※本記事での調査は2019年12月~2020年2月に行ったものです。
散歩しているときにふと変なものを見つけた。
「遊び場」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは公園だろう。しかし、この自称遊び場とやらは見るからに遊びづらい。細いし見通しも悪い。ここでボール遊びをしたら隣の敷地に飛んでいって怒られる未来が見える。いったい遊び場とは何者なんだろう? なぜこのような謎の空間があるのだろうか。調べてみることにした。
意外と多い遊び場
「遊び場」で検索してみると杉並区のHPにあっさりと見つかった。
どうやら「公園」の一種らしい。そして遊び場は現在17箇所もあるとのこと。歩いて調べてみることにした。
遊び場は普通の公園だった?
遊び場は杉並のいろいろな場所に散らばっている。最初にたどりついたのは「遊び場112番」。
予想外ににぎわっている。謎の存在だった遊び場のイメージが一気にくずれた。「遊び場」という名前ならこっちが正しいはずなのだが、この遊び場に違和感を覚える自分に違和感を覚えた。そして人が多くていづらい。すぐに場を離れた。
次に来たのは遊び場112番の近くにある「遊び場114番」。遊び場の中ではもっとも番号が大きい遊び場になる。
このあとも回っていると、多くの遊び場は普通の公園と見分けがつかないようなものであることがわかってきた。
やはり遊び場は普通の公園だけではない!
しかし期待どおりというべきか、それだけではなかった。多くは普通の公園と同じだが、たまに予想のななめ上をいくものがまぎれ込んでいた。
例えば広さだ。開放感にあふれた広い遊び場から10秒で通れるようなせまい遊び場まで、同じくくりにしてはとても幅広くそろっている。
また、やたらと長細い遊び場もいくつかあった。
遊び場をめぐってわかってきたこと
遊び場を歩いていて、いくつか公園と異なる部分が見えてきた。ここでわかった点と残った疑問を整理する。
わかったこと① 公園と違い遊び場は「一時的」なもの
遊び場を回っていて、いくつもの遊び場に似たデザインの看板があることに気づいた。看板には同じようなことが書かれている。それは、遊び場を開放しているのが「一時的」だということだ。遊び場の看板を見ると、多くの看板に「一定期間」「暫定的」という表現が入っている。
遊び場は永続的なものではなく、ゆくゆくは他の姿になっていくということだろうか。遊び場の番号が百以上あるのに現在17箇所しかない理由はここにあるようだ。
しかしピンとこない点がある。なぜ一時的なのだろう。整備する手間を考えると、最初から公園として整備すればいい気がする。一時的にすることでどのようなメリットがあるのだろうか。
謎① 土地を遊び場として「一時的」に開放しているのはなぜ?
わかったこと② 遊び場と公園の違いは「所有主」にあり
看板を見ていてもう一つ発見があった。どうやら遊び場によって内容が少し違っているようなのだ。
例えば最もよく見かけたのがこれ。
こちらには「この遊び場は、地主さんのご好意により杉並区が設置しています」と書いてある。地主さんが出てきた。
文字が小さいが、「この遊び場は、東京都が都市計画高井戸公園を整備するために取得した土地の一部を、杉並区が暫定解放し、地域の皆様に利用していただくものです。」と書いてある。今度は東京都か。
看板の内容から、公園と遊び場の違いがわかってきた。それは、遊び場と公園では所有主が異なるという点だ。一般的な公園の場合、所有・管理を地方自治体(市区町村, 都道府県)が行っている。しかし、遊び場の所有者は「地主さん」「東京都」など遊び場によって異なるようだ。一方、看板の下部分に載っている連絡先を見るに、遊び場の管理は一貫して杉並区が行っている。
わかりづらくなってきたのでとりあえず表にまとめてみる。
所有者 | 管理者 | |
都立公園 | 東京都 | 東京都 |
区立公園 | 杉並区 | 杉並区 |
遊び場 | 地主, 東京都, 杉並区 | 杉並区 |
公園に近しい存在である遊び場なのに、遊び場によって所有者が違うという状態になっている。なぜだろう。違和感がある。
謎② 遊び場の所有者がバラバラなのはなぜか?
わかったこと③ 広さや設備が公園によって異なる
遊び場と公園を設備面で比べてみると、大きな違いはないように見える。普通の公園と同じ遊具がそろっているし、遊び場によっては遊戯場(ボール遊びができる広場)もしっかりついている。
広さについても同様、狭いものから広いものまで幅広くそろっている。
しかし公園の条件には当てはまらなそうな遊び場もある。それが、小さい空き地のような遊び場だ。
正直遊びには使えない。かといって整備しておく理由もわからない。何のためにあるのだろうか。
謎③ あまりに小さい遊び場はなぜある?
歴史と現在から見えてくる遊び場の正体
ここで、現在残っている謎をまとめておく。
謎① 土地を遊び場として「一時的」に開放しているのはなぜ?
謎② 遊び場の所有者がバラバラなのはなぜか?
謎③ あまりに小さい遊び場はなぜある?
これらの謎は、遊び場の始まりを調べたところ理由が明らかになってきた。ここからしばらくは遊び場の歴史をなぞってみる。
遊び場は「子どもの遊び場不足」から始まった
時は60年前。日本は高度成長期に入り東京は急速に市街地化が進行していた。また、人々が豊かになるにつれ自動車も増加。これらの要因により、子供が外遊びできる場所がどんどん減っていった。
実際の様子は、杉並区が1974年に制作した当時の映像が残っておりとてもわかりやすい。野球少年が野球できる場所を探して苦労している様子が写っており、当時の子どもの苦労がしのばれる。遊び場もちらっと出ていた。
youtu.beちょっと脱線するが、この映像、塾に通って遊ぶ時間がない子ども、ゲーセンやテレビ鑑賞に苦言を呈す大人と現在の子どもと状況が変わっていなくて驚いた。この時代の子どもも同じ苦労をしていたんだな……。
さて、遊べる場所が少ない状況を重く見た杉並区。公園を増やそうと考えたのだが、問題になったのが予算だ。当時は現在ほど公園に力を入れておらず、公園用の土地を確保する予算が足りなかった。
そこで考えられたのが、「土地を借り一時的に遊び場として整備する」という方針だ。とりあえずは土地を借地として買っておき、簡単な遊具を整備する。そして可能ならば公園として土地を取得する方向で交渉していく。このようないきさつで1967年、遊び場1番が誕生した。
遊び場は必要性にせまられ、苦肉の策で生まれたものだった。公園の陰に隠れた存在なのは当時から変わらないようだ。これで遊び場が「一時的」である理由はわかった。
公園が増えた現在、遊び場の存在意義はどこにあるのか
1975年に46.4haだった区内の公園。行政が公園に力を入れ続けた結果、現在は3倍近い117.1haまでに広がった(2017年)。そのため遊び場の導入理由(公園不足 & 予算不足)を考えると、現在の遊び場の存在意義は下がっているのではないだろうか。
しかし遊び場を調べていると、どうもその心配は無用であることがわかってきた。現在の遊び場は新たな役割を与えられ、当時とは違った方法で地域に役立っているようだ。
ここからは、現在の遊び場の役割を考えながら残りの謎を解いていこうと思う。
役割① 防災の拠点として非常時に利用する
一般的な公園の多くには倉庫や消火用ポンプなどの設備があり、災害に備えられている。遊び場も例外ではない。遊び場を回っていると、防災施設が置かれている遊び場がいくつも見つかった。
倉庫だけではなく、消火器やポンプ、防火水槽など遊び場によってさまざまな備えがなされている。
確かに土地があって地域に分散している遊び場は、防災設備を置くのに良い条件がそろっている。遊び場は、普段は表に出ずともいざというときに役に立つ縁の下の力持ちという隠れた一面を持ち合わせていたのだ。
役割② 利用まで時間がかかる取得用地を「一時的な公園」として開放する
都市整備を考えるとき、取得した土地が「一時的」に空き地になることがよくある。例えば都市計画のために先行して取得した土地。そのような土地を有効に使おうと、「一時的」に遊び場として整備し開放することがあるようだ。
やたらと細長い遊び場の正体は、道路のために取得した土地だった。
そのほかにも、さまざまな事情で「一時的」に開放している遊び場があった。いくつか紹介する。
土地の所有者から一時開放している理由まで、遊び場によって違いがあってなかなか面白い。土地の所有者が遊び場によって変わっていたのは、土地本来の使用目的によって所有者が違うためということがわかった。所有者の謎もこれでとけた。
役割③ 必要な際に別用途で使用する
少し見方を変え、かつて遊び場だった場所をめぐっていると、新たな遊び場の役割がまた一つ見えてきた。
遊び場が設立された当時、遊び場はできるだけ公園にするべく土地を取得していく方針だった。その方針のとおり、確かに遊び場の跡地の一部は現在公園になっている。
しかし、現在の遊び場の跡地をいくつか巡ってみると、意外なことに公園以外の姿になっているものが多かった。それが「施設」だ。
調べてみると、現在保育施設になっている元遊び場は5箇所以上あるようだ。また、介護施設になっている元遊び場も見つかった。このように、現在の遊び場はいわば余剰の土地として確保している意味合いもあるようだ。姿を変えても住民を支え続けている元遊び場の姿にほっこりした。
最初に見た遊び場の正体は?
最後に遊び場を知るきっかけになった遊び場に戻ってきた。最初にこの遊び場を見つけたときは存在意義がわからなかったが、今なら訪問すればわかるはずだ。(ちなみにこの遊び場周辺で予定されている都市計画は特になかった。)
ここまで読んでくれた皆さんならだいたい予想はつくと思う。
これからも遊び場は人知れず造られ、そして人知れず消えてゆくのだろう。だがそれでいい。
最初から公園の影の存在として始まった遊び場。時代に合わせ役割を変えながらも、縁の下の力持ちとして杉並を支え続けている遊び場。
ぜひ末永く役割を全うしていってほしい。
付録:遊び場(全17箇所)写真集
参考文献
- 杉並区公式HP「杉並区立公園一覧」
- 平成29年度杉並区みどりの実態調査報告書
- すぎナビ(杉並区公式電子地図サービス)
- 東京都杉並区土木公園課『すぎなみの公園』(平成2年発行)