天下一品が大好きだ。ある日、突然のニュースに目が釘付けになった。天下一品カップ麺が発売されたのだ。気になる。どうせなら全力で味わいたい。天下一な場所で天下一品を食べたい。全力で張りきった結果、やりすぎた。
今回は、自戒の念をこめてこの文を記す。
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2022年1月1日 7時12分。山頂近くの避難小屋に身をすべりこませる。
気温計の針が指しているのは-5℃。厚い手袋をしているのに冷えきった手。足元は氷のように冷たく、両脚は鉛のように重い。こわばった手で「天下一品カップ麺」のふたをはがす。
リュックから水のペットボトルを取り出す。振るとシャリシャリした音。シャーベットになってる。ボトルをぐいぐい押して何とかひねり出す。バーナーでお湯をわかす。
どうしてこんなことになったんだっけ。話は3か月前にさかのぼる。
「天下一品カップ麺」に向き合いたい
「天下一品」を知っているだろうか。麺をすするだけでスープが半分減るほどのドロドロ濃厚スープが特徴のラーメン店のことだ。食べるたびに脳天を殴られるような衝撃が口内に飛びこんでくる。
毎回ふらふらしながら食事を終え、そのたび思うのだ。「また来よう」と。
2021年9月。突然、天下一品のカップラーメンが発表された。ほほう。天下一品好きとしてはぜひ賞味してみたい逸品、いや一品だ。
しかし、コンビニでいざ実物を見たとき、伸ばした手が止まった。あのオンリーワンを地で行く天一を普通に味わってていいものだろうか。
この現代社会において、第一印象はとんでもなく重要だ。全てが決まるといわれることがあるほど。そして天一のカップ麺をはじめて味わえるのは一度きり。
その一度を、普通の食事として食べていいものだろうか。そんなはずはない!
存分に味わうにはどうすればいいだろう。ラーメンをおいしく感じたタイミングを思い出してみるか。
まっさきに浮かんだのは運動のあと。よし、運動して疲れた状態で食べるってのはアリだ。あとは寒い日に食べたカップ麺もおいしかったなあ。
まだ何かあるはずだ。うーん。パッケージを見つめる。そこにあったのは真っ赤な円形のロゴ。まるで初日の出を見たときの清々しさを彷彿させるような。
――それだ!
こうして、「天下一の山に登って初日の出を眺めながら、天下一品カップ麺を食べる」計画が始まった。
ポイントは「寒さ」と「運動」と「絶景(初日の出)」の三つだ。これを「天一味わいの法則」と名づけよう。
行き先は東京で一番高い「雲取山」にしよう。この時勢に遠くまで行くわけにはいかないし、雲取山なら3年前に初日の出を見ようと夜通し歩いた経験もある。この時期ならちょうどよく寒かったはず。
次はルートだ。前登ったときは、南からのルート(鴨沢)を往復して歩いたんだった。あのときは体力の余裕があった。ならば、今回はさらに距離を伸ばしてみるか。
夜に奥多摩駅に到着。ひたすら西に歩いて雲取山を目指す。山頂でご来光を拝みながら天一を味わう。帰りは南方向の鴨沢に下山してフィニッシュ。これでどうだ。
総距離は30キロちょっと。でも、毎週20キロ走れるぐらいの体力はあるからいけるでしょう。天一のためならお安い御用だ。
今思うと、この判断が大きな間違いだった。
20:30 林道を進む
2020年12月31日。広く空いた電車とホームの隙間をまたぎ、静まり返った改札を進む。奥多摩駅に到着だ。
リュックに入っているのは防寒&雪対策のグッズ、そして天下一品のカップ麺。
天気予報を見る。今の気温は-2℃。厚着のせいか寒くはないけど、山頂はどうだろう。前はアイゼンを使わないですんだけど、今回は出番があるかもしれない。
さあ、出発だ。
静まり返った奥多摩の街を歩く。店は全て閉店。コンビニさえも眠っている。
すぐに登り坂になった。人里が遠ざかる。ヘッドライトを消すと何も見えない暗がり。ここだけ世界と切り離されてしまったような心細さ。
文明から離れていく。ひたすら林道を歩いていく。単調な舗装路。
ふと空を見上げる。わぁ。思わずため息が漏れた。
目に入ったのは三日月とオリオン座、そして無数の星空たち。
手を伸ばせば届きそう。
でも、足を伸ばした先に広がるのは暗闇。無事に頂上までいけるだろうか。押しよせる不安。思わず気分も暗くなってくる。
このままではいかん。気分転換とクマよけ対策にラジオをつけよう。この時間は紅白歌合戦をやってるはずだ。
「マ・ツ・ケ・ン サ〜ンバ〜!」
オレ!! めっちゃ元気出た。眠りさえ忘れて歩き明かすぞ。
22:00 恐怖の登山道
舗装路が終わりいよいよ登山道が始まった。視界に入るのはヘッドライトの光と土の坂道。耳に入るのは靴とラジオの割れた音だけ。
ここで誤算があった。道が思ったより細い。肩幅サイズじゃないかってぐらいの頼りなさ。しかも道の片側に続いているのは70°ぐらいの崖。
ちょっとでも油断したら無事で済まない緊張感。怖い。写真を撮る余裕もなかった。
「ああ いつものように すぎる日々に あくびが出る」
ラジオからYOASOBIの「群青」が流れる。かたやYODOSHI漆黒の不安定な道を進む僕ら。「いつもの日々」に帰りたい。日常ってこんなに尊いものだったんだな。
しゃく、しゃく。もう地面に雪があった。
事前調査で、山頂付近が積雪しているのは知っていた。でも、ここまで手前に雪があるのは予想外。しかも進むにつれ、雪の量が増えてきた。
靴が沈む。踏みしめる音が夜に溶けていく。
ひたすら慎重に足を進める。2021年が終わろうとしている。
「紅組の優勝です!」
今年は紅組が勝ったか。足元は白組なのにな。だんだん頭が回らなくなってきた。目の前に集中するので精いっぱい。
地面の雪が固くなってきた。すべりそう。これ以上このまま進むのは危険だ。アイゼンをつけよう。
ひたすら斜面を登っていく。息が上がる。
ちょっと休む。補給食を食べる。その間に指先が冷える。
また登る。指先が温かくなる。息が上がる。
そのくりかえしだ。
だんだん気温が下がってきた。よし、天一味わいの法則①「 寒さ」は問題なさそうだ。
2:00 新たな刺客
ここで一度目的を振り返ってみよう。今回の目的は、「寒い中運動したあとに初日の出を見ながら天一カップ麺を食べる」ことだ。現在、寒さはちょうどいい感じ。でも、これ以上寒くなったらきついかも。
いやな予感がする。
歩き続けて6時間がすぎた。標高は1000mもあがった。さらに寒くなってきた。上着をさらに一枚重ねる。手袋を防風対応のものに変える。ネックウォーマーを取り出す。
休憩。リュックを下ろす。のどが渇いてきた。ポカリのペットボトルに口をつける。中身が出てこない。なんでだ?
ボトルを見ると、中にあったのは氷。ポカリでも耐えられない寒さなのか……。
リュックを背負う。出発する。手先の体温がなくなっている。指先も冷たい。
5分歩くとようやく感覚が戻ってくる。それだけ寒い。冷えないようにちょっとずつ休むことにする。
写真をちゃんと撮る余裕はもうない。
4:00 ようやくの終盤
山頂がようやく近づいてきた。指先がかじかむ。
一つ、いいことがあった。後ろを振り返ると、小さい光が見える。他の登山者だ。他の人がいるだけでここまで心強いなんて。人は群れる生き物という言葉を今実感している。一緒に頑張ろう。力がわいてきた。
もう一ついいことがあった。道が広い。尾根道が多い。もう滑落の心配はない。勾配は急だけど危険な道より断然いい。
ただ悪いこともある。風が吹くようになってきた。足を止めるだけで指先が冷たくなる。ゲームでは一定時間ごとに寒さでダメージを受ける演出があるけど、あれが今実際に起きている。
足を動かす。すぐに息が上がる。標高は2000メートル近く。高所のせいだろうか。いやそれだけじゃない。足が動かなくなってきてる。
寒さと疲れ。天一味わいの法則がそろってきた。残りの要素は一つ。あとは「絶景」の中で天一を食べれば目標達成だ。でも、その気力があるだろうか。
5:30 避難小屋に到着
ようやく山頂近くの避難小屋に着いた。歩き始めてから9時間。歩いた距離にして20キロ。小屋前のベンチにへたりこむ。
寒さと疲れで身体が思いどおりに動かない。20年前のASIMOといい勝負のぎこちなさ。
「今日は寒いねぇ」
横にはピッケルを抱えた6~70ぐらいのおじいさんがいた。話を聞いたところ、彼は富士山で初日の出を迎えたことがあるぐらいのスーパー山じいさんだった。その経験をもってしても、今年の雲取山はすごく寒いと。ですよねぇ……。
スーパー山じいが指をさす。先にあったのは温度計。針を見ると、
-16℃だった。今、人生で一番寒い場所にいる。ほえー。すげー。
なんて呆けている場合じゃない。このままじゃ凍えてしまう。
急いで避難小屋に入ろう。扉を開けるともう一つドアが。二重構造。これ北海道で見たことあるやつだ。二つ目のドアをくぐる。
中には暗闇とぼんやりした明かり。
目が慣れてくると状況がつかめた。5人ぐらいが各々食事をしている。明かりの正体はヘッドライトとバーナーの火だった。しばらく身体を休めることにしよう。
避難小屋にはストーブもない。屋内にも温度計があった。温度は-5℃。外よりましとはいえ、さらに手足が冷えていく。
6:10 ご来光
「天一味わいの法則」に必要な「寒さ」と「疲れ」はばっちりだ。ばっちりすぎて命の危険を感じる寒さだがそれはそれとして。必要なのはあと一つ。「絶景」だ。
ご来光の時間が近づいてきた。ようやく天一を食べるタイミングがやってくる。山頂に行かないと。
立ち上がる。とたんに感じる身体の重み。気にしないようにして避難小屋の二重戸を開ける。とたんに叩きつけてくる寒さ。
足がすくむ。戻りたい。でも、頂きで天一をいただくためにここまで来たんだろう。がんばれ自分。あとちょっとだ。足を進める。
5分後、ようやく山頂に着いた。
まだ日は昇っていない。日が出るまで待とうか。さあ、その間に天一の準備をしよう。リュックを下ろす。中からバーナーを取り出さないと――
なんて考えは一瞬で消し飛んだ。
ビシバシ吹き付ける風。風をしのげる場所はない。
1分いるだけで指先の感覚がうすれる。足先がしびれる。ほっぺたが痛い。
3分もじっとしていれば無事ではすまない。これじゃあカップラーメンを待つだけで命がけだ。
すぐに結論が出た。小屋に帰ろう。山頂の天一よりも命のほうが大事だよ。
風が弱い避難小屋の前に戻る。ここで朝日を待とう。顔が冷えてる。思わず首をすくめる。息が眼鏡にかかる。視界がくもった。1分たっても白いまま。思わず眼鏡をとる。なんと、眼鏡についた水分がそのまま凍っていた。仕方なく眼鏡をしまう。
6時49分。
ようやく日が昇った。今年初の日の出。朝日をながめ、ある人は心を洗われ、ある人は1年の決意を新たにする。
「写真撮ったよ! 小屋に戻ろう」
「賛成、そうしよう」
しかし、僕らは違う。裸眼なので見える景色はぼんやり。これ以上冷えないようにと握った手を開きスマホのシャッターを押すことにさえ気力がけずられるこの状況。
急いで避難小屋に身をすべらせた。余韻のかけらもないけど、今は身の安全が第一だ。
7:12 天下一品カップ麺を食す!
さあ、いよいよというか、今さらというか本題だ。天一を食べよう。景色を見ながらはできなかったけど、こればかりはしょうがない。寒さと疲れた状態で食べる天一カップ麺、お味はどうだ!
避難小屋にあがる。ロボットアームもびっくりするであろうスローな動きで天一カップ麺とバーナーとコッヘル、水のペットボトルを取り出す。リュックの奥に入れたおかげか水の凍り具合は半分程度。なんとか水をひねり出した。
かやくを入れてお湯を注ぎ4分待機。ふたを開けたら麺をほぐし液体スープを入れる。さらに特製スープを入れてよく混ぜたらできあがり。
いよいよいただきます。ズルズル。もぐもぐ。ゴクリ。
凍った身体にしみこむ温かいスープ。
エンジン切れの身体にオイルがしみこんでゆく。
全身の力が抜ける。思わず目を閉じる。
これが「幸せ」ってやつか。
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このあと記憶がない。気づいたら麺とスープはもう胃の中にいた。
おぼろげに覚えてるのは、めちゃくちゃうまかったこと。
長らく忘れていた温かさが戻ってきた。生きるために必要な栄養がしみこんでいく。正直まだまだ食べたい。もしわんこ天一そばがあれば、50杯はいける。
8:50 帰ろう
満足だ。しばらく避難小屋で身体を休める。1時間後、外に出た。広がっていたのは白銀の世界。
青空と白い雪のコントラスト。思わず目を細める。リフトで乗って帰りたいとか、そりですべったら楽しそうとか思わず飛び出る軽口。ちょっと力がわいてきた。
さあ、帰ろう。
「天一味わいの法則」は正しかったのか?
帰りながら考えていた。天一のカップ麺の法則は正しかったのだろうかと。
(厳密に言うと絶景を見ながら食べられなかったけど、日の出を見た直後に食べたしこれは良しとしよう)
天一カップ麺はめちゃくちゃうまかった。しかしだ。正直に言おう。あの状況で別のカップ麺を食べてもまったく同じ感想を抱くだろう。きっと何を食べてもうまい。
そして天一の味を感じたかというと、そんな余裕は全くなかった。つまり、結論はこう。
「極寒の中、疲れ切った状況で天一カップ麺を食べると、味わう余裕すらなくなる」
「天一味わいの法則」は誤りだったのだ。
今回の敗因がわかってきた。「やりすぎた」ことだ。おいしく食べるのに必要なのは自分を寒くて疲れる環境に追いこむことじゃない。「適度」にがんばることが大事だったんだ。
味わう心の余裕まで削ってはならない。
こうして、疲れを引きずりながらなんとか下山することができた。鴨沢の登山口に着いたのは12時。16時間ちょっとは山にいたことになるのか。
ひざが笑ってる。間違いなく爆笑している。それぐらいクタクタだ。
最後に
ひたすらがんばればおいしい天一が待っていると思ってた。でも、何事もやりすぎると問題が起きるもの。また一つ、天一のおかげで人生の教訓を得られた。
ありがとう。君にはかなわないな。また今度食べに行くよ。
次の日、筋肉痛がひどすぎて起き上がれず、頭を布団に押しつけて身体を起こすことになったのはまた別の話。
――END――
反省
今回、いろいろ詰めが甘いところがあった。
一つ目はルート選定。雲取山は一般的に2日間かけて通るルートとなっている。1日で歩くのはそもそも推奨されていない。
そして、奥多摩駅から西に行く登山道は、夜に歩くには危険度の高い道だった。しかも、今回歩いたのはさらに危険度の高い雪山。山の経験が少ない人が選ぶべきルートではなかった。
また、避難小屋はコロナ禍の影響で「非常時以外は使わないでください」と但し書きが書いてあった。今回は凍えかねない非常時と判断して利用したが、本来はできるだけ使わないでおくべきだ。
反省している。無事帰れたことに感謝しつつ、今後は自分の実力と相談して余力のあるコースを選んでいこう。