いつもランニングをしている道がある。そこで目に入る姿があった。手元にはいつも飴を持っていて、通りすぎる人に笑顔を振りまいている「銅像」だ。その姿をながめていると、自然と心がほぐれ踏みこむ足に力が入っていく。飴を渡す人の気持ち、わかるぞ。
ある日異変が起きた。食べ物が増えだしたのだ。軽いひなあられから始まり、果てには板チョコ丸々1枚まで。おやつとして食べると太る量までになっていた。
今回は一人の銅像がみんなのよりどころになっていった話です。
気になる銅像
杉並区をつっきるように流れる善福寺川は区民のいやしスポットだ。子どもは善福寺川の交通公園に集い、大人は桜を見に、犬は散歩に、カモは餌を探しに川に集う。
そんな善福寺川にイチオシの隠れスポットがある。それが「八重桜のじゅうたん」だ。
そして、じゅうたんの道に一人の「子ども」がいる。
毎週通っていて気づいたことがあった。手元に飴を持っている。
しかも、よく見ると飴の味が毎回変わっているではないか。
気づいたら、以前なら休んでいたような天気でも毎週ランニングに行くようになった。なぜなら飴の変化を見逃したくないから。
台座にある像の名前は「空を」。そこで、「ソラ」と名をつけて見守っていくことにした。
それから、ソラは色々な姿を見せてくれた。
あるときはお小遣いをもらっていたり。
あるときはプリペイドカードを持っていたり。
放っておくわけにもいかず「実績:警察に忘れ物を届ける」を解除した。
実際に行ってわかったことがある。書類に「令和○年」と書くところがあり、何年かわからずあせってお巡りさんに苦笑いされた。ということで、交番に行く用事のある人は年号を調べてから行くことをオススメする。
ある日、そんなソラに異変が起きた。
ソラの異変
いつものようにランニングしながら川に足を運ぶ。ソラはどうしてるかな。
思わず足が止まった。疲れたからではない。ソラの手元がいつもと違う。
なんだろう? 一つ、思い当たる食べものがあった。
スマホを見る。
画面に出たのは「2020年3月7日」の文字。やっぱりそうだ。
ソラは飴を楽しむだけじゃなく、ひな祭りのお祝いもしていたのだ。
ひな祭りの存在、すっかり忘れてた。
忙しくすごしていると気づいたら季節が変わっていることがある。そうだ、意識して季節のイベントを楽しんで移り変わりを感じることで、毎日の大切さをかみしめることができる。
その日のランニングは心なしか走っていていつもより温かかった。
しかし、ほっこりは次の週、びっくりに変わった。
ひな祭りは終わったとばかりにバームクーヘンが乗っかっている。季節感あふれるほのかな味わいのひなあられは、パンチあるバターの風味が効いたドイツからの刺客に上書きされていた。
それはそれでおいしいからいいけどね。みんな違ってみんなおいしい。
洋菓子の流れは続く。今度は4月の終わりのことだ。
ソメイヨシノが散り八重桜がピークを迎えるころ、どんな花にも負けない鮮やかな色が目に飛び込んできた。
全部食べたら夕食が入らなくなるんじゃないかと心配になるやつだ。いや、でもお花見しながら好きなものを食べるのは何より幸せだからそれならありか。
気づいたら親の目線になっている。食べるのはいいけど、ほどほどにね。
増える食べ物
5月。ひな祭りに続いて子どもの日がやってきた。この時期の善福寺川では、川だけでなく空でも鯉が泳ぎ始める。滝を登りきった鯉が竜になるという伝説をもとに鯉のぼりは生まれたらしい。とすると、川の上に鯉のぼりをかけるのはある意味正しい姿なのか。
そんなことを考えながら通りすぎる。走っていると普段考えもしないことを思いつくから楽しい。
さて、ソラはどうしているかな。
ソラも子どもの日をしっかり楽しんでいた。最初に食べるときって、かしわの葉っぱが食べられるのか迷う人が多いと思う。その葛藤も含めて楽しんでほしい。
そして次の週。ソラと食べ物は新たな局面を迎えることとなる。
ぱっと見ると地味なように見える。が、よく考えてみてほしい。皆さんはおやつを食べたいとき、どのようなお菓子の「組み合わせ」を選ぶだろうか。多くの人は、「甘いもの」「しょっぱいもの」の両方を選ぶのではないだろうか。
今回、初めてこの二つがそろったのだ。
あんこがずっしりつまった和菓子を食べ、その次はしょっぱい柿の種をほおばる。そして次に甘いもの。次にしょっぱいもの。柿の種の参戦により幸せのループが完成した。
そして、これを最後にソラは再び飴だけの生活になっていった。
やがて飴もなくなり、ソラは普通の日常に戻っていった。
異変の種明かし
さて、ではなぜこの時期だけソラはたくさん食べ物をもらうようになったのだろう。実は、はっきりとした理由がある。
一部の人は察しがついていると思う。
それは、「コロナ禍」だ。
ソラがひなあられを食べていたのは「2020年の3月」だ。ちょうど感染者が増え始め、政府が緊急事態宣言を検討し始めたころとかぶっている。
あのとき、買いものすら自由にできなくなり、日本全体に重い閉塞感が漂うこととなった。
しかし、唯一外で許されたことがあった。それが散歩や運動だ。
気を紛らわせようと公園に向かった人々はそこで「ソラ」と出会う。
第一波のときはコロナ疲れもまだなく、「耐えて乗り越えてやろう」という不思議な一体感があった。そんな思いの向かった先がソラへの食べ物だったのだ。
そして第一波の終わりとともにソラも普通の存在に戻っていった。
日常を楽しむソラ
あれから2年。2022年の後半に入りようやくコロナの終わりが見えてきたころ、ずっと何もなかったソラに変化が訪れた。
9月のある日、横を通るといつもよりも楽しそうなソラがいた。
おしゃれを楽しむソラ。子どもにとってのビーズは、大人にとっての宝石と同じ価値がある。こういう形の違うビーズもどこか懐かしい。
それから、いろいろな遊びを楽んでいるソラの姿が見られるようになった。今週はなにをしてるかな。
こうしてソラは、みんなのよりどころになる特別な存在から「普通の子」に戻った。それでいい。ぜひ存分に楽しんでほしい。
またね、ソラ
私事だが、今年(2023年)の1月から新居に移り一人暮らしを始めた。ランニングコースは善福寺川より南の神田川となった。
ソラともお別れだ。
慣れない引っ越しから1週間後、神田川を走ってみることにした。
足を動かしていて浮かぶのはソラの笑顔だ。元気にしているかな。ちょっと帰りたくなってきた。
始めて20分ぐらいたっただろうか。ふと視線を感じた。顔を左に向けると、足が急ブレーキをかけて止まった。
くりくりした目に笑顔の口。そして題名は「川は」。ソラの正式名称「空を」と似ている。偶然ではないだろう。
まさかの、引っ越し先でソラのお兄さんと鉢合わせた。
子どもの割にどこか余裕たっぷりの姿を眺めていると思わず姿勢が良くなった。そうだ、慣れない生活でもどんと構えて一つ一つこなしていけばきっと楽しくやれる。自然と心が前を向いた。
これからよろしくね。