最近防災無線が気になっている。普段は夕方に音楽を流すだけの健気な存在。でも非常時にはみんなに情報を伝える頼りがいのあるやつ。人がいるところ防災無線あり。これだけ身近な存在ならどこか面白いところがあるはずだ。調べてみたところ、防災無線の「名前」を調べると地域の歴史が掘り出せることがわかってきた。そんな防災無線の魅力がわかる場所を今回は3つ紹介したい。
歴史が眠った防災無線を探す唯一のコツ
本題に入る前に一つ知っておいてほしいことがある。「防災無線の名付けかた」だ。といってもルールは簡単。
つまり、防災無線のほとんどは「近くにある施設や地名」から命名される。この「ほとんど」がミソで、たまにそのルールから外れた防災無線がある。そしてそんな防災無線の名前がついた経緯を調べると、眠っていた歴史が息を吹き返すという算段だ。
つまり、面白い防災無線を調べる方法は「防災無線の名前を見て、違和感を感じたら調べる」これだけだ。ね、簡単でしょ。
では紹介していきましょう!
杉並の住宅地にある防災無線
杉並区の阿佐ヶ谷駅から歩いて十数分。閑静な住宅地にやつはいる。
もうちょっと近づいて見てみよう。
デザインもいいが、そろそろ本題に入ろう。防災無線の名前を見てみよう。
どういうことなのか。実はここ、「遊び場発祥の地」なのだ。
整理して説明する。まず「遊び場」とは杉並区独自のもので、「土地を有効活用するために一時的に公園として整備された施設」のことだ(詳しくは前書いたこの記事を読んでほしい)。
tenyard.hatenadiary.jpこの遊び場、「一時的」な存在なだけにかなりの数ができたりなくなったりを繰り返している。その数なんと117か所。
そして記念すべき「遊び場1番」が作られたのがこの場所だった。できたのは意外と古く、53年前の1967年だ。松岡修造の生まれた年。それはどうでもいいか。
かつての遊び場1号はとうの昔になくなり面影はどこにもない。でも防災無線は覚えているのだ。そこに遊び場があったことを。
にぎやかな公園にある防災無線
防災無線を探しながら歩いていると自然と目線が空を向く。「上を向いて歩こう」の作者は防災無線好きだったに違いない。上を向いて歩こう。(防災)無線を見逃さないように。
さて、次に紹介するのも杉並区。今度は公園にある防災無線だ。
そんな空間でみんなを見守る黒い光沢をまとった柱がある。その堂々としたたたずまいはベンツの高級車のよう。それが防災無線だ。
防災無線は近くの施設や住所をそのまま防災無線の名前に採用することが多い。その法則でいくと、防災無線の名前は「下高井戸あおぞら公園」になるはず。見てみよう。
違和感を感じていただけただろうか。感じたならもう同じ防災無線好きの仲間だ。ウェルカム。一緒に芝生に寝転がって防災無線を眺めよう。
違和感の話に戻ろう。理由は歴史を見ればわかるはずだ。年表で見てみよう。
元は東京電力が持っていた土地だったのか。東日本大震災をきっかけに手放すことになり、杉並区が土地を買い取ったということらしい。さっきの遊び場も出てきたぞ。ふむふむ。
そうなると気になってくるのが防災無線ができた時期だ。防災無線を見るとしっかり書いてあった。
年表に足してみよう。
防災無線が建てられたのは公園の開園前。つまり設置当時はまだ公園名が決まっていなかったのだ。公園の仮の名前がそのまま使われたということか。
ちょっとした違和感から昔あったグラウンドまで話が広がった。防災無線、なかなか深いぞ。
とある建造物の跡にある防災無線
地元以外でも面白い防災無線はないだろうか。軽く調べてみたところ、ちょうど良さそうなところが見つかった。行ってみよう!
ということで来ました埼玉県さいたま市の西区。ここにまさに「歴史の生き証人」にふさわしい防災無線があるとか。
さて、着いたのは「土屋」という場所。鎌倉時代に土蔵があったのが地名の由来だ。
そういえば防災無線を見ていてその形にどこか既視感があったのだが、その理由を突然思い出した。
この曲の絵だ。力強い歌声で全方位に宣戦布告する初音ミク。運動会で使うようなメガホンだと勝手に思っていた。まさか防災無線を使っていたとは。思っていたより数百倍規模が大きかった。歌詞に「手段なんて選んでられない」ってあったけど、ここまで大それたことをしていたのか。さぞや近所の住民は驚いたことだろう。
何をしに来たんだっけ。そうだ名前名前。防災無線に近づき名前を探す。
名前に入っていたのは「火の見やぐら」。でも今ここに火の見やぐらはない。そう、この防災無線は、火の見やぐらがかつてここにあったことを伝えているのだ。
となるとほしくなるのは痕跡だ。周りを歩いてみる。火の見やぐらの土台がないか調べてみたが見当たらない。
本当にここに火の見やぐらはあったんだ! ふいに脳裏にかつての情景が浮かんだ。火事が見つかって火の見やぐらに駆け上がり決まったリズムで鐘を鳴らす消防団の人の姿。鐘を鳴らす前にこの金属板を見ていたのかな。
あとで調べると写真があった。2010年ごろまではあったようだ。できればその姿を見たかった。
まだまだある火の見やぐら跡の防災無線
実はさいたま市西区の火の見やぐら跡にある防災無線はあと二つある。かけ足で紹介していこう。
一つは「三条町火の見やぐら」だ。火の見やぐらの跡は見つからなかったが、庭園のようなとても風情のある場所だった。
二つ目は「島根火の見やぐら」。こちらは跡が残っていた。
役目を終えたので撤去されるのは仕方ないとはいえ、火の見やぐらの跡を見るととてもさびしい気持ちになる。ただこの場所には防災無線がある。火の見やぐらがなくなっても防災無線にその名前は刻まれ、その痕跡は残り続けるのだろう。さいたま市西区ではまさに地域の生き証人にふさわしい防災無線に出会うことができた。
終わりに
帰りのバスでまどろんでいたとき、アナウンスで一気に現実に引き戻された。
「次は、火の見やぐら。火の見やぐら」
そっか。地域の跡が残るという意味では地名も防災無線と同じなんだ。違うのは痕跡の新しさ。地名は何百年前のものが残っていることがあるけど、防災無線は歴史が浅いので長くても数十年前。さらに防災無線は建て替えるタイミングで名前が変わる可能性もある。
つまり、気になるならすぐに見に行ったほうがいいということだ。興味があれば上を向いて防災無線を探してみてほしい。あなたの街の物語が眠っているかもしれない。見上げてごらん街の防災無線を。
おまけ
ちなみに今一番気になっているのは岐阜県岐阜市の長良八幡にあるらしい「長良八幡町遊園地」という名の防災無線です。近くに遊園地はもちろん児童遊園も見当たらず。何か知っている人がいたらぜひ教えてください。