ある日、20万円の地図本が95%引きで売られているのを見つけた。江戸~明治時代の地図だ。思わず買った。
1週間後、巨大な地図がとどいた。
次の日、読んだだけで筋肉痛になった。
今回は、定価20万円の地図にふり回されながらも、本を使いこなして「新宿の妖怪」の正体をあばいたお話。
フリマアプリの掘り出し物
いつものようにフリマアプリをスクロールしていると手が止まった。
いかにも「掘り出し物感」があったからだ。
もっとよく見てみよう。
画像を拡大する。スマホを落としかけた。
現在の税率ならば20万3500円! それが9000円……?
数字にして95%引きだ。安楽亭のワンコインランチ(500円)が25円で食べられるって考えるとすごくないですか。
これは、売りきれたら後悔するやつだ。
ダメ元で値切ってみたところ1000円安くなった。
本は大きめらしい。でも問題なしだ。
この割引率ならどんなものが届いても笑顔で受けとる自信がある。
購入ボタンをぽちり。
本が届いたらどうしようかな。地図と一緒に散歩して昔と今を比べたりしたい。
予想外の到着
2日後、高らかにピンポンの音が鳴り響いた。
「お届け物でーす」
スキップして玄関へ足を運ぶ。
ようこそ、20万円の本。よく来てくれた。
ガチャリとドアを開けると――
「塗り壁」みたいなのが届いた。
受けとるときに腕の筋肉がぎゅっとなった。予想外の重さに思わずふらめく。
これ持って散歩に行くの???
そもそもこれは本なのか。家電と間違えてない?
受け取ったときの引きつった笑顔のまま2分固まった。
出品者のコメントが今、頭の中でぐるぐる回っている。
「私には使いこなせなかったので」
「大きさもそれなり」
冷房がきいているのにシャツが汗でにじんでいく。
とりあえず部屋へ運ぼう。
ドアの幅が足りず本が壁にぶつかる。ななめにして通る。
ちょっと散歩が好きなだけの一般人にこれが使いこなせるのだろうか。
考えていても仕方ない。とりあえず開けてみよう。
本を取り出そうとして、思わず本の周りをぐるぐる回った。
普通の本とは勝手が違う。
適当に取りだすと保管用の段ボールを傷つけてしまうし、20万円の本を万が一でも取り落とすことがあったら笑えない。
5分後、ようやく取り出し方がわかった。キーワードは「牡蠣」と「重量上げ」だ。
まずは、牡蠣をこじ開けるように重い本のはしっこを持ち上げ、手をねじこむ。
次に、重量上げの要領で本を持ちあげる。
本を読むために踏んばることってあるんだ。
段ボールをどかしてゆっくり床に置けばようやく作業完了だ。
見てほしいこの足の開き具合を。
箱の中身には、青い身がぎっちり。
このつまり具合は上等な牡蠣だ。同じなのは値段が高いこと。違うのは重さが10キロあること(あとから測った)。
さあ読んでいこう!
ちなみに次の日筋肉痛になりました。
江戸の地図は自由
この本は、江戸時代~明治時代前半の東京都心の地図がまとめられたものだ。
つまり、時代によってさまざまな姿の東京を見ることができる。
まずは江戸時代をながめていこう。
江戸時代は、地図を描くルールが決まっていないせいか、なかなか自由な姿を見ることができる。
トライアングルな町と畑があったり、
中二心をくすぐられるお寺があったり、
ひたすら「町」が続いていたり。
予想していなかったのが、江戸時代の地図でも今と同じ苗字がバンバン出てくるところだ。
会社の座席表か?
新宿には「老婆王」なるものがいた。気になる!
本を開いてみてわかったことがある。読むときには、「低めのベッドの上」から見るのがちょうどいい。
適度に高い位置から地図全体をながめることで、グーグルアースを見ているような感覚になれるのだ。
20万円の本を買おうとしている人はぜひ参考にしてください。
大きい地図を開いてみれば
文明開化の音がする
明治時代に入ると西洋の香りがただよってくる。
新橋に鉄道駅ができていた。これが横浜まで続く日本初の電車だ。
こちらの川には「渡し」があった。江戸の風も残っている。
浅草文庫って何だろうと調べてみると日本初の図書館だった。ちなみに明治前半のベストセラーは『学問のすゝめ』だとか。
明治の人、意識が高い説。
あとは当時の有名人の家がのっていたりする。教科書で見た人が生きていた証拠がはっきりと書かれていると親しみが出てくる。
友達の家を調べているときと同じ感覚だ。
初代総理大臣伊藤博文の家の裏には製紙工場があった。
うるさくすると総理大臣から苦情が来る工場か。
あの木戸孝允の家の前には競馬場が!
さらに、競馬場をはさんだお向かいには3代目総理大臣を務めた山縣有朋がいた。二人のご近所づきあいがあったのかな。
まだ終わらない。
山縣有朋の家の下には、あの進学校「開成」が!
RPGのラスボス戦でよくある連続戦闘にも引けをとらない密度がここに広がっている。
突然の異物
やはり古地図は楽しい。
しかし、それだけじゃ足りない。この地図を「使いこなせた」と言えるようなことをしたい。
そんなことを考えながら残りのページをめくっていると、突然ガチリと身体に力が入った。
目をそらしたい、でもそらせない。
そんな異形がこちらをにらんでいる。
目が合った。
明治時代に妖怪がいたというのか。
この姿、「ゲゲゲの鬼太郎」で見たことある。
「バックベアード」を知っているだろうか。
コラ画像「このロリコンどもめ!」の元ネタといえば知っている人もいるだろう。
江戸時代にきつねが化けたり妖怪におそわれた話は多くある。
しかし、ガス灯がともりレンガづくりの建物が増え始めた時代に、こんな化けものが存在していたというのか。
よし、やることが決まった。
この地図を使って妖怪の正体をつきとめてやろう。
謎:地図にある妖怪の正体は!?
調査のルール
さて、調査だ。今回、地図を使いこなすためにルールを一つ加えたいと思う。
それは「インターネットの力を使わない」こと。最近はネットを使えば江戸時代の妖怪の記録もたどれる時代だ。
ネットの力で解決して「地図を使いこなせた」と言えるだろうか。答えはノーだ。
そこで、今回は地図と現地での調査だけで謎を解いてやろう。
目指せ、古地図王!
地図で調べよう
さあ、調査開始だ。
再び腰を入れて地図を持ち上げ、ページを開く。といっても、手がかりは時代ごとの地図だけ。
なので、わかることはシンプルだ。
まず一つ目、江戸時代には妖怪がまだいなかった。当時は「内藤家」の屋敷だったと。
裏には畑が広がっている。江戸時代はのんびりのどかなところだったようだ。
様子が変わるのは明治時代のこと。明治19-21年の地図には、やつが君臨している。
この存在感よ。
つまり、江戸時代から明治時代の間になにかがあったと。
では、他に手がかりは。
汗ばむ手でページをめくると、見覚えのある言葉が飛びこんできた。
妖怪のとなりに「新宿御料地」とある。
「新宿御」まで聞いて思いうかぶものがあった。
「新宿御苑」だ。
現代の地図と比べると、たしかにこの場所は新宿御苑と同じだった。
目的地が決まった。新宿御苑に行けば手がかりがあるにちがいない。
本を持っていこう
さあ、出発だ。
地図を袋に入れて、外へ出よう。
ファサァッ
袋に入れて
しゃがんで
肩にかけて
よいせっ!
地面すれすれだ……。
うぉっと危ない!
一応歩くのはできる。でもイメージしてほしい。5キロの米袋二つを左肩に乗せながら歩く大変さを。
片肩で歩いたら、間違いなく身体がガタガタになる。
整形外科で「10キロの本を持って腰痛めました」と言える勇気は僕にない。
……本は置いていくことにしよう。
地図をおろす。ページを広げる。新宿の場所を、ぱしゃり。
いざ新宿へ!
さて気を取り直して、やってきました新宿の街。
駅の東側に奴はいる。せっかくだから地図のスポットを見ながら進んでいこう。
まずは鉄砲場の横を通り、
「海賊王」そっくりな笑顔を浮かべた「老婆王」にちょこっとあいさつし、
目的地についた。
入園料を払いゲートをくぐる。
さあ、ヤツはどこにいる。気分は妖怪退治だ。
と、すぐに公園の地図が目に飛びこんできた。
妖怪は公園の左のほうにいたはず。よーく見ると、
いた!! 二つの目があるから間違いないだろう。
あっけなく見つかった。なんだ、簡単だったな。
妖怪の正体は日本庭園の池でしたと。
解決だ。さあ、帰ろう。
――とはいかない。
よく見ると形がちがっている。
右目は眼帯がついてるし、うねうね広がるあの触手がないではないか。
どうやら、現代の妖怪はすでに封印がほどこされていると。
では、明治時代の池はなぜあんな姿だったのだろう。
そんなことを考えながら公園を進むと、妖怪のいたスポットについた。
わあ、と思わず頭が上を向いた。
橋と橋の間にあるのが妖怪の目玉だ。
もう一つの目玉。やはりギザギザした場所はなさそう。
妖怪が住む隙間もないぐらいきちんと手の入った場所だった。
古風な日本庭園と現代的なビルのコントラストよ。
建物が西洋風に変わっていった明治時代にも、同じような和と洋のコントラストがあちこちで起きていたんだろうか。
手がかり発見!
手がかりはないのか。
あてもなくふらふら。何かないか。と、気になる建物にぶつかった。
明治のめの字もなさそうなこの建物、実は――
博物館だった! ここなら手がかりがあるに違いない。
入口をくぐると出迎えてくれたのはひんやりとした霊気。
――ではなく、よく効いた冷房の風だった。冷気。
中は現代の粋をつくした空間が広がっていた。天井には10台以上のプロジェクターがぶら下がっている。
流れているのは「新宿御苑の歴史」だった。
待ってました。ここなら妖怪の正体がわかるのでは!
10分後、映像が終わり、部屋を出た。思わず腕を組んでうつむいた。
一つわかったことがある。
明治時代になり、ここの所有者が大名から皇室に変わったという。
妖怪が現れたのも明治時代になってからだ。
つまり……?
とんでもない仮説が頭にうかんだ。
いや、さすがに、まさかね。
早足でとなりの部屋へ行くと、再びプロジェクターを使ったコンテンツがあった。
その名も「御苑 今昔マップ」。
今度こそ手がかりをください! さっそく見よう。
と、かざした手が止まった。
なんかいるー!
タッチして開くと、さらに拡大された絵が見えてきた。アイツだ。
あの妖怪に、新宿御苑でようやく出会えた。
妖怪の正体は「鴨場」と呼ばれる池で、皇室が「鴨猟」を行っていた場所だったのだ。
妖怪が飼われているわけじゃなかった。よかった。
ちょっと力が抜けた。
ちなみに、こちらには鴨猟をしている写真ものっていた。
大人が虫取り少年顔負けの必死さでぶんぶん網を振っている姿にほっこりだ。
謎:新宿の妖怪の正体は!?
⇒「鴨猟」に使うための池だった
地図のおかげで謎が解けた。
これでちょっとは使いこなせたのでは!
さあ、帰ろう。
本当にこれでいいのか
さっそく自宅の地図に報告だ。
妖怪の正体は「鴨場」だったよ!
で、鴨場っていうのは「鴨猟」をする場所なんだってさ。
その鴨猟っていうのはね――
空いた口がそのままの形で止まった。頭の中で疑問が衛星のようにぐるぐる回り始めた。
認めざるを得ない。まだまだ、謎は残っている。
新たな謎:鴨猟と池の形の正体を突き止めろ!
地図だけで何とかしたい
スマホを取り出し、あわててポケットにしまう。
「地図と現地の情報のみで調査する」
これが今回自分に課したルールだ。
正直、スマホで「鴨猟」って調べれば答えは見つかる気がする。
でもだ。
だからこそ、これを地図だけで解くことができれば地図を使いこなせたって言えるんじゃないか。
たのんだ! こうして再び地図を開いた。
ちなみに、読むときの姿勢は「ベッドから身を乗り出す」形に落ちついた。これならページめくりも楽々だ。
どこかにないか手がかり。あてもなくページをめくっていく。
15分後、ようやくめくる手が止まった。
別の場所でも妖怪、いや鴨場を見つけた!
場所は「浜離宮」か。聞いたことある。たしかここも庭園だったはず。
果たして、鴨場は今も残っているだろうか。
1週間後、新橋に降り立った。
目的は、浜離宮に「鴨場」が残っているか確かめること。そして、もし跡があれば「鴨猟」の謎を解いてやるのだ。
駅前に蒸気機関車があった。そういえば、新橋は鉄道がはじめて引かれた場所なのだった。
新橋といえば「酔っ払ったサラリーマンがインタビューを受ける場所」のイメージが強いが、「日本初の鉄道駅」の面影もきちんと残っているのだ。
目には入っているけど知らない史跡って、世の中にたくさんあるのだろうな。
さて、浜離宮へ行こう。
暑いので「ヒカゲ丁通り」を通り、
天下の松平(徳川家康の旧姓)とかかれた屋敷跡にどんな立派なやつがいるのかと冷やかしに行って返り討ちにあい、
目的地に到着だ。
受付でうちわをもらえた。気温は35℃。こういう気配りがありがたい。
さて、今回も地図チェックだ。鴨場はあるかな。
あった! しかも「新銭座鴨場」とはっきり書かれている。
思わず小さく飛びはねた。
いよいよ鴨場へ!
自然と足が速くなる。
5分ほど歩くと、目的地の鴨場に着いた。
妖怪と間違えるような池は、いったいどんな姿をしているんだろう。
深く息を吸った。
いいながめー! そんなIQが下がるようなのどかさ。
でも期待したものとはなんかちがう。
そこにあったのは、妖怪の「よ」の字も触手の「しょ」の字もないような「普通の池」だった。
激辛の食べ物を心して口に入れたのに普通の辛さだったときと同じ感覚を今味わっている。
しかし、そんな拍子ぬけはここまで。
池の横を歩くと、突然、古代遺跡があらわれた。
池からのびる曲がった水路、この形は知っている! 地図で何回見たことか。
間違いない。これが妖怪の触手だ。
今度こそ深く息を吸って、ぐっと吐いた。
鴨猟がようやく明らかに!
さて、次は鴨場がどうやって使われていたか知りたい。
と、ちょうどいいところに看板が。
鴨場の解説を見つけた。待ってました!
そこには知りたかった答えがあった。
しかもわかりやすい。
ということで、ここにあった図を使って、鴨猟の手順を紹介しよう。
鴨が水路に入る理由は、囮のアヒルが誘導するからだった。
弟が小さいころ「鴨がカモン」ってダジャレをよく言っていたけど、それに当てはまるシーンがあるとは。
これで鴨猟はばっちりだ。
鴨場をさらに見ていこう
さらに歩いていると、突然視線を感じた。
今度は何だと横を見ると、
まさかの新たな妖怪……?
ただ、詳しく見るとすぐに正体がわかった。
実はこれも、鴨場の一部だったのだ。
全体はこちら。手前が水路になっている。
ここに鴨をひきよせて網をぶんぶん振り回していたのか。
逆側に回ってみると、水路が見えないようにカモフラージュされていた。
参加者が網をもって隠れていた場所がここだ。
隠れ場所に近づいてみる。
ちょうどよく屋根ありのバス停みたいになっていて、肩の力が抜けた。
そういえば、「隠れる」ことって大人になってから全然していない。
待っているだけなのになつかしい心が戻ってくる。
鴨猟にはこういうエンタメ要素もあったのか。
穴からは水路がよく見える。
「のぞく」機会もなかなかない。さらに心が少年になっていく。浜離宮を貸し切りにしてかくれんぼをしたい気分だ。
今「布団が吹っ飛んだ」と耳元で言われれば腹をかかえて笑う自信がある。
妖怪の謎、完全解決
まだ見どころは続く。
穴の横には、また別の詳しい解説があった。
そこにあったのは、最後の謎「鴨場が妖怪のような形になっている理由」の説明だった。
風向きによって使える場所を変えると。たしかに人のにおいに気づいたら鳥は来ないか。
なるほど、BBQ中に風向きが変わったら煙を浴びないように移動するのと同じ原理だ。
こうして、今度こそ妖怪の正体が解けた。
あとは浜離宮をのんびり眺めて帰ろう。
鴨が日陰で休んでいた。
歩いていて、気になるものを見つけた。
「封印の儀式を行った祭壇」(みたいなの)があるではないか。
そこにあったのは、
「妖怪の封印」ではなく「鴨の慰霊碑」だった。
明治時代の東京では、新宿や新橋で鴨猟がおこなわれていた。そして今でもその痕跡はひっそりと残っている。
そんな歴史を地図だけでたどることができ満足だ。
こうして妖怪の正体をつかみ、鴨場についてしっかり知ることができた。
ありがとう。20万円の本、ちょっとは使いこなせたかな。
終わりに
さて、最後に一つ、課題が残っている。
しまう場所問題だ。
家がせまいのできちんと片づけないといけない。
家に帰るまでが遠足ならぬ、きちんと片づけるまでが「使いこなし」だ。
立てかけておくわけにもいかないし……。
あっひらめいた
荷物をだして
ブックスタンドをならべて
本をさしこんで荷物を戻せば
完成だ!
なんということでしょう。
20万円の本、仕切りにオススメです。