、山谷に今も住みたいと思ってるんだ」

当時に戻ったかのように熱弁をふるうおじいさん。

そして、その山谷の家には必ず「ぼっとん便所」があった。だから、ぼっとん便所を使えば山谷の空気感を味わえるのだという。

こういう偏愛っていいな。

そのあとも、ぼっとん便所談義は続いた。

「ぼっとん便所で出したあとは、お尻の位置をずらすのが大事なんだ」

「ああ、『お釣り』に気をつけないといけないわね」

「お釣りって何ですか?」

「お釣りってのはね、出したあとに水面から跳ね返ってくるやつのことだよ」

実際に体験しないと出てこない、実感のこもった話を聞けた。

ぼっとん便所って、こんな盛り上がる話題だったんだ。

 

管理人さんの憂鬱

「えっ! 困ります!」

突然、奥の管理人さんの部屋から大声が聞こえた。あの温厚な雰囲気からはイメージできないボリュームに、思わずみんな首を向けた。

しばらくすると管理人さんが部屋から出てきて、肩を落としながら隣の机のコップを片付け始めた。

 

「なにかあったんですか?」

気になるので聞いてみた。

「団体のお客さんがいたんですが、手違いで来なくなってしまって……」

聞いたところ、予約していた8人の団体が、人数変更をするときにまちがえて「別の山小屋」に連絡した結果、こちらには来ずに別の山小屋に泊まっているという。

「8合も炊いたのにな……」

背中を丸める姿が小さい。僕らにできることは、明日の朝にちょっとでも多く食べてお米を減らすことだけだ。

だんだん山小屋のおじさんの人となりが見えてきた。あまりにいい人すぎる。きめ細やかな人なのはいいのだが、余計なストレスも背負ってそうで少し心配だ。

そういえば、なぜ山小屋の管理人をしているのだろう。

 

やりたいこと③ 山小屋で寝よう!

人里から離れた場所での食事と交流に、お腹も心もいっぱいだ。ふと腕時計に目をやると、短針が7を指していた。山時間だとまもなく寝る時間だ。

果たして、今日ちゃんと寝ることができるだろうか。

僕は慣れない場所で寝るのが苦手だ。徹夜カラオケをしても寝落ちせずに最後まで歌い続けるタイプであり、旅行先で眠りが浅くなるタイプでもある。

 

ごそごそと固い布団に横になり、毛布をかぶる。眼を閉じると、グオーと遠くから機械の音が耳に入ってきた。そういえば、ここの電気は発電機でまかなっているって管理人さんが言ってたな。

30分後、もぞもぞ起き上がった。ちょっと寒い。上着を着て布団に戻った。

ちなみに今、5枚重ね着してます。

グオン……。

発電機が消えた。管理人さんもこれでお休みに入るのだろう。

時間は21時。

電気すらないこの場所に、ふと心細さを覚える。同時に、その心細さを楽しんでいる自分がいる。

 

寝返りを打つ。

眠れない原因があった。頭の右側に少し頭痛がある。しかし、この症状は経験したことがある。

これ、脱水症状のときと同じだ。グビグビ水を飲んで横になった。

 

すぐにトイレに行った。

頭痛が続く。また水を飲む。
トイレに行った。

頭痛が続く。また水を飲む。
トイレに行った。

 

星見えないかなとトイレのついでに外に出てみると、雲が広がっていて星のほの字も見えなかった。

1分で戻った。

布団に転がり天井を眺めながら悟った。これ、脱水症状じゃないな。では何だろうと天井をながめていて、一つ、閃いたものがあった。

これ、もしかして「高山病」ってやつでは!

思わぬ発見に、がばりと起き上がりそうになった。

今いる場所は標高2900メートルなので、たしかに高山病になっていてもおかしくはない。

「高山病になったことある」って、登山ガチ勢っぽくて格好良くないですか。

病気なのにときめいてしまった。

 

高山病の原因は酸素不足にある。

「スーハースーハー」

寝ころびながら深呼吸をくりかえしてみた。

頭痛は少しずつ気にならなくなっていった。思考が夜と一体化していく。

 

朝に

物音がしたので身体を起こした。時間は5時半。正直、熟睡は全然できなかった。

身体を起こすと、お向かいのおばあさんと目が合った。

「昨日寝られました?」

「全然寝られなかったわー!」

良かった、寝不足仲間がいた。

 

食堂に行くと、朝食の準備が始まっていた。小さなミートボールとソーセージのかけらに、漬物たちが彩りをそえている。保存のきくものが多く、そういえば僻地にいるんだよなと再確認する。

まだ半分寝ている身体に梅干しの酸味がしみていく。ご飯はしっかり2杯食べた。

 

準備をしようと部屋に戻ると、ガラガラと小屋の入り口が開く音が聞こえた。管理人さんが誰かと話している。

どうやら、昨日予約をしてすれ違いが起きていた人たちが謝罪に来たようだ。大学の山岳部の人たちらしい。

苦い思い出になってしまったと思うが、今度こそまた来てね。管理人さんいい人だから。

そう念を送った。

 

 

「じゃあ、お先に!」

大学生が去ったあと、おじいさんおばあさんも出かけて行った。

行き先を聞くと、宝剣岳に登るとのこと。ルートが険しく、僕ら登山初心者では足を踏み入れられない山だ。

彼らの元気さには本当叶わないな。老後はこれぐらいアクティブにすごしていたいものだ。

 

 

さて、僕もそろそろ出ようか。

と、管理人さんがお出迎えに来てくれた。今日このあとは、近くのハイキングコースをのんびり回って帰る予定だ。まだ7時なので、時間の余裕はある。

せっかくだから、もう少しいろいろ聞いてみようか。

 

「山小屋にはいつからいるんですか?」

「実はまだ2年目なんです」

この山小屋は、妻の親戚が経営していたものだったという。しかし、元管理人が高齢になりコロナ禍も重なり営業できなくなってしまった。

そこで、白羽の矢が立ったのがこの管理人さんだった。管理人さんは、山小屋での仕事を始めるために、今までの仕事を辞めたという。

 

 

今は、お客さんがいる限りは一人で山にこもる生活を続けているとのことだった(繁忙期に別の人に手伝ってもらうことはある)。

気弱に見えた山小屋の管理人さんは、人生を必死にもがいている途中だったのだ。

 

「人が来られなくなってごはんが余るのはしょうがないんですよ。それより、お客さんに迷惑をかけてしまったのが申し訳ないです」

それなのに、細やかに気を遣ってくれる。

「迷惑かけられてないですよ!」

力強く言い、応援の意もこめて500ミリの水を買った。

500円だった。山料金だ。

 

終わりに

山は人が少ない。そのぶん人と人の距離が近くなり、同じ机を囲めば物語が始まる。山小屋泊は、想像を超えて心の深いところにしみこむような温かいものだった。

もちろん、山小屋で毎回このような体験ができるわけではない。しかし、今回のように人生の断片を拾いやすい環境が整っている場所なのは確かだ。

 

老後に人生の荷を降ろした人。

人里離れた慣れない山小屋で生活しながら、家族の生活を背負っている人。

僕はまだ何も背負っていない。いつか、なにかを背負うことができるのだろうか。

 

そんなことを考えながら道を振り返ると、雲が切れた。

岩だらけの斜面に力強く構える山小屋の姿に、「きっと大丈夫」と言われた気がした。

 

おまけ:帰り道の景色

※この旅は2024年9月に行ったものです。