「河川水位警報機」というものがある。川があふれそうになったときに警告するスピーカーのことだ。その姿は縁の下の力持ちそのもの。出番は多くても年に数十回。防災無線のように毎日テスト放送をするわけでもなく、ひたすら川を見つめ続ける。なんてひたむきな奴なんだ。ここまで健気な存在を他に知らない。もっと詳しく知りたい。気づいたら水位警報機に熱い視線を注いでいる自分がいた。
ある日、水位警報機をながめながら歩いていて引っかかりを覚えた。水位警報機の配置がなんか変だ。警報機同士が極端に近いものもあれば、数キロ歩かないと次の警報機がない場所もある。なんでそんなにばらつきがあるんだろう。何か理由があるに違いない。そこで、近所の川である善福寺(ぜんぷくじ)川を歩いて調べてみることにした。見えてきたのは、度重なる洪水に負けじとひたむきに進化を続ける街の姿だった。
今回は、杉並区民のオアシス、善福寺川で水位警報機の謎を解き明かします。
水位警報機の位置の謎
突然だが問題だ。ここに杉並区を流れる善福寺川の地図がある。もし「川ぞいに水位警報機を14ヶ所設置してください」と言われたらどうするだろうか。
多くの人はおそらくこう考えるんじゃないだろうか。
一定の間隔で並べればいい、と。
ところが、実際の配置はこうだった。
下流にかたよっている。なぜだなんでだろう? 頭の中でテツ and トモが歌いだした。ネットで一応調べてみたけど、水位警報機の分布を調べた人はなし。ですよねー。
こういうときは目で見て調べるのが一番。実際に行ってきました。
謎:なぜ水位警報機の分布がかたよっているのか?
水位警報機を三つのタイプに整理する
今回善福寺川の始まりから終わりまで、水位警報機をながめながらテクテク歩いた。11キロのショートトリップ。
そよ風。ぽかぽか太陽。さらさら流れる水の音。まぶたが重くなる。近くのベンチもベッドに見えてきた。
そうだった、今日の目的は水位警報機。
さて、今回の歩きで目に入った水位警報機を三種類にわけて紹介しよう。
- 川沿いタイプ
- 調節池タイプ
- 近接タイプ
あと善福寺川のおすすめスポットをちょこちょこ挟んでおくので、箸休めにどうぞ。
川沿いタイプ(①, ②, ⑤~⑧, ⑫)
まずは一番普通のやつだ。普通に川沿いにあるパターン。
河川警報機を弁当の世界で例えると梅干しだろうか。普段は当たり前のようにいるけど、非常時(体調不良)には唾液の分泌を助けてくれるし身体にしみわたる。そんなたよりになるやつ。
ところで、一台気になる水位警報機があった。一番上流のやつだ。
水位警報機の上流に広がっている景色を見てほしい。
土嚢というと、大雨が近づいたときに急いで積むイメージがある。ということは、わりと最近にここで洪水があったのだろうか。
水位警報機の分布を考えるうえで、洪水は何か関係しているのかもしれない。
調節池タイプ(⑨, ⑩, ⑪)
次は「調節池」の近くにある水位警報機だ。調節池とは、大雨のときに水を入れることで洪水を防ぐ空間のことだ。調節池タイプの水位警報機は三つ。順番に見ていこう。
この広さよ。大雨のときはさぞや頼もしいことだろう。
調節池は川があふれるのを防ぐ一方で、万が一許容量を超えれば周りに被害を与えてしまう一面もある。近くに水位警報機があるのは納得だ。洪水対策の近くに水位警報機あり。
二つ目の調節池に行こう。こちらもスポーツ施設になっている。今度はテニスだ。
このテニスの壁打ち場を見たとき、突然鮮やかに映像が思い浮かんだ。よみがえる苦い記憶。
中学生のとき、僕は硬式テニス部に入部した。部活が休みのある日、部員メンバーで壁打ち場に行こうって話になった。
あのころはテニスが下手だった。順番が来る。思いっきり壁にボールを打つ。そのまま勢いよく返ってくるボール。あわてて打ち返す。ラケットの端に当たる。真横に飛んでいくボール。ボールは横で打っていたおじさんの顔面に吸い込まれるように
「スパコーーン!」
直撃だった。吹っ飛ぶメガネ。崩れ落ちるおじさん。そのあと記憶がない。たしか優しい人でそのまま許してもらえた。水に流してもらえた。調節池だけに。あれ以来、壁打ち場を見るたびにあのおじさんへの申し訳なさがよみがえる。
楽しく散歩していたのに水を差されてしまった。調節池だけに。そそくさと立ち去る。
気を取り直して次に行こう。三つ目の調節池だ。実はそっちも部活のメンバーで使ったことがある。だからしっかり覚えてる。テニスコートだ。行ってみよう。
だが、かつてテニスをした場所は工事中の様子。中をのぞいてみよう。
何の工事をしてるんだろう。きょろきょろ。フェンスに説明書きを見つけた。
さっきの土嚢と同じだ。確信した。まだ川との戦いは続いているんだ。
近接タイプ(③, ④, ⑬, ⑭)
最後は「近接タイプ」だ。どういうことかというと――
③④と⑬⑭がめちゃくちゃ近い。これは気になる。どんな様子か見てみよう。
まずは③④だ。
川から離れたほうはどうだろう。川の横の道を曲がる。すぐ近くの公園に見覚えのあるスピーカーが見つかった。
なんでここにあるんだろう。善福寺川近くの公園はたくさんある。でも水位警報機がある公園はここだけ。しかも水位警報機と川の距離はたったの100メートル。うーんわからん。You(河川警報機)は何しに公園へ?
ちなみに、もうひとつのペア、下流の水位警報機もほぼ同じだった。
新たな謎ができてしまった。
謎2:川から離れた水位警報機はなぜある?
謎を整理しよう
ここでもう一度謎を整理しよう。
- 謎1:なぜ水位警報機の分布がかたよっているのか?
- 謎2:川から離れた水位警報機はなぜある?
ここからは調査と推理の時間だ。歩いても分布の理由は解けなかった。でも手がかりは得られた。それが「洪水」だ。その線で調べてみよう。
一つ目の謎を解こう(水位警報機の分布)
まずは水位警報機の分布の謎だ。
「――さて」
とつぜん脳内に男が現れた。パイプをくゆらせ安楽椅子に腰かけている。
「まっさきに見るべきはハザードマップだろうね。水位警報機もハザードマップも洪水対策から生まれたものだから」
正体は探偵だった。なるほどハザードマップか。調べてみよう。
あれれ、おかしいな。川の近くにまんべんなく浸水しそうな場所がある。これだったらやっぱり均等に配置したほうがいいんじゃないか。
あなた、本当に探偵?
「なになに、説を一つ言ってみただけだよ」
ふーん、あやしい。
よみがえる洪水の記憶
「じゃあ次の説に移ろう。歩いて見つけた『手がかり』をもう一度思い出してごらん」
手がかりって、「洪水」のこと?
「ならば、過去の洪水が関係しているとは考えられないかい?」
たしかに。過去の洪水ってなにかあったかな。
そうだ。洪水あったよ。浮かんだのは丸ノ内線。中学生のとき、僕は毎日東京メトロ丸ノ内線に乗って通学していた。あれは2005年の9月のこと。土日に豪雨が吹き荒れた。川があふれ各地で浸水が発生。
typhoon.yahoo.co.jpそして月曜日。駅に行くとUターンする人の群れ。止まっていた。原因は「車庫の浸水」。車庫は善福寺川の近くにある。どこか他人事だと感じていた災害。本当に大変なことが起こっていたんだと身体が強ばった。
「やはりか。じゃあ調べてみたまえワトソン君」
助手にされてるのは気に食わないけどオーケー。2005年の洪水被害を調べよう。
すぐに浸水被害の地図が見つかった。これでいよいよ真相が明らかに……!
うーん。この被害だったら川全体にまんべんなく水位警報機を設置したほうがいい。ハザードマップと同じ結果だ。
というか今完全に謎が解ける流れだったよね探偵さん?
さらに前の洪水から謎が解けた!
「なになに、あきらめるのはまだ早いよ」
外れたのに大した自信だね。まだ手はあるってことか。
「洪水があったのは2005年だけかい? もっと前にもあるだろう?」
言われてみればたしかに。わかったよ探偵さん。次に見るべきはさらに昔の洪水だ。
調べてみると、大きな災害が二つ出てきた。一つ目が1982年。39年前に来た台風18号。1084棟が浸水することとなった。二つ目は丸ノ内線が止まった2005年。このときは2314棟が浸水することとなった。
「ビンゴのようだね。じゃあ1982年の洪水を調べてみようじゃないか」
言われなくたってわかってるよ。1982年の洪水のマップを見てみよう。
これだ! 赤い色にそって水位警報機が設置されている。特に⑥と⑫は、洪水があった場所に造られたのが明らかだ。
結論が出た。水位警報機の分布がかたよっているのは「1982年の洪水をきっかけに設置されたから」だ!
解けていなかった……
やったぜ解決。ふふん。
「本当にそうかな」
なんだよ達成感にひたってたのに。一応話は聞くけど。
「上流の水位警報機の場所を見直してくれたまえ」
わかったよ。さっきの浸水の図をながめる。あれれ? 被害のない場所にある水位警報機を見つけてしまった。
一難去ってまた一難。
「落ち着きたまえ。もう手がかりはそろってるよ」
息を吸って吐く。すぐに理由が思い立った。1982年に被害がなかったなら、①②の水位警報機は丸ノ内線が止まった2005年の洪水がきっかけで設置されたんじゃないか?
「そういうことだよ。君もやるじゃないか」
裏付けも見つかった。
河川水位、雨量計、警報機の増設箇所でございますが、まず、善福寺川の上流部丸山橋というところにあります水位・雨量・警報局、これを新しく増設しました。それからその下の本村橋のところも、水位・雨量・警報局を新しく増設しました。
(杉並区議会 委員会議事録 平成18年6月23日都市環境委員会より)
丸山橋と本村橋とは、上流の水位警報機①②がある場所だ。
上流の水位警報機は、やはり2005年の洪水がきっかけで設置されたものだった。今度こそ解決だ。
「君はもう大丈夫そうだね。二つ目の謎は君の力で解いてごらん」
ありがとう探偵! がんばるよ。
謎1のまとめ
謎1:なぜ水位警報機の分布がかたよっているのか?
⇒三つのきっかけで設置されている。
- 調節池の近く
- 1982年の洪水被害があった場所
- 2005年の洪水被害があった場所
二つ目の謎を解こう(川から離れた水位警報機)
いよいよ二つ目、最後の謎を解こう。川から離れた水位警報機(③と⑭)がなぜあるのか。正直、ここまでいろいろ見てきた。知識も身についた。探偵のおかげ(?)で自信もついた。それならば、現地に行けばもうわかるはずだ。再び善福寺川にひゅーうぃーごー。
貯水施設の入り口発見!
いきなり手がかり発見! 川の下側が空洞になっている。そして上には「善福寺川取水施設」と書かれた建物。
敷地のフェンスに答えが書いてあった。これは「神田川・環状七号線地下調節池」の入り口とのこと。
説明書きによると、環状七号線の地下に巨大な地下空間が造られているらしい。直径12.5メートル、長さは4.5キロメートル。ちょっと想像できない。
検索すると動画が出てきた。月並みな言葉だけど、めちゃくちゃでかい。
完成は2007年。以降、善福寺川下流と神田川の浸水被害は激減したという。完成までどれだけの困難があったんだろう。地上以上に費用がかかる地下に巨大な施設を造るなんて。どれだけの熱意があったんだろう。
川から離れた位置に水位警報機があるのは、巨大な地下調節池の情報を住民にいち早く伝えるためのものだった。
公園で貯水施設を探す
最後に残ったのは上流の水位警報機(③④)だ。上流に行ってみよう。
なにか手がかりがあるはずだ。具体的には取水施設とかそういうやつ。うろうろしてたらやっと見つけた。
さて、答え合わせをしよう。
東京都下水道局では、現在、荻窪2丁目の荻窪公園を起点として、雨水を一時的に貯留するための工事を進めており、今年度末の完成を目指しているところでございます。
(杉並区議会 委員会議事録 令和元年第4回定例会 11月19日-23号より)
地下の調節池により洪水の被害が減った下流。しかし、上流の被害はおさまっていなかった。どげんかせんといかん。新たな対策が立ち上がった。そのひとつが荻窪公園というわけだ。
荻窪公園の地下には、雨水をためる「貯留管」が650メートルにわたって設置されていた。そして洪水との戦いはまだ続いているのだ。
謎2のまとめ
謎2:川から離れた水位警報機はなぜある?
⇒水位警報機の近くに貯水施設があり、いち早く異常を伝えられるようにしている。
最後に
水位警報機の配置になんとなく違和感を覚えて始めた調査。最後は地下の巨大空間にまで行きつくとは。トカゲの生態を調べていたらワニにたどり着いたみたいな驚きだ。
今まで当たり前のようにすごしていた杉並の街。実は長い間水害に苦しみ続けていた。そのたびに新たに計画される対策。水位警報機に調節池、地下調節池、地下貯留管。まさかここまで多様な対策を取っているとは。
そして戦いは今も終わっていない。川沿いでの工事は続き、今も新たな調節池が造られている。俺たちの戦いはこれからだ!
なにか気の利いた言葉で締めようと思ったが、ちょっと言葉が出てこない。長く計画を進めてきた行政に、そして静かに流れているだけに見えて「水面下」で進化を続けている善福寺川にありがとうと言いたい。これからもよろしくお願いします。
参考文献
- わが家の水害ハザードマップ(杉並区)
- 杉並区議会 議会中継 会議録検索(杉並区)
- 新たな都市型水害の減災に挑む(政策提言)~杉並区都市型水害対策検討専門家委員会報告書~(杉並区都市型水害対策検討専門家委員会)
- 過去の水害記録~浸水実績図~(東京都建設局)
おまけ:今回紹介できなかった善福寺川の洪水対策設備
和田弥生幹線
地下の巨大施設は「神田川・環状七号線地下調節池」だけじゃない。善福寺川下流には直径8.5m、延長2.2kmの貯留管が造られている。
ちょーでかい!
善福寺川調節池
善福寺川中流(⑤と⑥の間)にある調節池。公園の地下部分に造られている。
杉並区上荻四丁目付近善福寺川流域貯留管
善福寺川近くの道路沿いに造られている貯留管。こちらは現在建設中。