小学生のころ、ベイブレードにドハマりした。放課後には兄弟でひたすらコマをぶつけ合い、休日はおもちゃ屋に突撃する日々。当時はただ夢中だった。でも、今振り返ってみると思うのだ。あのとき、ベイブレードから「社会を生きるために必要な力」を教えてもらってたんだなって。
衝撃の出会い
出会いは2000年の秋のこと。兄弟で参加してるプール教室の帰り道だった。途中で通るおもちゃ屋で目に入ったのは、プラスチックのスタジアムと二つのコマ。
「『ベイブレード』っていうのよ。お試し用を置いてみたからやってみて!」
とおもちゃ屋のおばあちゃん。さっそくやってみよう。コマにシューターをセットする。スタジアムに向かって構え、それぞれプラスチックのひもを力いっぱい引っ張る。
ゴスッ ズオォォーン!
クールな風切り音を響かせ回るコマ。そして戦いが始まった。
ガキン! ガガ!
互いに一歩も譲らないベイブレードたち。がんばれ。負けるな。気づいたら身体を乗り出していた。
もっとやってみたい! こうしてベイブレードを遊ぶ日々が始まった。
始まったベイブレード争奪戦
あのあとスタジアムを買った。ベイブレードも買った。これで存分に家で遊べる。あとはベイブレードをもっとそろえたいな。
2001年1月。
そうこうしているうちにアニメが始まった。バックグラウンドが異なる少年たちが集まり、それぞれの思惑がぶつかりながらも世界一を目指していく王道ストーリー。ハマった。毎週月曜の夜、テレビにかじりつくのが習慣になった。今でもオープニング曲はそらで歌える。
もちろんそれは僕らだけじゃない。
"ビッグバン" が起きた。ベイブレードの人気爆発だ。
にやり。わかってたよ。人気が出たってことは新製品もさらに力を入れてくれるだろう。いつもより心なしか大股でおもちゃ屋に向かう。我、ベイブレードの先輩ぞ。
しかし、迎えてくれたのは「ベイブレード売り切れ」の文字。
そう、この時期からベイブレードは品薄になっていった。ベイブレードがほしい。でもめったに売ってない。当時はネットの情報もない時代。たよりになるのは己の足。
こうして、在庫を求めて近所のおもちゃ屋をさまよう日々が始まった。
ベイブレード品薄狂騒曲
ある日、いつものようにおもちゃ屋に足を運ぶ。店の入り口が見えてきた。そこには見覚えのある箱が!
ちょうど両手に収まるサイズの直方体。パッケージには円形のコマと雷っぽいかっこいいデザインの箱。間違いない。ベイブレードが入荷したんだ。
陸上選手顔負けのスピードで近づく。手に取る。よし、レジへGOだ!
「お願いします!」
レジに箱を置く。置いた姿勢のまま固まる。
パッケージに違和感。なんだこれ。
よく見ると、レジにあるのはベイブレードっぽいけど違う何か。今風に言うと「異世界転生したベイブレード」みたいな。
見慣れぬ漢字が並んだパッケージ。そこに平仮名とカタカナは一文字もない。
しかたなく買ったけど、シューター(ベイブレードを回すやつ)の歯車が引っかかったりでいろいろ微妙だった。
何事も、変に安いものを買うより正規品が一番。今思えばこれを最初に学んだのは海賊版と出会ったあの日だった。
再びのトライ
また別の日。今度こそ正規品のベイブレードを手に入れるぞ! と意気込んだ目に入ったのは、見覚えのある箱。なじみのある漢字とカタカナが混じったデザイン。今度こそ正規品だ! ありがとうおもちゃ屋のおばあちゃん。感謝の念を送りながら箱を手に取る。
持ちあがらなかった。重い。なんで?
もう一度、今度は両手でしっかりと力を入れる。
持ち上がったベイブレードの背中には、「パラッパラッパー」の人形がくっついていた。逆コバンザメ状態。
そう、このベイブレードは人形とセットで売られていたのだ。申し訳なさそうに背中を縮こませるおもちゃ屋のおばあちゃん。どうやら仕入れのときにそういう条件になっていたっぽい(確証はないけど)。
ベイブレードが遠ざかっていく。こうして「セット販売」という言葉の記憶をおみやげに、手ぶらで自宅に帰ることとなったのだった。
今でも、契約とかでいろいろセットにしてくるものがある。でも、そのたびにあの人形の重みがよみがえって不思議と強く断ることができる。ありがとう、パラッパラッパー。
お祭りで三度目のトライ!
ベイブレードの入荷を待ちわびる日々。季節は夏になった。夏といえば祭りだ。ゲーム機とかレアカードとかの一攫千金がかなう、小学生にとっては年に一度の晴れ舞台。決して負けられない闘いがそこにはある。いざ、夏祭り、尋常に勝負!
鳥居をくぐる。親からもらった500円を握りしめ参道を歩く。たこ焼きやチョコバナナの屋台がこっちにおいでと香りを放つ。ごめん、今日は出番じゃないんだ。目指すは一つ、景品が当たる屋台だ!
一つのお店で思わず足が止まった。一歩も足が動かせなくなった。そこには "ベイブレードの天国" があった。度肝を抜かれたのは屋台のデザインだ。屋台の壁がすべてベイブレードの箱でできているではないか。いくつあるんだろう。ベイブレードの箱はだいたい10センチ四方。そして壁の大きさが1メートル×1メートルとすると、100台!!
しかも箱はそれだけじゃない。背面だけじゃなく、右面、左面にもベイブレードがびっしり。つまりここには300台以上のベイブレードの箱がある! ベイブレード曼荼羅だ。
闘いの舞台が定まった。ここだ。ベイブレードをゲットしてやるんだ。
深呼吸し説明を読む。
「ベイブレードくじ 1回100円」
じゃりり。100円硬貨を握りしめる。絶対当ててやる。背筋を伸ばす。今度こそ手にしてやるんだ。
「1回お願いします!」
「あいよ!」
強面のおっちゃんにもひるまず堂々と申し込んでやった。くじの箱に手を入れる。今日はゴッドハンドになるぞ。手を引きあげる。手に握るは三角の紙。いざ、結果は……!
「はずれ」
「はずれの景品はこれな」
負けた……。はずれでもらえるのはプラスチックのコマ。正直ちゃっちい。ほしいのはもっと "クール" なコマなのに。
思わずひざをつきそうになる。が、ここはこらえて立ち上がる! 誰がこれで終わりだといった? そう、まだ手はある。お小遣いはまだ残っている。あと4回、俺のターンは残っているぜ!
背筋を伸ばし、再びおっちゃんと相対する。さあ、続きを始めよう。
2回目「はずれ」
3回目「はずれ」
4回目「はずれ」
ぐぬぬ……。健闘むなしく(?)ベイブレードとは似ても似つかぬコマだけが増えていく。勝負はあと一回。こうなったら引き下がれない。もう、使い切るまでだ。拳をグイッと握る。これをガッツポーズに変えてやるんだ。
さあ、ラストバトルだ。
「はずれ」
半泣きになった。さすがに泣くのはこらえたけども。貴重なお小遣いが吹っ飛んでいった。今、お祭り会場で「哀愁ただよう姿」を競ったら優勝できる自信がある。
背中を丸め、屋台に背を向けた。
「ちょっと待ちな」
振り返る。声の主は怖い顔をくしゃりとくずした笑顔のおっちゃん。
「がんばってたしな、これやるよ」
と、手にしたのは――
10センチ四方の箱。パッケージの中央には円形のコマ。間違いない。ベイブレードだ!
「ありがとうございます!」
思わず飛び跳ねた。受け取る。よし、結果はどうあれ手に入れた! 目標達成だ。スキップで背中を向ける。
1分後、ちょっと落ち着いてきた。そういえば、どんなベイブレードが手に入ったんだろう。ちゃんと見てみよう。手に持ったベイブレードを目の前に掲げる。
そこにあったのは、見覚えのある漢字の羅列。
さすがに子どもながらに悟った。大人の社会って、きれいごとだけじゃないんだなと。
中学・高校と進むにつれ、趣味の中心はカオスなインターネットに姿をかえた。一歩足を踏み外せばウィルスやあやしい請求が手ぐすね引いて待っているまさに地雷地帯。そんな場所を大きなトラブルなしに潜り抜けてこれたのは、間違いなくベイブレード屋台で身についた「疑う力」のおかげだ。
それでもベイブレード嫌いにはならなかった
様々な経験が大人にしてくれた。でも、そんな目にあっても不思議とベイブレード自体を嫌いになることはなかった。なんならベイブレード(第一世代)のコンテンツが終わるまで買い続けた。
なぜここまで熱中できたんだろう。一つ浮かんだ言葉がある。「遊び心」だ。
世の中にはたくさんのおもちゃがあるが、ベイブレードほど「遊び心」にあふれている商品を僕は知らない。
コマの攻撃力を上げるために軸をゴムにしたり金属球にしたり。
スタジアムとベイブレードにマグネットをつけて戦略性を上げたり。
ネジ巻きを入れることによって途中で回転を復活させたり。
ラジコンで回転をコントロールできるようにしたり。
いや、言いたいのはこういうんじゃない。ベイブレードにはたまに「ぶっ飛んだ発想のもの」が混じっていた。それらには目を見張るようなギミックがあるのだ。
巨大なプロペラをつけてみたり。
火打石を入れて火花が出るようにしたり。
これらの多くは正直弱い。でも問題はない。たとえ弱いのだとしても、ギミックにこんなにワクワクできるんだから。
この無限の遊び心、これこそがベイブレードのおもしろさの本質。そう思うのだ。
あれから20年近くがすぎた。ベイブレードはあれから二度も復活をとげ、いまだに人気コンテンツの一角を占め続けている。息が長いコンテンツは世の中にたくさんある。でも、それらには復刻だったり当時遊んでいた大人をターゲットにしているものが多い。
一方でベイブレードのターゲットは毎回子どもだ。ここまできれいに世代交代をくりかえすことができるのも、やはり遊び心の力なのだろう。
終わりに
今でも仕事で手一杯になったとき、いろいろ行き詰ったときには頭の中でベイブレードが回りだす。それをながめるとハッと気づかされるのだ。今、遊び心を忘れていないか。楽しんで生きることを忘れていないかと。
ありがとう。今日も社会に揉まれながらなんとか楽しくやっていけているのは、ベイブレードのおかげだ。