はじめての山小屋泊

人生でやりたいことの一つ、それが「山小屋に泊まる」ことだ。

日常から離れた厳しい自然の中で、知らない人と肩を寄せ合いながら同じ釜の飯を食べ、互いにお休みを言う。

そんな環境に置かれたとき、何を感じるのだろう。

 

ある日、友人から誘われてその願いがかなうこととなった。

 

実際に行ってみると、学生運動とぼっとん便所に思いをはせ、管理人さんをはげまし、高山病にときめく、そんな普段できない体験ができました。

 

行ってきます!

注:尾瀬の山小屋に以前行ったことがありますが、あまりに整備が行き届いていたのでノーカウントとします。近くにイタリアンのお店があって楽しかったのですが山小屋感はうすいかなと。

 

山小屋の雰囲気を味わおう

当たり前だが、山小屋に行くためには山を歩かないといけない。

ということで、雨具をかぶりながら足を進めることとなった。

9月なのに冷蔵庫のような涼しさがまとわりついてくる。

時間は15時30分。

目標の最高峰「木曽駒ヶ岳」に到着した。標高は2956メートル。

ただし、景色ガチャは外れ(視界ゼロ)だ。

さてと。のんびりする間もなく山頂に背を向ける。

本日の目的地、山小屋はすぐそこだ。

 

 

10分歩くと、武骨な四角い塊が見えてきた。

本日の目的地、「頂上木曽小屋」だ。

屋根には石がごろごろ乗っかっている。その武骨さに、環境の厳しさがひしひしと伝わってくる。

今、肩に力が入っている。

なぜなら、山小屋に入るのがちょっと怖いから。

みなさんは、山小屋の管理人と聞いてどのような人を想像するだろうか。

僕が思いうかべるのは、ルールを破ると厳しく𠮟ってくるような「頑固おやじ」の姿だ。

というのもですよ。

ここは3000メートル近い、文明から離れた場所だ。険しい場所で生きていくには、タフな精神が必要となるだろう。

そこで強さの象徴としてイメージされるのが「頑固おやじ」なのだ。

 

ガラガラっと横向きにドアを開ける。

「いらっしゃいませー」

小さめの声で出迎えてくれたのは、50代前半ぐらいのやわらかい雰囲気のおじさんだった。

飲み会の隅の席で静かに話を聞いているのが似合いそうな、頑固おやじとは対極の姿に肩の力が抜けていった。

台帳に住所や名前を記入したあと、簡単に建物を案内してもらった。食堂と寝室があり、トイレは汲み取り式だとか。

 

夕食は17時からなので、少し時間の余裕がある。それまで寝室に荷物を置いて休むことにしよう。

寝室に入ると、一瞬視界が黒くなった。部屋はすでに日が沈んだかのような薄暗さだった。

暗い理由はすぐにわかった。左右の壁に窓がないのだ。

奥には縦長の空間が広がっている。

部屋の両側1.5mぐらいの場所には板が敷いてあり、はしごで登れるようになっていた。

板は巨大な2段ベッドだったのだ。

自然と笑顔になった。

山小屋といえば、これよこれ。二段ベッドで区切られた狭い空間を分け合いながら、みんな一緒にごろ寝するやつ。

 

果たして今日、安眠できるだろうか。できなくっても思い出にはなるから問題はないけどね。

一息つこうとXを開いたら圏外だった。でも、不思議と嫌な感じはしない。

 

今回、山小屋でやりたいと思っていることが三つある。

  1. 山小屋飯を食べる
  2. 人と交流する
  3. 山小屋で寝る

一番ハードルが高いのは、人との交流だろう。

そういえば、ほかに泊まる人っているのかな。

そんなことを考えながら天井(二段ベットの上)をながめていると――

「こんにちはー」

突然暗闇から声がした。目を凝らすと先客がいた。おじいさんとおばあさんだ。

リュックの中身を整理しながら軽くおしゃべりをしていると、時間がゆるやかにすぎていく。

「実は俺たち、夫婦じゃないんだよ」

おじいさんが言う。笑顔でうなずくおばさん。ドユコト? 頭の中にはてなマークが飛んでいく。

 

やりたいこと① 山小屋飯を味わおう

時間は17時。夕食の時間になった。

寝室のお向かいにある食堂のドアを開ける。ふわっと温かさに包まれた。食堂には石油ストーブがたたずんでいた。

部屋には机が二列広がっていた。左側の列では、食事が湯気を立てて待っている。

右側の列にはコップだけが8つ置いてあった。なんだろう。

おじいさん・おばあさんと一緒に左側の机に座る。視界に入るのは、大根と卵とこんにゃく。つまりおでんだった。

なるほどそうきたか。

一見すると、夏の今の時期におでんは「なし」に思える。しかし、「標高3000メートル気温10℃台の場所まで登って食べるおでん」と聞くとどうだろうか。おいしそうじゃないですか。

しかし、問題はある。おでんには長年多くの人を悩ませる論争がある。それが、「おでんはご飯に合うのか」論争だ。ちなみに、僕はご飯と一緒に食べるものの、正直あまり合わないんじゃないかと思っている。

今日の結果によっては自分の中で宗派がひっくり返るかもしれない。

 

「いただきます」

一口入れると、幸せが口に広がった。思わずお米に箸が伸びた。

正直に言おう。このおでんはやさしい味わいがした。

お米に合うかというと、普段の僕なら首をかしげるだろう。しかし、なぜだろう。薄味なのにお米が進む。

今日運動したおかげなのか、ロケーションのおかげなのかはわからない。

わかるのは、ただおいしいこと。そしてお米が進む。気づいたらお代わりをくり返してお茶碗3杯が胃の中に吸い込まれていった。

このおでんを忘れることはないだろう。

 

「この年になるとたくさん食べられなくなるんだよね」

おじいさんは食べっぷりに目を細めながら日本酒を飲んでいた。日本酒の横のお茶碗にはお米が残っていた。

 

やりたいこと② 人と交流しよう

「同じ釜の飯を食う」と距離が縮まるといわれている。実際、こうして山の上で席を囲んでいると、相手のことが気になっていく。

そういえば、食事で忘れていたけど謎があった。おじいさんとおばあさんが夫婦じゃないのってどういうことなんだろう。訊いてみることにした。

「実は、お互い配偶者に先立たれているんだよ」

笑顔でおじいさんが言った。突然のことに思わず相槌が打てなかった。しかし、二人はあっけらかんとしている。

 

そのあと、おじいさんがぽつぽつと人生経験を語りだした。

妻の病気がわかったあと、妻に「若い姿のままあなたの記憶にいられる」と言われてしんみりしたこと。

お葬式で「残された子どもを精一杯育てる」と言ったら参列者がいっせいにぶわっと泣き出してあせったこと。

笑顔で話せるようになるまでにはどれだけの辛苦があったのだろう。それを乗り越えた二人がまぶしく見えた。

ちなみに、退職してどうしようかと思っていたとき、山の趣味を持っているおばあさんが誘って二人で行くようになったとか。老後にもそういう友人がいるっていいな。

 

この先の自分の人生は、これからどうなっているんだろう。

僕には話せる人生経験がないので、お返しにChatGPTの使いかたについて教えた。

 

「ぼっとん便所があるからこの山小屋を選んだんだよ」

とおじいさん。理由を聞くと、どうやらおじいさんは学生運動に参加していたらしい。学生運動といえば、僕にとっては歴史の中の出来事だ。生の話を聞けるなんて。背中が前のめりになった。

 

学生運動とぼっとん便所がどう結びつくかというと――

当時、おじいさんがのめりこんだ学生運動では「反資本主義」をかかげていた。彼らにとっての理想の生活は「一次産業や肉体労働に従事すること」だった。そして、東京にはその理想を体現している場所があったという。

日雇い労働者が集っていた山谷だ。しかも、彼らはおじいさんの学生運動をまっさきに味方してくれたのだという。

 

「だから、山谷に今も住みたいと思ってるんだ」

当時に戻ったかのように熱弁をふるうおじいさん。

そして、その山谷の家には必ず「ぼっとん便所」があった。だから、ぼっとん便所を使えば山谷の空気感を味わえるのだという。

こういう偏愛っていいな。

そのあとも、ぼっとん便所談義は続いた。

「ぼっとん便所で出したあとは、お尻の位置をずらすのが大事なんだ」

「ああ、『お釣り』に気をつけないといけないわね」

「お釣りって何ですか?」

「お釣りってのはね、出したあとに水面から跳ね返ってくるやつのことだよ」

実際に体験しないと出てこない、実感のこもった話を聞けた。

ぼっとん便所って、こんな盛り上がる話題だったんだ。

 

管理人さんの憂鬱

「えっ! 困ります!」

突然、奥の管理人さんの部屋から大声が聞こえた。あの温厚な雰囲気からはイメージできないボリュームに、思わずみんな首を向けた。

しばらくすると管理人さんが部屋から出てきて、肩を落としながら隣の机のコップを片付け始めた。

 

「なにかあったんですか?」

気になるので聞いてみた。

「団体のお客さんがいたんですが、手違いで来なくなってしまって……」

聞いたところ、予約していた8人の団体が、人数変更をするときにまちがえて「別の山小屋」に連絡した結果、こちらには来ずに別の山小屋に泊まっているという。

「8合も炊いたのにな……」

背中を丸める姿が小さい。僕らにできることは、明日の朝にちょっとでも多く食べてお米を減らすことだけだ。

だんだん山小屋のおじさんの人となりが見えてきた。あまりにいい人すぎる。きめ細やかな人なのはいいのだが、余計なストレスも背負ってそうで少し心配だ。

そういえば、なぜ山小屋の管理人をしているのだろう。

 

やりたいこと③ 山小屋で寝よう!

人里から離れた場所での食事と交流に、お腹も心もいっぱいだ。ふと腕時計に目をやると、短針が7を指していた。山時間だとまもなく寝る時間だ。

果たして、今日ちゃんと寝ることができるだろうか。

僕は慣れない場所で寝るのが苦手だ。徹夜カラオケをしても寝落ちせずに最後まで歌い続けるタイプであり、旅行先で眠りが浅くなるタイプでもある。

 

ごそごそと固い布団に横になり、毛布をかぶる。眼を閉じると、グオーと遠くから機械の音が耳に入ってきた。そういえば、ここの電気は発電機でまかなっているって管理人さんが言ってたな。

30分後、もぞもぞ起き上がった。ちょっと寒い。上着を着て布団に戻った。

ちなみに今、5枚重ね着してます。

グオン……。

発電機が消えた。管理人さんもこれでお休みに入るのだろう。

時間は21時。

電気すらないこの場所に、ふと心細さを覚える。同時に、その心細さを楽しんでいる自分がいる。

 

寝返りを打つ。

眠れない原因があった。頭の右側に少し頭痛がある。しかし、この症状は経験したことがある。

これ、脱水症状のときと同じだ。グビグビ水を飲んで横になった。

 

すぐにトイレに行った。

頭痛が続く。また水を飲む。
トイレに行った。

頭痛が続く。また水を飲む。
トイレに行った。

 

星見えないかなとトイレのついでに外に出てみると、雲が広がっていて星のほの字も見えなかった。

1分で戻った。

布団に転がり天井を眺めながら悟った。これ、脱水症状じゃないな。では何だろうと天井をながめていて、一つ、閃いたものがあった。

これ、もしかして「高山病」ってやつでは!

思わぬ発見に、がばりと起き上がりそうになった。

今いる場所は標高2900メートルなので、たしかに高山病になっていてもおかしくはない。

「高山病になったことある」って、登山ガチ勢っぽくて格好良くないですか。

病気なのにときめいてしまった。

 

高山病の原因は酸素不足にある。

「スーハースーハー」

寝ころびながら深呼吸をくりかえしてみた。

頭痛は少しずつ気にならなくなっていった。思考が夜と一体化していく。

 

朝に

物音がしたので身体を起こした。時間は5時半。正直、熟睡は全然できなかった。

身体を起こすと、お向かいのおばあさんと目が合った。

「昨日寝られました?」

「全然寝られなかったわー!」

良かった、寝不足仲間がいた。

 

食堂に行くと、朝食の準備が始まっていた。小さなミートボールとソーセージのかけらに、漬物たちが彩りをそえている。保存のきくものが多く、そういえば僻地にいるんだよなと再確認する。

まだ半分寝ている身体に梅干しの酸味がしみていく。ご飯はしっかり2杯食べた。

 

準備をしようと部屋に戻ると、ガラガラと小屋の入り口が開く音が聞こえた。管理人さんが誰かと話している。

どうやら、昨日予約をしてすれ違いが起きていた人たちが謝罪に来たようだ。大学の山岳部の人たちらしい。

苦い思い出になってしまったと思うが、今度こそまた来てね。管理人さんいい人だから。

そう念を送った。

 

 

「じゃあ、お先に!」

大学生が去ったあと、おじいさんおばあさんも出かけて行った。

行き先を聞くと、宝剣岳に登るとのこと。ルートが険しく、僕ら登山初心者では足を踏み入れられない山だ。

彼らの元気さには本当叶わないな。老後はこれぐらいアクティブにすごしていたいものだ。

 

 

さて、僕もそろそろ出ようか。

と、管理人さんがお出迎えに来てくれた。今日このあとは、近くのハイキングコースをのんびり回って帰る予定だ。まだ7時なので、時間の余裕はある。

せっかくだから、もう少しいろいろ聞いてみようか。

 

「山小屋にはいつからいるんですか?」

「実はまだ2年目なんです」

この山小屋は、妻の親戚が経営していたものだったという。しかし、元管理人が高齢になりコロナ禍も重なり営業できなくなってしまった。

そこで、白羽の矢が立ったのがこの管理人さんだった。管理人さんは、山小屋での仕事を始めるために、今までの仕事を辞めたという。

 

 

今は、お客さんがいる限りは一人で山にこもる生活を続けているとのことだった(繁忙期に別の人に手伝ってもらうことはある)。

気弱に見えた山小屋の管理人さんは、人生を必死にもがいている途中だったのだ。

 

「人が来られなくなってごはんが余るのはしょうがないんですよ。それより、お客さんに迷惑をかけてしまったのが申し訳ないです」

それなのに、細やかに気を遣ってくれる。

「迷惑かけられてないですよ!」

力強く言い、応援の意もこめて500ミリの水を買った。

500円だった。山料金だ。

 

終わりに

山は人が少ない。そのぶん人と人の距離が近くなり、同じ机を囲めば物語が始まる。山小屋泊は、想像を超えて心の深いところにしみこむような温かいものだった。

もちろん、山小屋で毎回このような体験ができるわけではない。しかし、今回のように人生の断片を拾いやすい環境が整っている場所なのは確かだ。

 

老後に人生の荷を降ろした人。

人里離れた慣れない山小屋で生活しながら、家族の生活を背負っている人。

僕はまだ何も背負っていない。いつか、なにかを背負うことができるのだろうか。

 

そんなことを考えながら道を振り返ると、雲が切れた。

岩だらけの斜面に力強く構える山小屋の姿に、「きっと大丈夫」と言われた気がした。

 

おまけ:帰り道の景色

※この旅は2024年9月に行ったものです。