神津島は神秘が「息づいている」島だった

今年のGWは伊豆諸島の神津島に行ってきた。島の雄大な自然を見たいと思って調べたのがきっかけだったのだが、現地で一番興味深く感じたのはその文化だった。「神津」という格好いい名前に負けない神秘的でたくましい興味深い島だったので紹介したい。

神津島のおさらい

まずは簡単に神津島を紹介する。神津島は東京都内から184km南に位置する周囲22kmの島だ。


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 拡大するとこんな感じ。


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 島には険しい山が複数あり、住民は島の西部に2000人ほどが住んでいる。ダイビングや登山として毎年多くの観光客が訪れているという。また、島というと水不足で悩む場合が多いが、神津島は水が豊富で湧き出ている箇所も複数あるという。

到着

 さて、今回はジェット船で出発し、最初に目に飛び込んできたのがこれだ。

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とても険しい……。割と新しい崩落跡が見えた。

到着は島南東部の三浦港。ここからお宿の人に送迎してもらい、村がある西部に向かう。

神の集う島?

さて、町に到着した。神津島の集落は4平方kmと狭く、住居、家、行政すべてがそこに集中している。海岸には前浜という海水浴場があり、夏は水泳客で賑わうそうだ。まずお出迎えしてくれたのがこの像。

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柄杓を持っている人に5人が集い、1人が寝ている。

説明書きを読むと、神津島の伝説を表現しているとのこと。

その昔、伊豆諸島の中心である神津島の天上山に、島々の神々が集まり会議をしました。一番大切な会議は、命の源である「水」をどのように分配するかでしたが、そこで次の朝、先着順に分けることになりました。

(中略)

最後に寝坊した利島の神様がやってきたときには水はほとんど残っていませんでした。それを見た利島の神様は怒り、わずかに残った水に飛び込んで暴れまわりました。この水が四方八方に飛び散り、神津島ではいたるところで水が湧き出るようになったと言われています。

神津島観光ガイドより引用

神話の世界が残っているとは面白そう。このときはそれぐらいの感想だった。

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天上山は島の中心にそびえる島最高峰の山。町からよく見える。

現在も続いている信仰

さて、まずはのんびりと街を歩いてみる。そこで驚いたのは、石仏の多さだ。

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道を歩くと100メートルもいかずに石仏が見つかる。

しかもどれも丁寧に屋根が作られ、お供え物が置かれている。

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村の中心だけでなく、少し外れた道沿いにも鎮座していた。

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ここにも!

お地蔵さんをはじめとした石仏は、都会を歩いていても珍しいものではない。しかしそれはたまに目に入るものであり、供え物がないものも少なくない。正直形骸化している部分があると思う。

一方神津島ではどれにも花や小銭が供えられている。しかもお地蔵さんだけでなく、風化で文字が読めなくなっている石碑も同じように祀られている。そう、神津島では今もしっかりと信仰が残っているようだ。なぜなのだろう。

今回の旅の目的が決まった。この信仰の理由を突き止めよう。

このあと「おたあジュリアの十字架」を見たり景色を眺めながら1日目が終わった。

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江戸時代にキリスト教を棄教せず信仰を貫き通したため神津島島流しになったおたあジュリアを偲んで建立された十字架。

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神津島といえば海の幸。夕食のタカベが美味しかった。

神話の舞台に登る

2日目は神津島の定番観光コース、天上山に登る。天上山は 神津島最高峰の山で、838年の噴火で現在の形となった。572m とあまり高くはないが、高山植物や砂漠、池、そして景色など見所が多く人気のスポットとなっている。

宿から登山口まで30分程度だったため、宿から歩いて登ることにした。

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この道でもお地蔵さんが祀られている。

登山口(黒島登山口)に到着。いよいよ登山が始まる。

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階段が整備されてはいるが、結構急で怖い。

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町がよく見える。町の周辺以外は山だった。

長く続いた坂道を登り終わると、そこには植物がびっしりと生えた平地が続いていた。

天上山は頂上付近に1周できるハイキングコースが作られている。場所によって多彩な顔を見せてくれるため歩いていて飽きることがなかった。

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高山植物が突然なくなった。そのギャップに自然の神秘を感じる。(裏砂漠)

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不動池。 中央には剣と石の竜王が祀られているという。

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ガレ場っぽい場所もあった。景色がきれいで写真を撮れば絵になる。

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天上山山頂。360°の大展望が広がっている。近くの式根島と新島も見えた。

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不入が沢(はいらないがさわ)。水の分配に神様が集まった場所といわれている。

それぞれのスポットの距離は近いのにまったく違う表情を見せてくれる。

木が一本も生えない荒野、のどかな雰囲気の池、そして島が一望できる絶景。ここまで幅広い表示を見せてくれる山はなかなか見つからないと思う。実際に登ってみて、かつて神様が集い昔から神聖な場所として大切にされてきた理由が自然と理解できた。

そんな神津島最高峰の天上山は町のどこからでも目に入る。生活しながら威厳のある白い山を見上げ日々の平穏に感謝する、そんな生活が頭に浮かんだ。

信仰の理由が少しわかった気がした。

大正時代の大工事

 一通り堪能したので帰ろうとしたときに気になるものが目に入った。

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大正時代の治山工事の跡があった。いい写真がなかったので看板で。

昔から土砂災害が多いため、大正15年に石垣を築いたという。大正時代にこの離島で日本最大級の工事が行われるという時点で、いかに災害が大きな問題だったのかが想像できる。

周囲はほぼ垂直の崖が連なっている。工事の場所から下を見下ろしてみると、険しい景色が見えた。

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治山工事跡(写真左下)の延長線上に町が見える。これは……。

もしここが崩れたら町まで届きかねないのではないか。これは確かに重大な問題だ。

そして驚くべきことに、その問題は今も続いていた。

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先ほどの写真を拡大した。砂防ダムが溢れそうになっているではないか。

砂を食い止めているダムの延長線上には町がある。この現代でも自然を制御しきれていないその姿に自然の恐ろしさを感じた。

 

これでコースは全部回った。下山しよう。下山路(白島登山口方向)は行きよりも緩やかで歩きやすかった。

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目前に広がる雄大な景色を眺めながらの下山が気持ちいい。

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帰りの道にも石仏など信仰の証が散在していた。厳粛な気持ちで鳥居をくぐる。

 登山口まで降り町まで歩く。帰り道に先ほどの砂防ダムの下を通った。そこでは新たな工事が始まっていた。

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頑張ってくれよ。自然とそう念を送っていた。

神が集まった伝説にふさわしい天上山。そして島の土砂による災害と今も治山工事が続くほどの過酷な環境。信仰の理由が自然と心に入ってきた。

砂防ダムのところに石仏があったら平穏を祈っていたと思う。

郷土資料館で答え合わせ

さて、最終の3日目。信仰の理由を確認するために郷土資料館へやってきた。ここなら天上山の伝説や土砂災害についての展示を見ることができるはずだ。

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郷土博物館の写真を撮り忘れたので近くにいた猫さんの写真を載せます。

郷土資料館はこじんまりとした2階建ての建物で、入場料は300円。

そこで目にしたのは想像をはるかに超えた過酷な災害の歴史だった。

火山

838年。神津島で大噴火が起こった。火山灰は近畿地方まで到達。現在の天上山の形はこれにより形成されたものだという。当時の住民は伊豆に避難したらしい。幸いなことに以降噴火は起こっていない。

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神々が集った不入が沢(はいらないがさわ)は噴火口の跡でもあり、その大きさが噴火の激しさを物語っている。

飢饉

神津島は海産物に恵まれている反面、急斜面のため畑が少ない。今回島を歩いていても畑の少なさには驚かされた。そのため、複数回大飢饉が起こっているという。驚いたのは、近代化が成された明治23年(1890年)にも起こっているということだ。この飢饉では283人が亡くなった。

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漁港の中心に神社がある。行き来が少ない昔は漁業が島の命綱だった。

火事

街が1箇所に集中しているため、火事が起きると甚大な被害が出てしまう。そのため火事対策が村での重要事項になっており、消防団の服装も展示されていた。昔から度々火事が起こっており、一番被害が大きかったのは飢饉から間もない明治32年(1899年)。なんと村の310戸のうち300戸が焼失してしまったという。

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第二次世界大戦の空襲も受けている。神社に焼夷弾が展示されていた。

土砂崩れ

またもや明治の40年(1907年)。今度は豪雨による山崩れが町を襲った。これによる死者は16人。家屋も大きな被害を受けた。さらに大正3年(1914年)にも土砂災害が発生。これらがきっかけで天上山の治山工事が始まった。

しかしこの災害は今も収まっていない。1988年にも大雨による土砂災害で阿波命神社の本殿が壊滅。さらには2000年。震度6弱地震が複数回神津島を襲った。地震の影響でがけ崩れや土砂崩れが相次ぎ、今でも爪痕が残っている。船から見えた崩落もこの地震で起こったものらしい。

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1997年に完成した最北部にある大黒根トンネル。その先の道が崩落したため現在でも立ち入り禁止となっていた。

神津島は様々な困難を乗り越え今に続いてきた。そしてその困難は今も一部は続いている。町の至るところに鎮座している石仏には、災害を鎮め明るい未来を祈る先人の思いが込められていたのだ。

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町にあった石碑。2001年には当時の天皇皇后陛下が視察・お見舞いに訪問された。

旅の終わり

旅が終わる。

険しくも神秘的な山。山の直下の狭い土地で長い間営まれてきた町。丁寧に祀られている石仏たち。改めて神津島の町を見返すと、今までとは違うとてもかけがえのないものに見えてくる。この島で精一杯生きてきた先人の方々に思いを馳せながら船に乗り、島を後にした。神津島、ここまで興味深い島だったとは。本当に来てよかった。

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島のスーパーで買っておいた島寿司が美味しかったです!

おまけ

最後に今回は紹介できなかった神津島の面白いところを軽く紹介して締めとしたい。

  • 未だ未解明!? 縄文時代の黒曜石の謎
  • 先祖から伝わる江戸時代の沈没船は本当に存在した
  • 観客が魚役? カツオ釣りのお祭り
  • 魚と明日葉が美味しい

神津島、オススメです。

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海もきれいでした!
参考資料

 

アイヌ差別の話に思うこと

アイヌ差別の話が話題になっている。

togetter.com

この記事を読んで、ふと半年前に見たアイヌ舞踊のイベントを思い出した。

 

昨年の夏、家族旅行で北海道に行き、然別湖のホテルで1泊した。
ホテルは行楽シーズンであるせいもあり賑わっており、それに伴いイベントも用意されていた。
その中の一つがアイヌ舞踊だった。

ホテルのバイキングを堪能しレストランを出ると、フロントにステージが作られ人が数十人座っていた。
アイヌ舞踊が始まるらしい。私はあまり興味がなかったが、家族は乗り気だったので見ることになった。
イベントでの舞踊というと「これが文化だ!」みたいな雰囲気で独特の踊りを踊って異文化を感じるというイメージがある。それでは文化の表面をなぞっただけで、分かった気にしかなれないのではないか。だからあまり気は進まなかった。

ステージが始まった。最初は儀式的な踊りで、男性が荒々しい動きで舞を披露するものだった。
次の踊りでは若い女性も登場したが、全体的に硬い雰囲気で踊っており(真面目な儀式なので仕方のないことだとは思うが)あまり面白くなかった。
また、その踊りに合わせてずっと歌っているおばあさんもどこか凄みがありどこか怖い雰囲気だった。
私は踊りを見ながら「どういう思いで踊っているのだろう」という疑問が頭の中で大きくなっていった。
おばあさんは文化を守るために踊るみたいな使命があるのではという予想はできる。しかし、若い人はどうなんだろう。実は嫌々やっているのではないか、なんて意地悪な考えもしたり。

「これで最後の踊りになります。最後はお客さんにも一人参加してもらいます」
中年のおじさんが一人指名された。どうやら夫婦連れで来ているらしい。
踊りが始まった。左右に若い女性。真ん中におじさんが胡坐。この踊りで会場の雰囲気は一変した。
左の女性がおじさんをくるっと回し左を向かせる。すると今度は右の女性がおじさんを回し右を向かせる。そう、一人の女性を取り合っている踊りだった。
一気に会場は笑いの渦に包まれた。奥さんも思わず苦笑い。
私も今までと異なる俗っぽい踊りに、面白さとともに「アイヌ民族も同じ人」だとを強く感じた。正直おじさんと変わりたいとも思った。
踊りが終わったのちに、舞踊しているメンバーが全員家族であること、色々な場所で公演を子なっていること、次はスタジアムで舞うことなどを教えてくれた。おばあさんが一気に息子や娘と一緒に楽しく舞台に出ている優しい存在になった。

 

いい公演だった。
アイヌの人々も泣いたり笑ったりするし、恋もする。そしてときには男女で修羅場になる。そんな当たり前のことを今回の公演で強く教えてくれた。
アイヌ民族に限った話ではないがが、文化に優劣を付けずに違いを楽しめるようにありたいと思う。

古道を歩いて富士登山しようと頑張った記録

突然、9月にまとまった休暇が取れた。特に予定はない。なんかやりたいことはないか自問自答してみる。そうだ、村山古道を歩こう。計画的というよりも突発的なきっかけだった。

村山古道との出会い

村山古道とは、標高0メートルから富士山まで続いている古道のことで、明治時代に廃道となった。しかし21世紀になってから再整備され、今に至っている。
私が村山古道に興味を持ったのは『富士山・村山古道を歩く』という本を見つけたことだった。作者は村山古道の再整備の中心となった畠堀操八氏。道中には道祖神や石碑などが残り、富士山信仰の息吹を感じることができるという。
ネットで検索してみると、住宅街や山の中を進んでいく楽しそうな記事がいくつか出てきた。

@nifty:デイリーポータルZ:海抜0mからの富士登山

d.hatena.ne.jp

これはいける。面白そう。そう思い行くことに決めた。

準備

最初に『富士山・村山古道を歩く』を買う。実は内容を読んでいなかったので、準備と並行して読み進めていくことにした。
次に必要なのは登山の道具。安物のハイキング装備しか持っていなかったので、いい登山靴をリュックを買った。雨に備え、雨具と通気性のいいズボンを買った。
道具が揃ったらルートを決める。

ルートを調べる

最初に村山古道のルートについて簡単に紹介する。出発は静岡県の吉原。海の近くに富士塚があり、そこから出発する。北上し村山浅間神社をすぎるあたりから本格的な登山道になっていく。そして六合目で富士山の一般的な登山道である富士宮口登山道と合流し、以降は通常の登山と同じルートとなる。吉原~村山浅間神社の地図を載せておく。

※ 地図上のルートはイメージで村山古道ではないので注意

 調べていると、山頂を目指すには大きな問題があることが分かってきた。9月に富士山に行くと、とても寒いうえにトイレが使えないという。そのため、今回は富士宮口登山道にある五合目をゴールとすることにした。五合目からはバスが出ているため、楽に下山できるというメリットも嬉しい。
さて、ルートを決める。出発地は静岡県吉原駅、目的地は富士山登山道の富士宮口五合目。迷うのは困るので、地図がほしい。調べてみると、村山古道の地図を通販で売っているという。しかし準備がギリギリなため、発送が間に合わない危険性がある。そこで見つけたのが、「ヤマレコ」だ。

www.yamareco.com

ヤマレコは登山ルートの記録と共有ができるサービスで、村山古道に行った人が記録を残してくれていた。しかもこれ、スマホアプリ「ヤマレコマップ」を使えば実際の位置とルートを比較できるのだ! これは実際の登山時にとても重宝した。

 宿泊場所

ヤマレコの地図により、詳細な位置がわかるようになった。ここで考えないといけないのが、宿泊場所だ。一日目を終える場所でちょうどいいのは、村山浅間神社付近。調べてみるとちょうどいい場所に「村山ジャンボ」という宿泊施設を見つけた。しかし調べてみると、サークル合宿など団体専用の施設であることが分かった。

murayama-jumbo.com

ネット記事ではテント泊をしている人もいたが、私にはそんな技術はない。他にも泊まれそうなラブホを見つけたが、一人で泊まる度胸はないし、心理的に休めない。結局最寄り町の富士宮のホテルを予約することにした。最寄り町といっても村山浅間神社から直線距離で5キロ以上ある。
しかし直前になって新たな事実が分かった。『富士山・村山古道を歩く』を読み進めると、村山ジャンボは村山古道に行く個人客も泊めてくれると書いてあったのだ。ホテルを予約してしまったあとだったので、電話してもきっと空いてないだろうと自分に言い聞かせる。もっと早く読んでおくべきだった。

残った心配事

準備が整ってきたが、二つ問題が残った。
一つは天気だ。それもただの雨ではなく、台風が来ているらしい。しかしどうしようもない。準備した雨具はユニクロ製。高くてもゴアテックスの雨具を買っておくべきだったかもしれない。
二つ目はルート。実際に村山古道を登った記事を読むと、どの人も楽しく登っている。しかし、書籍を読むと思った以上に過酷な場所であることが分かってきた。前半は舗装された道だが、後半は倒木の下や涸れ沢を通ることとなる。大雨時に涸れ沢を通るのは危険だ。さらに道が曖昧で迷いやすい場所が複数あるらしい。大きな不安を抱えながら現地に向かうこととなった。

 

出発(9月21日)

九州や四国で猛威を振るっていた台風だが、前日に温帯低気圧に変わった。台風でなくなったのは有り難いが相変わらず天気は悪く、新品のリュックにカバーをかける。トイレを済ませ準備完了。9時20分、静岡県吉原駅に到着し、旅が始まった。天気は悪いが、はじめての地に心が躍る。
最初に行くのは富士塚。かつての登山者が必ず寄っていた場所だ。ここの富士塚は珍しく石で作られている。

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ちなみにこのアングルは絶好の富士山スポットで、天気が悪くなければ背後に富士山がよく見えるらしい。

街並みを歩く

最初は広めの道沿いを歩いていく。登り坂も緩やかでとても歩きやすい。雨が降っていなければ快適だっただろう。
歩いていると、結構な頻度で古道の跡が見られて目を楽しませてくれる。

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神社や一里塚、馬頭観音など種類は様々で、かつての繁栄を想像すると楽しくなってくる。

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でも富士山が見える兆しはない……。

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しばらく歩いていると商店街に出た。吉原商店街だ。ここはかつての宿場町があった場所だという。かつての中心地なだけはあり、両側にひたすら店が続いている。しかし歩いている人がいない。当時は不思議だったが、今思うと平日の朝10時なのだから当然のことだった。

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商店街をすぎると、しばらく大通り沿いを歩くことになった。さらに雨が強くなってきた。写真ではわかりづらいが、路面の濡れ具合を見て察してほしい。雨具で蒸れ、速乾性だが撥水性が弱めのズボンはじわじわと濡れてくる。単調な登坂に飽きてくる。

のどかな道

東名高速道路をすぎたあたりで、雰囲気が変わった。道幅が狭くなり、大きな建物がなくなり空が広くなる。

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歩いている人はおらず、のどかな光景を独り占め。この景色を見られただけでも来てよかったと思える。雨も弱まってきたし最高だ。

古道の跡については、今までよりこじんまりとした古い石碑が出てくるようになった。

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しかも結構な頻度で目を楽しませてくれる。
そしてこの辺りから現れるのが、村山古道の標識だ。

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富士山の絵が描いてあるのが見えるだろうか。江戸時代は富士山を3つの峰で表したという。遥か昔に多くの登山者がここを歩いていたと考えると感慨深いものがある。

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しばらくのどかな風景が続く。まったりと進んでいく。

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雨もようやく止み、富士山を少しだけ見ることができた。その後ちょうどいい公園がなかったため、道端で休憩し昼食を摂る。

峠道へ

13時になろうかというとき、道を右に曲がりずっと歩いてきた道を後にする。

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ここから道が細くなり、山道に近い勾配になってきた。同時に古道らしさも感じられるようになってきた。

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細い道ではあるものの、右端には色々な石碑があり何とも言えないいい雰囲気を醸し出している。

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とてもいい雰囲気の神社を見つけた。ここの上には千と千尋の世界が広がっていても驚かないような絶妙な荒廃具合。進もうかと思ったが、急な階段が濡れていて滑りそうなのと蜘蛛の巣が多かったのでやめておいた。

 

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両側が畑だったのが林になり、坂が急な峠道になった。 たまに通り過ぎる車のスピードが速く、少し怖い。

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この辺りから霧が出るようになった。写真はうまく補正されているが、鬱蒼とした林で昼なのに暗く、さらに霧がかって視界が悪い。暗い洞窟のような、長居したくない雰囲気が漂っていた。

村山浅間神社

鬱蒼とした道を越えると広けた場所に出た。村山浅間神社に到着だ。

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神社はツアーか何かの団体客がいてにぎやかだった。そそくさと後にする。
時間は13時30分。思った以上に早く着いた。歩いた距離は20kmほど。足は疲れているがまだ余力がある。これなら明日も行けるかもしれない。希望が見えてきた。

山道の入口へ

体力にはまだ余裕があり時間も早い。そこで、もう少し進んでみて村山古道は歩きやすいのか調べてみることにした。
入口は村山浅間神社をしばらく左に進んだところにある。

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最初は石畳みの道が続いている。歩いてみると、とても滑りやすい。きちんとした登山靴を履いているのにバランスを崩しそうになる。一歩一歩気を付けないと転びかねない。幸い、石畳みの道は最初の一部分だけだという。

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気を取り直して進むと掘割のような道になってきた。道の先に何かが見えるような……?

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正体は倒木だった……。本の内容には木をくぐって進むような描写があったが、まさかここまで手前にあるとは思わなかった。今回は頭上だから問題ないものの、これが多くあるなら悪天候の中進むのは難しいかもしれない。しかも地面はぬかるんでいて歩きづらい。

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さらに進んでいくと似たような倒木がまだ続いていることが分かった。これはきついかもしれない。暗雲が広がるのを感じつつ、今日は引き返すことにした。明日のことは宿に着いてから考えよう。

富士宮

今日のホテルがある町、富士宮へ向かう。

富士宮までの距離は約7km。今日歩いてきた距離と比べれば余裕だろと思って歩き始めると、異変が起きた。膝の関節がしくしく痛み始めたのだ。経験上ケガではなく歩きすぎによる疲れなのはわかるのだが、これがなかなかつらい。突然痛さが顕在化したのは、おそらく富士宮への道がずっと下っているからだ。下りのほうが上りよりも負担が大きいのは知っているが、まさかここまで極端に足にくるとは思わなかった。一歩ごとが痛く、富士宮までの道のりは今までの20kmよりも長く感じた。

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ようやくお宿到着! スーパーホテルは安いのに部屋がきれいで温泉付きで朝食無料と素晴らしかったのでぜひまた利用したい。

決断

次の日。外は相変わらずの雨。足には昨日の疲れが残っている。スタート地点はここから7km先。この状態で村山浅間神社まで歩きさらに5合目まで辿り着ける自信はなく、仕方なくここで断念することにした。残念だが背に腹は代えられない。次来るときは絶対登ってやると決意しながらも、今回は断念となった。
この後富士山駅に移動して駅から忍野八海まで歩いて行ったら遠くて無駄に疲れることになったり、富士吉田口の一合目から五合目まで登ろうとして再び雨に体力を奪われて心が折れかけたりしたのは、こことはまた別の話。

村山古道に挑みたい人へ

今回準備していて困ったのが、村山古道に臨む際に具体的に何をどう準備しておくべきか書いてある記事がなかったことだ。そこで、今回の旅を通して大事だと思った点をここに残しておく。

ヤマレコのアプリはすごく便利

ヤマレコを使えば、今いる場所とルートを比較することができる。特に村山浅間神社をすぎてからは道があいまいな場所があるというので重宝する(と思う)。

村山ジャンボに泊まるべし

村山ジャンボはちょうど吉原と五合目の中間地点にある。テント泊をしないなら利用しない手はないだろう。

地図を買おう

スマートフォンが使えなくなる可能性はゼロではない。通販で買っておくと万が一の時に役立つはずだ。

『富士山・村山古道を歩く』は必読

ネットの記事よりもずっと詳細に歩き方が載っている。また、道の歴史や謂れも書いてあるので読んだ後に歩くとより楽しむことができる。

最後に

今回は本格的な登山になる準備不足と天候不順により手前で引き返すことになったが、村山古道の魅力を強く感じることができた。今度はきちんと準備をして今度こそ五合目までたどり着きたい。待ってろ村山古道!

杉並の道路には謎のマークがある

最近街を歩いていて気になるものがある。

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このマークだ。杉並で育ち二十数年、割とよく見るマークなので今まで気にしたことがなかったのだが、ふと気になった。よく考えると謎が多い。マンホールなのかと思いきやよく見ると違う。でもいくつも見るので何か意味があるはずだ。そこで、足を使って正体を調べてみることにした。いざ!

阿佐ヶ谷駅から商店街を行く

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スタートはここ、阿佐谷。区役所がある杉並の中心地だ。JR阿佐ヶ谷駅前から始まるこの商店街は阿佐谷パールセンター。実はここに例のマークが複数ある。さっそく順番に辿っていこうと思う。

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歩いていくとぽつぽつとマークが点在して見つかる。しばらく辿ってきて、法則性に気付いた。上の2つの写真で分かる通り、どうやら道が分かれているところにどちらに進めばいいか教えてくれているようだ。でもどこに向かっているんだろう?

発見1:謎のマークは道が分かれた時に教えてくれる

 

さらに進むと、商店街が2つに分かれる。さてマークはどうなるか。

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右にはマークがなく左に2つ。これは左に進めということだろう。真っ直ぐ進んで少ししたところで新たな発見。地面に地図があった。

発見2:道を教えてくれる地図がある

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これでマークが何かの道を表していることが確実になった。ここで突然一気にテンションが上がってきた。これはRPGでダンジョンを移動しているときの楽しさと同じだ。先に何があるのかわからないままダンジョンを進み、時に予期せぬイベントに遭遇しながらだんだん目的地に近づいていくワクワク感だ。

発見3:謎のマークはどこかへの道を示している

 

しばらく歩くと商店街が終わり、大通り(青梅街道)にぶつかる。ここで道を渡って向こう側に行くときにマークが分かりづらく少し迷ったが、さっきの地図のおかげでなんとか辿ることができた。

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ここを右へ曲がる。ここからは閑静な住宅街になる。

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嬉しいことに、住宅街ではマークが道路上だけでなく側溝の蓋にも付いてくれるようになった。これでマークが増え分かりやすくなった。

発見4:側溝にもマークがある

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特に曲がるときのナビゲートが親切で分かりやすい。引き続き落ち着いた住宅街をのんびり歩いていく。

 

しばらくすると公園に出た。梅里中央公園だ。

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ここでまたRPGのような発見があった。

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「レアなマーク」発見! 謎のマークはSSRとあるのでこのマークはURだろうか。なんのマークだか分からないが、なかなか粋な工夫だ。今後も見つけたらコレクションしていきたい。

発見5:レア度の高いマークが紛れ込んでいる

 

川を進む

公園の後は大通りを一つ越え再び住宅街へ。ここでまた迷った。

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しばらくして行き過ぎたことに気づき戻った。このあたりが最後に例のマークを見つけた場所だ。真っ直ぐ行ったが違っていた。どこだ??

正解は――

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「右の道の奥」。これはパッと見ただけでは分からない……。細い道を左に曲がると視界が開けた。

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暗渠だ!!

暗渠とは川の跡のことで、普通の道とは違った景色を楽しめる。愛好家がいて、私も最近その魅力に気づきよく暗渠を歩いている。

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高低差を感じる階段とか、

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古ぼけた塀から感じる圧迫感とかがたまらない。

発見6:細い道も通っている

 

しばらく暗渠が続く。ここで気づいたが、この道を辿る行為は、複数人数だとより楽しめるんじゃないかと思う。時には住宅街を、時には商店街を、そして時には裏道を歩き、時にはマークを見失って探し回る。みんなでワイワイ話しながら進めば間違いなく楽しいはずだ。そう考えるとふいに一人で歩いているのが寂しくなってくる。

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ちょっと死にたくなった。

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気を取り直して歩くこと十数分、暗渠の終わりが見えてきた。暗渠と川(善福寺川)の合流だ。

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さてここから川沿いをしばらく歩く。春になると桜が一斉に咲き花見客でにぎわう川辺も、冬空の下では人がまばらだ。

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鴨を猫が狙っていた。

しばらく歩くと善福寺川の橋を渡り向こう側に行き、再び住宅街に入る。

 

商店街あるところ住宅地あり

住宅地を抜け、大通りを渡ると一気ににぎやかになった。

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どうやらここは京王線高井戸駅のメインストリートのようだ。お洒落な店が並んでゆったりとした道幅がある優雅な雰囲気の商店街だった。人も多くなかなかに活気がある。

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踏切を抜けて再び住宅街へ。

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住宅地の中にゴルフ専門学校なんてものがあるとは……!

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清掃工場が見えてきた。偶然改修工事中だったようで、煙突の表面がはがれてて格好いい! こういう滅多にない発見に出会えるのも街歩きの醍醐味だ。

 

この先も大通りを抜け住宅街を歩き続ける。今まで以上に住宅街が続いている。住宅街から抜け出せない。だんだん家を眺めて楽しむ余裕がなくなってきた。

 

ついに明かされるマークの意味

疲れがたまってきたころ、宮前公園に着いた。ここが変わっていた。

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入口には竹林。中には不思議なオブジェがある。そして「知る区ロード 耳のオアシス」の文字。マークの手がかりになるかもしれないと思いスマホで調べた結果、とうとう答えにたどり着くことができた。

まちを歩こう|すぎなみ 知る区ロードとは

1988年、①防災②まちづくりの意識啓発③いろいろな施設やまちの資源を知る④高齢化社会の体力づくりと余暇活用⑤杉並区という意識を作る、という5つのコンセプトの基に区を知る道、『杉並「知る区ロード」』が始まりました。 

このルートをたどると、神社仏閣などの名所旧跡、大きな公園、主だった区の施設などに出会えるようになっています。 

ルート上にはオアシスと呼ばれる休憩所があります。

全部で4箇所のオアシスがあり、人間の五感をテーマにした休憩所となっています。

このマークは、区をもっと知るために知恵を絞って作られたものだったのか。確かに裏道や表通り、公園を通ることで街をさらに知ることができた。体力づくりとしても、今日はすでに10km程度歩いているのでいい運動にもなっている。杉並区、なかなか素敵な企画を作るじゃないか。区に対する愛着がさらに沸いてきた。

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ところでこの遊具、耳を当てて音を聴いて楽しむものらしいが、数メートル先で子供たちが賑やかに遊んでいたので恥ずかしかったしやめておいた。

発見7:辿っている道の名前は「知る区ロード」

発見8:名所を辿っていて、4つのオアシスがある!

 

ラストスパート!

さてこの後、住宅街を進み荻窪駅に到着。その先へと越えていく。疲れがたまっているが、スタート地点の阿佐谷と荻窪駅はたった一駅。終わりが近いと考えると力が湧いてくる。

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ここで再び暗渠へ! この暗渠、かつては荻窪から5駅先の大久保あたりまで続いていた川で、桃園川と呼ばれていた。最初に通った暗渠と違い整備されていて、小奇麗な道が続いている。これはこれでありだ。歩きやすい道と左右の自然が疲れを労ってくれているように感じる。

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暗渠沿いに進むと「時のオアシス」があった。

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入口の床が時計になっていて格好いい。

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日時計もあった。芸術家ではないのでうまくは言えないが、なんとなく神聖でありながら落ち着くような雰囲気を感じた。ここに座って読書をしたらとてもはかどりそうだ。

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暗渠に戻る。暗渠は何回か姿を変えながら続いていく。

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川の流れを意識して蛇行している粋なデザインの場所もあった。

しばらく歩くと暗渠を離れ、住宅街に戻る。そしてその先に3つ目のオアシスが見えてきた。

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ここははなのオアシス。

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香炉。知る区ロードのイベントを行うときに実際に焚くらしい。もちろん今日は焚いていない。

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これはパイプの横のボタンを押すと香りが出てくる装置。押してみたが、残念ながら反応がなかった。動作が止まってしまっているのだろうか。はなのオアシスでは、せっかく作ったものなのに使われていないものが多く、哀愁を感じた。せっかくここまで面白いものを作っているのだから、何とか利用できないものだろうか。

マークに従い歩いていくと、中杉通りに出る。もう阿佐ヶ谷駅はすぐそこだ。

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最後に大通り(中杉通り)をまたぎ歩き、神明宮に出る。最近はアニメ「アクエリオンロゴス」に出てきたり、「私以外私じゃないの」のPVに使われたりと意外と話題になっている神社だ。

そして通りを歩くと、

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ゴール! お疲れ様でした。時間はちょうど17時、「夕焼け小焼け」が流れてきた。

 

感想

杉並の裏側を知ることができたようでとても面白かった。約15km歩き疲れはしたが、それ以上に冒険した後のような心地よい達成感が残った。

しかしそれ以上にこの謎のマークが「杉並をもっと盛り上げたい」という熱い思いから生まれたものだということを知ることができて良かった。最初はRPG感覚で何か見つかればいいだろうと軽い気持ちで辿り始めたが、とても興味深いものを知ることができた。

 

しかし、ここで一つまだ解決していないことがある。先ほどの知る区ロードの文章を再掲する。

全部で4箇所のオアシスがあり、人間の五感をテーマにした休憩所となっています。

しかし今回は3つのオアシスしか回っていない。残りはいずこへ??

そこで知る区ロードについて調べてみて愕然とした。実は今回歩いたコースは、ほんの一部だったのだ。これを見てほしい。

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出典:http://www.suginami-siruku.org/what.html

知る区ロードは2つの輪からなる道で、今回通ったのは「真ん中の輪」だったというのだ。

なんてこった。嬉しい悲鳴だ。また一つ、いや二つ楽しみが増えた。今度は友達を誘って行ってみようかなと思う。もちろん地図にはなるべく頼らない方針で。

発見9:知る区ロードには3つのコースがある

 

おまけ:見つけたレアマーク集

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